「で・・?君の400キロ訓練はこのGPの為で、海添いの帰還コースを想定してのものと分析するが、そう言う事だね?」 「はい。今年は選手鳩の数を減らしました。小数精鋭主義にして、400キロを2回、訓練しました」 「いつもの連合会主催の400キロレースを嫌ったのか?それとも新たな帰還コースの選択かね?」 「いえ、400キロレースは重要なコースと認知してますが、例えば、それが天候が崩れた場合には、やはり大きな負担が鳩に掛かります。その後のレースに影響があると思うのです、昨年の磯川さんのように。なら、700キロ帰還途中にある、山沿いか、海沿いのコースを選択する事になりますが、分速を求めるなら、断然海沿いのコースが有利です。その為、丁度分かれ道に当たる地点での放鳩訓練をしました。鳩の帰舎は大きく、差が出ました」 「ふうむ。やはり海添いが有利だったかね?」 「いえ、結果12羽に絞ったのですが、はっきり分かれました。若鳩は、海のコース、経験鳩は山沿いのコースを辿ったようです」 「ほお・・。しかし、何故それが分かるのかね?」 「丁度、芳川さんが、春休みで戻って来てて、帰舎時間にあたる頃、山沿いのコースで観察して貰いました。」 「へー・・そこまでやったのかい・・ところで芳川君は元気かい?」 「はい、ここまで鳩に熱心な俺を見て驚いてましたけど・・ははは」 「ははは。そうだろうね。やはり海沿いが早かったかね?」 「それが・・」 「それが・・?何かあるのかね?」 「1羽だけ例外の鳩が出ました」 「ほお・・山沿いを通って、早く帰還した鳩が居るのかい?」 「はい、例の仔鳩です」 「えっ!君は種鳩にしたんじゃ無かったの?何で・・?」 川上氏の顔色が変わった。その、非常に驚いた様子に香月の方が困惑していた。 「どう・・されました。子鳩・・・紫竜号と名付けましたが・・」 「もう、2度と得られぬ銘鳩の仔鳩・・日本記録の文部杯全国制覇で、種鳩にするって君は言わなかったのか?」 川上氏の顔色は冴えなかった。先刻まで、談笑していた顔だったのに。 「いえ・・確かに全国優勝の後、レースは中断しましたが、それは、紫竜号の体がまだ出来ていない事と、自分の秘めたる力をコントロール出来ない、その危うさを感じたからです。既にもう1才半になって体もかなりしっかりして来ています」 「聞くよ・・紫竜号の素質を君は何と見る?」 少し恐い顔であった。香月は、答えた。 「・・典型的な長距離鳩だと・・そう思ってます。それも、図抜けた・・。まさに、ネバーの体です」 川上氏の顔は青ざめた。 「どう、されました?お気分が悪いようなら失礼しますが・・」 香月は、川上氏に気遣った。 「いや、良いんだ。体は何とも無い。もう少し聞かせてくれないか?紫竜号の事を」 「はい・・100キロ、200キロとタイムは打ちませんでしたが、ダントツの分速で戻りました。タイムしてれば、優勝してました。あ・・これは、前に言われたような事ではなく、俺自身がタイムを打つ管理が出来なかったからです」 「それは、承知しているよ。しかし・・そんなに早かったのかね?」 「はい、後続を10分、20分を引き離しての・・思うに、豊かな副翼の揚力によって、上空高く舞い上がり、気流に乗ると言う典型的な資質が備わってるようです。つまり2回の400キロ訓練でも同じでした」 「・・・では、昨春を中止したのは、その能力を危惧しての事かね?」 「そうです。紫竜号は自分の能力を全くコントロール出来ていません。これは、若鳩の体力のまま今後の競翔に参加させたら、命の危険があると思ったからです」 「なら、そのまま引退させたら良いのでは無いのか?君の鳩舎には、他にも新しい血が活躍出来る土壌が育っている。紫竜号を失う事は鳩界の宝を失う事にならないだろうか?」 「・・はっきり申し上げて良いですか?」 「ん・・何だね?」 「いつもの師匠の顔では無い・・少し恐いです」 鋭敏な香月は川上氏の顔色を読んだ。慌てて川上氏は表情を取り繕った。 「ははは。思い過ごしだよ。疲れてるのかも知れん。君の合格祝いで、少し飲めない酒も過ぎたかな?」 「叉・・今後の事は相談致します。鳩の話はここまでにします」 「ああ、分かった。君がGPの最有力候補になるのは間違い無さそうだ。それだけは言えるよ」 香織が茶を持って来て、また談笑が始まった。その同じ時間、香月の家でも両親が祖父の仏壇の前で、祝杯をあげていた。 「親父!やったぞ、一男が。あんたが目に入れても痛く無い程可愛がってた一男が合格したんだよ、S工大へ。母さん、本当に良かったなあ」 「ええ、何度思い留まらせようか、悩みました。けど、あの子はいつの間にかこんなに成長してたんですね」 「ああ、2年になって、殆んど睡眠時間も2、3時間だったよな。あの子のあの頑張りは、どこから来たのだろう」 「あの子が変わったのは、香織ちゃんとのお付き合いもありますが、白川さんでしょうね。毎日話してくれましたよね、白川さんの事。それが大きな目標になったんだと思います」 「そうだな。本当に良い付き合い、良い出会いだよ。」 「一緒になるって言い出すのが楽しみですね、香織ちゃんと」 「まだ、早いよ、それは、あははは」 両親は笑った。 |