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2003年1月8.9.10日分

夜が明けて、2人は海辺のキャンプ地を後にした。香織の顔にも昨夜の事件の陰は無かった。
次に2人が訪れたのは、海では無く山間の古寺であった。それは、昨夜の事件の為に急遽変更した訪問でもあった。雑草の生い茂った石段を登ると、香月には見覚えのある、古ぼけた仏寺の山門が見えた。高校一年の時に剣道部の合宿で訪れた事のある、思い出深い寺であった。そして、ここでの話は叉、香織の心の中に香月が確固として、刻まれる事となる・・。山門などは今にも崩れ落ちそうだった。香織がきょろきょろしている。
「凄い所ね」
香織が山門を見上げてそう言った。
「ああ、何でも鎌倉時代前期に建てられたもので、その後何度か修復しながら、今ではこんな荒寺だけど、縁結びの御利益もあるんだって」
「あら・・それで来たの?」
「それも、ある。でも、それだけじゃ無いよ。本堂で、ここの和尚さんの話を聞いて見る価値は十分にあると思うから。俺も随分為になるお説教を受けたり・・ある出来事があった」
「ふうん・・」
その言葉の意味が理解出来ないまま、香織は門をくぐった。石畳はあちこち剥がれているがそれでも綺麗に掃除がされていて、訪れる参拝客もあるのだろう、質素な本堂ながら、山間の涼とした雰囲気が、どこの立派な寺にも負けない一種独特の然として感じられた。
本堂へそのまま2人は入った。この寺には住み込みの結城と言う老夫婦が和尚さんの身の回りの世話をしていて、健在であろうか・・合宿中には大変お世話になった人の良い方達だ。そして、2人を出迎えたのは、その結城夫婦の信江さんであった。少しも変わらないその様子に香月はにこにこと頭を下げた。
「あら・・・貴方・・香月君?まあ、立派になってえ!」
「お久しぶりです。覚えていて下さって嬉しいです。おばさん」

信江さんは、すぐ大きな声で、満面の笑顔になり、
「お父さん!お父さん!ちょっとおいでなさい、ねえ、早く」
奥から、
「何だい?大きな声を出して、まだそんなに耳は遠くないぞ・・」
いぶかりながら出て来たのは、懐かしい顔の三郎さん。その皺だらけだが、背筋の伸びた肌つやの良い顔が途端にもっとくしゃくしゃになった。
「おお・・!香月君じゃないか!見違える程立派になったなあ。ほお・・こちらのお嬢さんは?」
「川上香織と申します。同級生です」
「綺麗なお嬢さんだ。さあさあ立ち話もなんだ、奥へお入りなさい。本堂に和尚さんもおいでるから、お茶でも飲みましょう。さあ、母さん、早く早く」
「はいはい。分かってますよ、お父さん」

クスッと香織は笑った。老夫婦の暖かい優しい笑顔と、初対面と思えぬ人懐かしい笑顔に、心も暖かくなるようであった。何故、香月がここへ自分を連れて来たか、理解出来るような気がした。
お茶を信江さんが運んで来るのも、もどかしそうに、三郎さんは2人に対座すると、
「もう・・何年ぶりになるかな?香月君がここの合宿に来たのは」
「はい、ちょうど3年になります」
「立派になって、川上さんと仰いましたね?綺麗な本当にお似合いの2人だ。こうして並ぶと、まるで絵から抜け出て来たようだ。ああ、勿論香月君の彼女なんだね?」
「ええ、僕達は付き合っております」
「うん、うん、そうであろう。こんな綺麗なお嬢さんを連れてここへ来てくれるなんて、嬉しい限りだね、なあ、母さん」

ちょうど茶を運んで来た信江さんに、三郎さんは言った。その前に香月が、
「おじさん、おばさん、その節は大変お世話になりました。」
「何の。私達より、和尚さんの方が喜ぶだろう、何しろ大変な騒ぎだった。フ・・フフフ。今でも思い出すよ」

香織が香月に尋ねた。
「ねえ、何があったの?騒ぎって?」
「いや・・参ったなあ・・その話は・・」

香月が言いかけた時、ここの住職である、日照が入って来た。かなりの高齢のようだが、和尚としての凛とした風格の感じる人であった。香月はすぐさま挨拶をした。
「和尚さん、ご無沙汰してます」
「おお・・香月君・・良くここへ」
「その節は有り難い教えを頂きまして」
「まあまあ、それは後の事で」

和尚が座についてから、改めて、香織が自己紹介をした。和尚が優しそうな顔で、こう言った。
「川上さん、貴女は大変な福相の持ち主ですな」
香織は少し驚き、
「そんな事言われたのは初めてです。」
「ふむ、貴方は情があって、常に光に導かれるように、なおいっそう輝くような相だ。外見的な美はもとより、伴侶としてその夫を向上させるような、類稀な良相だなあ」
「あら・・そんなに言われると嬉しい・・」

年老いた僧だが、温和な優しい目と俗世から解脱した悟り切ったような姿に、香織は包み込まれるような感情を持った。では・・・?自分の夫となるであろう、香月君はどうであろう、聞いて見たくなった。聞かねばならない気がして和尚に言った。
「では・・私が夫と決めている、ここに居る香月君はどうなんでしょうか?」
しかし、香月は聞いてはいけないよ、そんな顔で、首を振りながら香織に目配せした。香織は何故か理解出来なかった。
「何で?香月君の事聞いたら駄目なの?」
三郎さんが横から言った。
「和尚さん、この2人は我々から見ても、真にお似合いです。和尚さんもはっきり仰って差し上げれば、このお嬢さんも不安になって聞く事も無いでしょうに」
「ふぁははは、宜しい、宜しい。ただ、いじわるで教えなかった訳ではない。川上さん、香月君、本堂に来なさい。その理由を教えて進ぜよう」
香織は不安に少しなって、香月の顔を見た、香月はにっこりと微笑んだ。少し安心した。
2人は和尚の後について本堂に入った。広い本堂では無いが、おごそかな顔の大日如来菩薩像の前で正座し、拝んだ後、2人に対座するように和尚が向き直った。静かに2人に礼をすると、2人も頭を下げた。
「香月君、まず、君の事から言おう。仏門に入ってこの日照、実に様々な人に接し、色々な相を眺めて来た。人が生を受けて死ぬ。これは、輪廻であって、前世、来世の仏様の意志によって定まったもの。持って生まれた才能も、磨かねば発揮出来ず、叉己が持つ以上の輝きは得られないもの。その中に人間の業が存在する。故に光輝く才も磨かねば、薄れてしまうのが俗世と言えるもの。お若い2人にとっては、こんな僧侶の話など耳に痛い事かも知れぬ」
香織が言った。
「いいえ、ちっとも」
香月がこう言った。
「和尚さんは、僕達に分かりやすいように、話を砕いてお話してくださってるんだよ。今でこそ、仏門に深く身を置き、浮世を超越して居られるけど、その昔は大変な暴れん坊だったらしいんだ」
「ふぉふぉふぉ。それより、まずこの川上香織さんの問いに答えねばなるまい。かおりとはどう言う字を書くのかな?」
「はい、香は香月君のかです。織は織姫のおりです」

「ほお・・その香織さんか、ふむふむ香月君が香と月、何かの縁とはこう言うものであろう。この和尚の目から見て、当に2人はこれ以上に無い良縁。それは間違い無い。更に、香月君の相は、天性の輝くような大星の運と、才能を持った、わしが見る限り2つと無い大福相。3年前より一層輝きを増したのを見ると、2人の縁が最良のものと見る。香織さん、貴女は香を備え、形を織り成し、光明を灯す相。お互いに呼び合い、巡りあう為にこの世にあると思いなされ。これからも疑う事なく、信じあい、励ましあい、優しさで包まれなされ。和尚この年になって初めて見る福縁、これも仏様のお導き、あり難や、あり難や・・。」
和尚がお経を唱え始めたのを見て、香織はキリスト教、仏教の違いはあれ、結婚式をしているような感覚になっていた。仏教や顔相など分からなくても、良縁、福縁と聞かされて、嬉しかった。和尚の言葉が、より一層香織の香月に対する揺ぎ無い心を形作る。
本堂を離れ再び、結城夫妻の待つ奥の部屋に2人は通された。ソーメンが用意されていた。
「さあ、2人ともゆっくり出来るんだろう?ソーメンでも食べながら、話も聞かせておくれ。何も無い山里、年寄りは寂しがっておりますのじゃ」
三郎さんの暖かいもてなしに、2人は、この古寺での宿泊を決めた。
「願っても無い事じゃ。これも縁、どうぞ、こんな荒寺じゃが、心ゆくまで泊まってくだされ」
香月はこれまでのいきさつを和尚に話した、何度も和尚は頷きながら聞いていた。さもあろうと、和尚は言った。
「香織さん、若いお嬢さんを恐がらす訳では無いが、この和尚と香月君の因縁めいたお話をさせていただきましょう。良いかな?香月君」
香月は頷いた。
「はい・・」
香織も答えた。
香織は気になっていた、この古寺の和尚さんとのこれ程のつながりとは・・一体・・。