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2003年1月11.12.13日分

日照和尚がゆっくりと話しはじめた。
「わしが仏門を選んだのは、昭和の戦争中の事でしてな。わしは、暴れ者と言うより戦争一色である当時の世の中、非国民と非難された不戦論者だった。当時の徴兵制度に反対して、牢獄にも入れられた。結局こうして坊主の道に入る事になったのじゃった。人の命は尊いものだ・・若い、これから社会で活躍出来るであろう尊い命を、国家の為とは言え、戦争と言う大義名文の元に差し出す。わし等が不戦論を唱えた所で、どうにもならない大きな流れ、力が動いて居た時代。わしは、国家の為に投げ出す命が、決して惜しかった訳では無い。国家に差し出す命が当然のように言われたそんな時代、せめてわしは、この自分の手で、若い命を散らして行った人達の魂を供養をしたかったのじゃ。全国を歩き回り、いつしか、この古寺に来た時、戦争は終った。この世に生を受けて、それぞれに成すべき事もあろうに、無念の内に死んで行った若者の涙が、絶望が、人の現世は終っても、御霊は残る事があるのじゃ。この高齢になっても、まだまだ、わしは供養せねばならぬ。香織さん、決して恐ろしい事では無い、聞いてくださるか?」
香織は香月の手を強く握った。香月は優しく香織の肩を抱いた。
「香月君が剣道部の合宿でこの寺に来た時、わしは、今日の香織さんに感じた以上の強い輝きを持った少年だと思った。それはどの子よりも遥かに強く、若草が伸びる勢いで、おそらくこの子は将来とてつも無い体験をして行くだろうと。仏門に入って以来、実に多くの人々と接して来たわしだが、生きるも死ぬも人は顔相に現れてくる。この相がどんな相かはわしには分かるのじゃ。しかし、人の先を見抜いても、それは教えるものではない。香織さんにすぐ言わなかったのもその為じゃ。」
香織はこくんと頷いた。とてつも無い話になりそうで、少し緊張した。
「・・その日の晩の事じゃった。若い皆が稽古で疲れて寝静まっている頃、わしは、妙に何かが起こりそうな気配に胸が騒いで寝られなんだ。それで、本堂でお経を唱えて居った。ふと・・わしは背後に人の気配を感じて、振り返ると、そこに香月君が立って居った。しかし、その顔色は蒼白、この世のものとは思えぬ程じゃった」
香織は小さい声で、キャッ・・悲鳴をあげ、小刻みに震え、香月の手を強く握った、香月は軽く肩を叩いた、香月の顔を見ると、その眼は澄んで、いつもの優しい眼であった。
和尚の話はまだ続く。
「咄嗟に、わしは、この子が何者かの霊に憑依されていると感じた。いや、こんな子だからこそ余計に彷徨っている霊が何かを伝えようとしているのかも知れないと。わしは、静かな口調で尋ねた」
「御身はどちらの何様かの?」
「我は、上州の唐沢兵衛の嫡男、源三郎なり・・」

「はっきりした口調で答えた。戦国時代の武将の様じゃな・・わしは続けた。」
「御身は幾つになられますか?」
「当年17歳に成り申す」
「何故に和尚の前にお越しなされました?」
「聞いたその時、静かな表情をしていた顔が、醜く、悪鬼のような表情に変わった。怨念じゃ。余程の無念を残して若い命を野に捨てなされたのじゃろう、わしが念仏を唱えると、叉静かな表情に戻ったので、こう言った。」

「この日照、貴方様に安らかな眠りを捧げる仏師。心残りをお話し召されませ。この少年は貴方には縁の無い御方です」
「和尚に申す。この身を借りて・・。我こそは、上州唐沢城主の嫡男源三郎なり。隣主五条光正との一戦に父上は破れ、いつの日か、この敵をはらすべき、友主影成公への力添えを求めての帰路、おのれ、影成・・我を殺害せんと、後を追って参った。無念なり、友主に裏切られ、唐沢城再興の悲願も路傍の朝露と消える。この恨み、いつの日か果せん。影成の下衆匹夫。わが父の恩を忘れべかざりや」
「ここまで聞くと、並大抵の事ではこの怨念晴れるまいと、わしは思った。朝露と消えた骨を捜して供養するにも、不可能な事であろう。そこでわしは今晩はお帰り下さいと、経を唱え、それでこの日は終った」
香月が言った。
「あれ?何で僕はここに居るんですか?和尚さん・・そう言いましたよね?」
「やっと霊が離れた事を察知したわしは、きょとんとした香月君に事の次第をゆっくり説明したのだ。驚いた様子だが、意外にも香月君はこう言った。・・そう言う話は聞いた事がありますが、まさか自分に現実に起こり得るとは思いませんでした。そんな無念の思いがあれば、成仏も出来ないでしょう。皆には内緒にしておきますから、明晩、僕はこの本堂で一緒に和尚さんとお経を唱えますよ。その時、和尚さんは、こう質問して・・・と言うたのじゃ。わしは成る程と思った。何故この子に霊が憑いたのか、判る気がした」

和尚は茶を飲みながら続けた。
「そして次の晩、一緒に経を唱えていた香月君にまた霊が憑いた」
「坊・・今宵もお話申す・・」
「すぐわしは、尋ねた。唐沢城と言えば名家、何故戦いを避けられませんでしたか?」
「唐沢城には銀山があり、利権を巡って、争いが尽きず、戦は予期していた事」
「すぐわしは、次の質問に移った。民あっての領主、多くの民の命、百姓の命と引き換えの利権争い。名君の誉れ高き唐沢君成公は和解を目指されませんでしたか?」
「民あっての政、承知している。しかし、五条領主それを知らず、我が城に戦いを仕掛け、多くの民草を殺害す。主上、いたく心を痛め、再度に渡る話し合いの儀、ついに五条城内にて殺害されんとす。君主無くして国は栄えず、我立つも四面楚歌、ついに臣下屈し、我の非力を嘆かんとする、坊・・それを責めるや?」
「わしはそこで、香月君に言われた通り、冷静に心を落ち着け、お題目を唱えた後、続けた。それこそ名君主たる者の勤め。然しながら戦乱の世、殺し、殺され、戦の習いとは申せ、どこまで行っても、無限の連鎖、利あれど、得無しと申せましょう」
「ここでわしは、戦乱の武将と話が出来るなどと夢にも思わなんだ。恨みを抱いて現世に現れた、怨念、諭しも聞かず、受け入れず、なおこの世に止まり、香月君に災いを成すかも知れない。わし如き法力で持って、除霊など出来まいとな・・だが、この霊は反応したのじゃ」
「利あれど、得無し・・坊は何故そう申されるや?先主の恨み、この身に受けて、再興を目指すは勤めなり。不忠にあらず、孝行にして、義と先人は教えたもうなり。我が身力及ばずとも、国を愁う心は義にして、真なり」

「まさに、香月君の言う通りの答えにわしは身震いした。その怨念の真の心を香月君は見てとったのだ。わしがこの日のお経を唱えると叉霊は去って行った」
和尚は香月の顔を見た。香月は穏やかで、涼やかな顔をしていた、不安な顔だった香織も次第に落ち着きを取り戻し、平静な顔つきになっていた。安心したように和尚は叉喋り始めた。
「そうして、問答は7日目を迎えた。もう、これ以上香月君が霊に憑かれていては体が持つまい・・。倒れ無いかと心配するわしの心と裏腹に次第に霊の顔は穏やかになり、問答にも『師』と従うようになった。そして、わしは、仏様の所へこの霊を導く事に成功したのだ。香月君の素晴らしい言葉によって」
「坊は申す、古今東西、人は生き、死んで行くもの。殺し、殺され、罪なき民草の不幸こそ、国の不幸。唐沢城の悲劇は、人の世の悲劇でありましょう。されど、義は残り、孝行は永世に受け継がれましょう。怨みあれど、一得無し。時は流れ、一掬の信念が永く士を称え、祭りを催しましょう。よくぞ、頑張られた、心静かに御上りませ」
「その時じゃった。穏やかな、本当に穏やかな表情になって、こう言ってあの世に召されたのじゃ」
「師、教えを蒙り、御礼申す。この若者の守護の霊も申す。我の御霊に力をお貸しくださると・・」
「その言葉を残し、除霊されたのじゃ。解に深き怨霊ならば、お念仏を幾等唱えようと、簡単に心静めるものでは無かった。坊主を始めて、数多くの体験はしたが、こんな事は初めての事であった。香月少年がいかにこの霊にとって待ちわびた何百年かの巡り合わせであったか、初めてわしは悟った。これは俗世と現世を超えた夢物語、この3年の月日は香織さんの天性が持つ、織りなす、優しさと思いやりの心が更に磨いたと見え、益々輝くこの香月君を見て、2香の運命は前世より決まって居るかのようじゃ。わしにははっきりとそう見える」

香織は涙を落とした。自分が何かは分からぬが、自然と香月と引き合う心が大きく強くなっている事に・
和尚はなお言った。
「今日はその日から丁度3年目。ここへ訪れたのも縁であろう。これから3の倍数年にはここへ訪れなされ、きっと2人に福がある事だろう」
この夜を過ごした2人は、明朝、和尚と共にその後建立した聖功碑の前で手を合わせた。
この和尚との出会い、香月が持つ大きなもの・・それは、やがて真近に迫る大きな試練への序章であった。