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2003年1月20日分

2人が楽しく話している所へ、今度はウェイターがやって来た。
「お客様、私共は、只今仮営業中で御座いまして、お越しのお客様に色々サービスキャンペーン中です。特別に当期間にお越しのお客様には温泉の無料ご利用と、お飲み物のサービスの他、特別会員券を発行して居ります。会員になられますと、当方ご利用の宿泊料、御食事料の全てが、2割引となって居ります。本日は当方をご利用頂きまして、誠に有難う御座います。お友達、ご家族をお誘いの上、叉のお越しをお待ちしております」
会員券に住所、名前を明記すると、一礼してウェイターはその場から立ち去った。
「成る程ね。次の客を呼ぶデモンストレーションて事だね。それで、色々口コミなんかを通じて、徐々に浸透した所で、テレビや雑誌で流すって訳だ。ここの人達は企画会社の人達だろうね」
「ちゃんと、色々既に戦術を繰り広げているって事ね。ただただ感心するわ」
「でも、快適な気分を提供して貰えるんだから、こう言う企画は歓迎だね」
「同感」

夕刻近くまで、ここで過ごした2人は、車の中で熱い抱擁を交わした後、帰路についた。香月の帰りを待っていた両親の喜びは、言うには及ぶまい。
そして、念願の桑原チーム参加が決まって、研究の為に20坪の鳩舎の設置。学内で、いよいよ本格的な遺伝子の研究をする事となった香月だった。今期48羽の仔鳩を作出し、その中の20羽は見切りをつけて、学内に持ち込んだ。日下部氏に協力を依頼して、各種血統も20数羽入った。鳩をモルモットにするつもりは毛頭無いが、この香月の研究には、あの、掛川教授の息子さんでもある掛川四郎と言う当学を卒業し、助教授を目指す長髪の最優秀な助手が共に研究に携わる事となった。香月の驚嘆するような快進撃は、これから始まるのであった。川上氏とも壮絶な競翔の戦いを繰り広げる事となる地盤がこの時出来た。
そのスタートとなる秋レース100キロの持ち寄り日、幾分早めに来ていた香月であった。師匠と弟子、合い通じるものがあるのか、やはり川上氏も早めに一人そこへ来ていた。
「よお!」
「お久しぶりです。何度かお邪魔しようと思ったのですが」
「分かってるよ。今が一番大事な時。秋レースの調整も、忙しい時に大変だっただろう」
「はい、でも充分に訓練に割く時間はありましたから」
「うむ。君の事だ。叉我々が予想も出来ない訓練をした事だろうね。今日は君が早めに来るんじゃないかと思って私も早めに来たが、予想が当たったよ。君にとっては、久しぶりの本格的参加だからね」
「もしかしたら、川上さんも・・俺もそんな気持ちで早めに来たんです。今秋は28羽なんですが」
「ほう・・少数精鋭主義とは思っていたが、かなりの数を訓練で淘汰したようだね」
「はい。今秋にはテーマを持ってまして、何とか5交配の仔鳩が平均的に残ったのですが、特に率から言っても、親子交配の2交配・一代戻し交配については、出来、不出来が歴然としています」
「もっともだ。近親交配は危険性が高いので、私は余りやらないし、白川さんも極力避けていたようだ」
「つくづく、じいちゃんの偉大さが分かってきました。それでありながら、一群の飛び筋を固定されたんですから」

「君の事だから、その辺は理解して交配してるのだろうね」
「リスクは覚悟しています」
「そうだろうね。その反面、ずば抜けた優秀な部分を受け継ぐ鳩も得る訳だ」
「その中で、
紫竜号に匹敵する1羽が出ました」
「ほお・・。その訓練を少し聞きたいね」
「端的に三つに大別しますが、一斉放鳩、単羽放鳩、高地訓練です」
「ふむふむ。君の事、データを一杯作ったのだね?」
「はい。」
「しかし、もう成鳩である
紫竜号を持ち出すのは、換羽期にあたり、少し無理は無いかね?」
「ええ。でも、乱気流の中で、低地に向かう追い風を見つける能力は、
紫竜号に天性に備わってると思うんです。その意味では、若鳩にとっては良い訓練になったのではと」
「成る程、その中で1羽図抜けた訳だ」
「はい」
「ま、そろそろ他の会員も来る、後で夕食でも一緒にしようじゃないか」
続々持ち寄り場所へ集まって来た会員達。新人の姿も幾人か見える。春の競翔で有名になった東神原連合会は、ますますその地位を高めつつある。しかし、この日、春には殆んど姿を見せなかった佐野が居た。放鳩車を送り出した後、香月が佐野に声を掛けた。佐野も香月に話があったようだ。佐野の方から言い出した。
「やあ、お互い久しぶりだね、春は大活躍だったよね。」

「いえいえ。でも、佐野さんはどうされてました?俺も競翔には途中参加だったんで、佐野さんの姿が見えないのを心配してました」
「うん・・春の競翔の直前になって、イタチが入ってね。成鳩のほとんどがやられたんだ。俺の鳩舎は、相当古くなってて。それで、金網を破られて。種鳩の被害が無かったのが、せめてもの救いだったよ。でも、ショックでね」
「そう・・だったんですか。佐野さん程の方が、油断してたとは思えませんが、一体何故急に?」
「ああ、長年飼ってた犬が、老衰で死んでしまってね。犬の匂いがある所はイタチも来ないだろ?それが犬が死んだ途端だよ。」
「お気持ち分かります。残念でしたね」
「でも、叉子犬を貰って飼ってるし、鳩舎も今度は設計し直して、建て替えたんだ。それに、新血統も入れたんだ。自分なりに研究して導入した血統だから。秋は俺も頑張るよ」
「そうですか。佐野さんの元気な姿を見て安心しました」
「ああ、又よろしく。で・・少し今日は君に聞きたい事があったんだよね」
「何でしょう?」

佐野はノートを出した。彼らしい仕草に香月もニコッとした・・が、次の瞬間香月の顔が凍った。
「分かる?君の紫竜号・・どう見ても、白竜号ネバー号の仔鳩としか思えない。これが血統図の証拠だよ」
「・・ふう・・佐野さん、どなたかにそれを?」
「いや、君に確認したかっただけさ。君が公開しないのは、理由が勿論あるのだろう。天下のGCH両鳩の奇跡の仔鳩だなんて知れたら、困るからだよね?そう言う事で、隠して来たんだろう?驚くのを俺も通り越してて、なお且つその
紫竜号の稀有の才能に驚愕するよ。全く。」
「今は・・やはり内緒にして下さい。お願いします」
「ああ、勿論さ。どんな競翔鳩に育って行くか、楽しみでもあるし、勿体ない気もするよね。これを磯川さんが知ったら、どう言うだろう・・。恐らく
紫竜号の才能を誰よりも感じてるから。パイロンエース号のライバルになるかもって言ってたよ」
「あの鳩も英傑ですよね。春には素晴らしい成績が期待出来る競翔鳩でしょうね」

この晩、久しぶりに川上家で夕食を取った香月であった。楽しく、そして祝福を受けた後、いよいよ川上氏との今秋の本題に入った。