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2003年1月21・22・23日分

茶を応接室へ運んだ後の居間では、香織と母親が談笑していた。
「本当に頑張ったわねえ、香月君」
「うん。殆んど寝てない状態だったそうだわ。2週間」
「天才の影には努力あり・・か。凄い彼氏を持ったわね、貴女も大変」
「そんな事思っても無い。ただ、体を壊さないかと心配」
「そうよね。見る限り、少し痩せたかもね。大学では、2つの専攻を取ったそうだし。貴女が気遣ってあげなきゃ。ああ言うタイプは、突っ走りそうだから」
「あら、お母さん、そう言うタイプと付き合ってたような言い草ね。お父さん以外の人の話ね?」
「ふふふ。ああ見えて、若い時は無鉄砲だったのよ、お父さん。貴女は知らないけど、特に白川さんには散々ご迷惑を掛けたわ」
「ふーーん。そう見えないけどなあ。じゃ、同じタイプだから気が合うのかな?香月君とお父さんって」
「まあ、うふふ。どうかしら?」

2人が笑いながら話す間、川上氏も上機嫌であった。
「とうとう、帰って来たな。強豪が」
「やっとです。これで本格的参加になりそうで、嬉しいです」
「頑張ったもんなあ、君は」
「これも、じいちゃんのお陰です」
「ああ。しかし、それも並大抵の努力では研究を受け継げないだろう、君の才能と努力だよ」

川上氏は目を細めた。故白川氏の姿が万感に過ぎる。改めて偉大な人だった事が偲ばされる。
「・・ふうん。じゃあ・・7回の訓練の後、残る3回の試みで、6羽が脱落した。そして、君のチーム編成に狙いがあると言う事だ。聞かせてくれよ」
話は進んでいた。
「ええ、長距離鳩、短距離鳩と言いましても、実際レースに参加させて初めて真価が問われるものだと思うのです。向き、不向き等と判断しても、我々は単に体形的な側面でしか見ていない訳ですから」
「うむ。確かに。体が大きいから、筋肉が硬いからと思ってたら、2歳から3歳になって開花する鳩も居る。要するに色んな血統をまぜこぜに飼育するよりは、固まった一群を使翔する方が、管理もしやすいし、見極めも比較的容易でもある訳だね」
「ええ、その通りですね。でも、俺の所は今、色んな系統が居ますから、どうしても、比較判断せざるを得ません。叉、そうだからこその面白さもあると思うんです」
「確かに。ただ、私自身も白川ベルランジェの飛び筋の一群は出て来たが、まだまだ突きとめる部分がある。正直難しいよね。でも、自分でも言うのもなんだが・・相当良い子鳩が今年は出来たよ」
「わあ、恐いですね。その言葉。どんなCH鳩が生まれるか分からない血統ですから」
「私は、君程精力的には動けないがね。新方式を採用しつつある。叉、白川さんが活躍されていた頃と比べて、現競翔界はスピードバードを求める傾向にあろ。これは今後も、更にそう言う指向が強くなって行くだろうと私は考えているからだ。やっとスピードバードの一群を発見したよ。今後はレースのムラをどう無くするかだ」

「春のGCHの成績で、もう証明されてますよね。爆発的な真価が発揮されてます。GP以前のアクシデントが無かったら、どんな成績が出ていたか・・」
「おいおい・・弱ったね。君程の子が、そんなに。私だって、君が最大のライバルだって思ってるよ。それより本題を聞こうじゃないか」

いつに無く香月も、川上氏に対してのライバル心が燃えている事に気付いた。茶を飲み干すと、訓練の過程を話し始めた。
「比較的・・スピードのある8羽と、残った26羽で、編成を考え、11チームと1羽の組み合わせで、3羽単位の訓練を考えました。タイプは二分しましたが、短距離訓練に影響も無い事なんで、春レースを想定して行いました。ある程度の訓練を経て来た鳩群ですから、今度は訓練を兼ねて、背中に体重の一割に当たる錘を装着しました。勿論飛ぶには支障の無い場所です」
「思いも依らない訓練だね、まさしく・・」
「この訓練は山間のふもとで行ったのです。結果・・予想通り、かなり帰舎タイムは遅れましたが、何とか終了。ただし、スピードバードである3羽の内2羽と、チェックポイントが2つある3羽が特に、帰舎タイムが遅れました」
「ふむ・・。では、チェックの対象となった訳だね」
「いえ。むしろ、スピードバードには期待が持てました」
「期待?何故?」
「その中の1羽は高山からの一番手。もう1羽は、これまでの訓練を常に先頭で帰って来てた鳩だからです」
「今の私には即座に理解出来ない事だ」
「つまり、気流に乗るタイプと判断したからです。若鳩ですから、筋力はこれからつきます。先天的に気流に乗るタイプとは長距離鳩と見て良いのでは、と言う考えです」
「ははあ、それを見極める訓練だったのか」
「はい。まず、この訓練が第一段階。続いて行う第2訓練なんですが、これは春終了時から思案してまして、場所選定に苦労しました」
「何・・春から準備してたのかい・・。君には驚くよ全く。ははは」

川上氏は笑った。
「いえ・・今までのレース展開を見たら、真価を発揮しだした白川系と、磯川さんのペパーマン系には恐らくスピードで置いて行かれるでしょう。その為には筋力と、方向判断力を磨く事に主眼を置いたのです。春は俺も奇策が成功しましたが、若鳩の質と数では到底不利です。特に1000キロまである今秋は、いち早く可能性と資質を見極めて、全レースに参加させようと思ってますから、それだけの準備が必要だったのです。現役レーサーを種鳩にしたのも、考えての事でした」
「つまり、君は春レース以前から自鳩舎改造プログラムを作成してた訳だ。いやはや、そこまで先を見越しているとはね」
「俺は香月系を作る夢がありますから」
「分かったよ。ただ・・私の意見として、旧主流系プラス、シューマン系では、かなり難しい面があると思う。敢えて、君が今後どんな異血導入を考えているかは聞かない事にしよう。で?その訓練とは?」
「はい。難易度の高い候補地を捜し、山あり、谷あり、池あり、川あり。どう鳩が帰還コースを選択するかによって大きく帰舎時間が変わるような、おまけに放鳩時、鳩が飛び立つ方向が鳩舎と逆方向になる所・・直線にして僅か30キロの訓練なんですが」
「つまり、方向判断力だね。なお且つスピードが要求されるとなると、厳しいね」
「1羽、1羽の単羽訓練をやりました。友人に依頼して。3分間に1羽、総数34羽を1時間42分かけて行ったのです。ここで、20分以内に戻った鳩が、11羽。無チェックの一群でした。それに続いて、21分から24分前後に14羽。25分過ぎに7羽。30分以上掛かったのが2羽。予想外に帰舎は良かったのですが、総合的に判断したら、的確に自己判断で戻った鳩は28羽になりました。残りは一緒に付いて戻って来た鳩でしょう。これで、一応の第一段階は終わりました」
「第一段階と言う事はまだ、あるのかな?第2段階が」

「ええ。最後の見極めがありますので。6羽については、再三のチェックがあり、将来的に選手鳩として危ぶまれましたので、大学へ持ち込みました。種鳩としては案外子孫を残してくれるのでは?特に近親交配による鳩達でしたから」
「君すら、それまでに見分けがつかない程だった位だから、余程判断に苦慮したようだね」
「そうなんです。親と瓜二つの鳩も居りますし、外見的に両源鳩を彷彿させるような面も多々ありましたので。ひょっとしたら・・そんな期待感で、贔屓目に見ていた所もあります。けど、やはり駄目でした。短距離を帰っても、難レースには失踪の危険性も持ってますし、力及ばない鳩をレース参加させる必要はありませんから」
「その通りだね。多くの競翔家がレースによって淘汰しようとしている。我々はその前に、もっと早く資質を見抜くべきなのだ。」
「訓練は、同一の力量を持った鳩達で行うのが良いと思います。遅い鳩のペースに合わせると、訓練になりません」
「そう発想をした事は無かったが、君の言う少数精鋭主義とは言い換えればそう言う事だろうね」
「それで、最後の訓練は、その・・普通の一斉放鳩なんですよ。実は」
「何だ。もっと大掛かりかと思ったよ。あはは」
「その訓練は秋の100キロ帰還コースに当たる60キロで、夕刻にしました」
「ははあ・・普通ではやはり無かったか。それなら私も良く分かる、短距離鳩なら一目散に戻るだろう。いつもより早く。逆に長距離鳩はやや遅れて一斉に戻って来る筈だ」
「はい。その通りでした。何か、これは一般的な方法が最善と思ったものですから」
「一般的じゃないぞ。その方法は著書にも出ているが、十数年前に備前連合会の著名鳩舎、郷原道和氏が試されたもので、これで成功を収めたと書いてあったのを記憶している。ところが他の人がそれを真似しても中々結果は出なかった。君は今までの9回に渡る訓練で、何かを掴み、それで結果を試したかったのでは無いのか?君だから出来る芸当だが、とても難しい方法で、一般的とは言えないよ」

「いえ・・そんな難しい方法ではありません。だって餌を抜いて放せば、どの鳩だって、一目散に帰るに違いありません。ところが少量の餌を現地で与えておけば、短距離鳩は全速で、長距離鳩は時間の余裕を持って帰るに違いありません。その違いが、短距離鳩、長距離鳩を分ける距離感覚で、9回の訓練で体感してる事ですから」
「全く・・脱帽するよ。一分の隙も無いね、君と言う子は。とても私の比ではない、今思ったよ。君は既に一流だ」

そう言う川上氏の言葉に、香月は強い調子で言った。
「いえ、とんでも無いです。川上さんと初めてお会いした時、お教え下さった事。・・鳩舎にはそれぞれ個人の創意工夫があり、独創的なものだよって。人それぞれに、管理も訓練も飼育の仕方も変わって当然。むしろ、だからこそ競翔は楽しいし、他鳩舎と同血統の鳩を幾等飼育しているとしても、その鳩舎の管理に合う、合わないがあります。俺の目標はいつまでも川上さんなんですから、目標なんですから」
川上氏の目が少し潤んだ。
「有難う、ひたむきな君の姿にはいつも関心させられる、私も負けては居られないね、ははは」
川上氏の胸の奥には、白川氏の言葉が過ぎっていた。グランドスラム、無謀なまでの挑戦。超銘鳩の誕生。彗星のご如く出現した偉才。今香月の手元に居る、その恐るべき可能性を秘めた紫竜号。この純粋で、ひたむきな若者を苦しませてはならぬ。罪な交配を託したものだ・・白川氏は・・川上氏はそう思っていた。ただ、他の鳩を完璧とさえ見極める事が出来る香月が紫竜号には翻弄され続けて居る。そんな不安や心配も過ぎっていたのだった。