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パンナ号 SP♀のモデルは、 中山鳩舎が2005/5/29御提供下さいました
パイロンキング号 BC♂のモデルを探しています
白願号B♀のモデルを探しています
白泉エース号BP♀のモデルを探しています
2003.5.22日分

続くチャリティー合同杯には、かなりの主力鳩が参加されていて、総参加羽数も15600羽のレースとなった。うって変わって非常に良い天候のレースとなり、総合優勝は川上鳩舎の白願号が、総合5位に磯川、総合6位に高橋、総合15位に川上、総合25位に郡上、総合37位に香月のカズ・エース号が、総合46位に佐野が入賞した。カズ・エース号は、やはり500キロレースの方が得意としているな・・香月はこんな素晴らしい成績を上げたカズ・エース号に対してそう言う評価を下して、この鳩の今春を終えた。
そして、いよいよ春のメインレースの序幕である700キロGPが開催される直前を迎えた。香月鳩舎はスプリント号を、磯川はパイロン3世号を、佐野はタンギ号を・・と、名だたるエースが万全の体調で揃った。参加総数10万9千余羽。5つのブロックに分かれ、放鳩日を一日ずつ繰り延べると言う新案での開催となった。その中で、東関東ブロックに位置する東神原連合会であった。各ブロックの参加数は、東ブロックが最大羽数で4万8千余羽、北関東ブロックが2万4千余羽、南関東ブロックが1万1千余羽、西関東ブロックが1万余羽、東南関東ブロックが1万余羽であった。
北関東ブロックが先陣を切り、好天の高記録続出との報の中、東関東ブロックも翌日好天の中放鳩。これも高記録続出となった。ただ、3日目には曇天が広がり、天候が翌日以降は崩れるとの事で、3ブロックが一斉の放鳩。この事が、後々公正なレース開催への不公平感と言う事で不満が広がり、もめる事になったが、それは総合順位での話。ブロック別にはそれぞれ集計がされるのではあるが・・。
このレースに、本来参加予定であった紫竜号は、ここまでの中で、2つのぶっちぎり優勝で消えた。それは、紫竜号の孤高の気性故の、単独飛翔の危険性は、必ずその身に巡ってくるだろう・・香月は思った。そして、GPレースは川上氏の白泉エース号が全体総合優勝を遂げたのであった。磯川のパイロン3世号が総合3位、佐野のタンギ号が総合5位、スプリント号は総合13位となった。この天候の中、長距離鳩として育ち始めたスプリント号を証明するものだった。続く800キロQCは、高橋鳩舎が優勝、総合6位に入った。渡辺鳩舎も総合8位、郡上鳩舎が総合10位と東神原連合会の上位入賞が続いて行く。その勢いで、900キロKCは大荒れの天候となったが、翌日帰り、磯川が総合優勝をパイロンキング号で成し遂げた。川上氏の白川系と、ペパーマン系の血統の層の厚さをまざまざと見せつけた。だが香月もパンナ号で連合会2位、総合24位に食い込んだ。
そして・・いよいよ紫竜号の運命を決める、1000キロGCが開催となる。紫竜号は本来なら、GP、CH、GCH、GNと言うビッグレースに進むべき鳩だ。十分過ぎる程の資質を兼ね備えている。しかし・・この春も紫竜号は昨春の教訓を生かせて無かった。先頭集団を形成する飛びぬけたこの資質なら、常に紫竜号は、陽の光を浴びるレースに参加される競翔鳩となった筈。だが・・孤高の気性故に・・・・。
GCは、北海道内陸地から行われるレース。1000キロレースとしては古くからある。だが、近年のCHレースに押されて、参加羽数は7240羽と多く無い。このような比較的マイナーとも言えるレースに参加となる運命のいたずらは、晴天の無風の中で開始されたのだった。気流に乗る典型的な超長距離鳩の紫竜号。それが両刃の剣となる事を香月は知っていた。天恵の資質に頼りきった紫竜号は、その資質故に自ら押しつぶされると。5歳以降から力の発揮出来るだろうその体を、今、食いつぶしてしまうだろうと・・。それは、香月が自身の心の抑制と闘って紫竜号を使翔する結論だった。

さて・・いよいよ、本編は紫竜号を中心とした物語へ突入する・・。

その頃、紫竜号は先頭集団を形成しながら南下していた・・くそ・・いまいましい・・どうしても後続を引き離せない自分に苛立っていた。空はどこまでも青く、風は無かった・・見ておれ・・海を越えたら、お前たちなんか、着いて来れない上空へ舞い上がってやる・・津軽海峡を渡る風はまだ冷たくて、しかし、それでも紫竜号を上昇させる程の風は無かった。海峡を渡りきった紫竜号は、コースを急旋回、右に突如舵を切った。そのコースには一羽も着いて来なかった。ざまあ見ろ・・紫竜号は太平洋岸を唯一羽南下し始める。海の風はその体を上空へ舞い上げ、風に乗って、速度はぐんぐん上がって行った。だが・・この選択が紫竜号にとって運命の出来事であったとは・・。