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2003.5.30日分

待ち合わせた、香織と香月だった。香織は来春短大卒業となって、現在は教育実修で市内の保育園に通っている。いよいよ保母さんのスタートが始まる。この日は、夕方会う約束になっていたのだ。
「どうだった?香月君」
「ああ・・それが・・」
「まだ、発表は無いの?」
「いや、突然、今日あったんだよ、それがね・・」
「そうなの!で?どうだったの?」
「それがね・・公園で話そうか・・」

待ち合わせの場所から、近くの公園は歩いて行く2人だった。
「俺の話は少し長いからさ。君の方はどうなの?」
歩きながら話す香月だった。
「大変・・だけど、楽しいわ。凄く」
「良かったね、夢が叶うね。もうすぐ」
「貴方の夢はどう?」
「ああ、そこのベンチで話そう」

2人はベンチに座った。少し初夏の風が吹いて、大きくて丸い夕陽が綺麗だった。
「今日さ・・2人の博士号が誕生したんだ。それは、同時に助教授に推挙されると言う、S工大ならではの特進なんだ。学士課程からの博士号取得は、3年ぶりだって事なんだ」
「まあ!そうなの・・じゃ・・まさか・・貴方?香月君が?」
「まだ・・何にも言ってないよ」
「貴方の目がそう言ってるわ。凄い・・すごおい!」

説明する前に、香織は香月に抱きついた。
「お・・おい・香織」
香織は小刻みに震えていた。泣いているのだ。
「だって・・だって。もう最高じゃないの!こんな嬉しい事・・他には無いわ」
「ああ・・俺が白川のじいちゃんに出会ったのも、S工大を選んだのも、君と出会い、川上さんに出会ったのも不思議な縁だと思うんだ。それは、俺自身の努力とかそんなもんじゃなく、何か、運命の糸に導かれるような事だと思うんだ。俺、4年間の中で、きっちり方向を出そうと思ってたんだけど、今嬉しい反面凄く動揺してる。だって、このまま進んだら怖いって気持ちもあるんだ」

乖離は、首に巻きつけた手を離し、香月の目をじっと見た。黒い澄んだ瞳の美しい目だった。一点の曇りも感じ無かった。
「ねえ・・貴方は、白川のじいちゃんに何を授かったの?」
「・・・信念・・かな?」
「じいちゃんが亡くなった時、海辺で誓った事覚えてる?」
「ああ・・。人生って事・・生死って事だ」
「貴方が居て、私が居る。夢があって、掴むのは自身の力よ。それは、信念を持って望む事でしょ?貴方はそれを、常人の何倍もの才能と努力で、克服して来た。勇気だと思うの、貴方は木村さんとの剣道の試合の中で、それを私に示してくれた。その時、初めて私は貴方と生きる事を決めたの。貴方は一歩を進む事にためらう事など無いわ。私がいつも傍に居るから」
「香織」

香月は香織をきつく抱きしめ、口つけを交わした。
その夜、香月は川上宅へ来ていた。
「そうか!ご両親はさぞお喜びだろう。凄い事だね。おーい母さん、香月君が博士号だって!」
「いえ・・俺の両親には、まだ話してません」
「何でだ。こんなにめでたい事なのに」

川上氏は不思議そうな顔をした。
「いえ・・今晩はその前に少し、お話があって来ました」
「まあ、立ち話もなんだ、早く入りたまえ」
いつもなら、とっくに家に上がりこんでいる香月を、川上氏は促した。母親恵子さんが、奥からばたばた飛び出して来た。
「まあまあ!何してるの、早くお上がりなさい!おめでたい事だから、早く話を聞きたいわ」
「どうしたんだ?」

いつもと違う香月、香織の様子に、川上氏は笑いながら再度促した。
「俺達・・婚約のお許しを今夜頂きたいと、そう思って来ました」
「ええっ!?おいおい・・香月君・・」

川上氏は驚きながら言った。
「いきなり・・そう言われちゃ・・どう返事して良いか分からんよ。とにかくだ。2人とも上がって話を聞こう」
余りの突然の言葉に、慌てる川上氏だった。しかし、母親恵子さんは、香織の顔をじっと見ていた。香織の目には一点の曇りも無く、揺るぎの無い顔であった。不思議と・・母親の感性は、冷静だった。
「分かったわ・・2人とも。これからお父さんと、相談します。今晩は、香月君、貴方もお帰りなさい。ご両親にも今日の報告をして、日を改めておいでなさい」
「おい・・母さん・・」
「良いの、貴方・・この子達は、もう大人ですし、思いつきで言う子達ではありません。それなりの思いを込めて言っていると思います。さあ、香織・・香月君を見送りなさい」
「はい・・」

香月は、深々と川上夫妻に頭を下げると、玄関を出た。香織が車まで見送った。
「じゃ・・」
香織は小さく手を振ると、香月の車は家路方向に走り去った。
唖然としながら、川上氏は居間に座った。香織と母親が正面に座った。
「君達・・一体・・どうなってるのかね・・?」
「貴方・・今日は、私に任せて・・ね?」

川上氏にとって見れば、当に寝耳に水の話であった。予期はしていた事だが、父性の感性は叉別物でもあった。
応接室へ篭った川上氏であった。母親恵子さんは、香織に向かって、
「それが、貴方達の決断って事は分かったわ。でも、何故今なの?聞かせて」
「香月君自身、今日の発表を聞いて凄く動転していたの。だって、これからの2年間、そしてプラス修士課程での2年間で結論を出す事が、いきなり一遍にやって来たって感じなんだもの。2年前S工大を受験した18歳の高校生が、いきなり助教授って言われたら誰だって驚くでしょ?それが、香月君の才能や努力の結果だとしても、獣医になるんだって夢と、学者になる夢が同時に今現実になっているの。でも、彼の選択はもう一年の修士課程しか残って無くて。その間に人生の決断をしなくちゃならないの。母さん、私は彼に何をしてあげられるの?私に何が出来るの?どうやったら彼を支えて上げられるの?私が唯一出来る事は、ただ傍に居て彼を支えて励ましてあげる事位。結婚なんて先で良い。私達は、はっきり両親に許しを貰った上で、お互いで生きると言う証として、婚約の形を取りたいの」
「人生は長いわ。今から喧嘩もすると思うし、色んな経験を積んで行くと思うの。香月君が素晴らしい男性だって、お父さんだって母さんだって勿論承知してるけど、それでも今決断したいの?」
「私達にとって、早いか遅いかの論は、関係無い。香月君と過ごせない未来は考えられないの」

香織は毅然とした態度で言った。
「分かったわ・・お父さんに話して見る。少し時間を頂戴」