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AU号伝説

AU号伝説 第一章 第一篇 西方城

 

著作 じゅん
シーン2

  『高村主任、専務がお呼びです』

 窓外を見やっていた、長身の痩せ型の高村が振り向いた。彼を凝視していた幾人かが慌てて視線を戻したが、いまいましそうに睨む課長の郷田が、怒鳴った。

 『呑気なもんだな。この忙しい時に余裕があるもんだ、全く』

 苦々しそうな、課長郷田だった。事務員の一人内藤が傍の佐伯に小声で話す。

 『今日は特に凄いわね。主任いびり』

 『何でもさあ、大きなプロジェクトが、ほら、郷田課長の派閥の乱橋常務から、御指名を受けてたのを、専務が横取りしたんだって』

 『しょうが無いわよね。だって、うだつがちっともあがらない主任だけど、奥さん、専務さんのお嬢さんでしょ。』

 『だよね。ここらで、大きな仕事を任されて、一気に部長なんちゃって』

 『あり得る、あり得る』

 『こら!内藤君。佐伯君。仕事中に話をするな!』

 大きな郷田課長の声が響く。

 『どうぞ』

 ノックの後に、最敬礼をして、高村が入室して来る。応接ソファーに座らせると、林専務はその恰幅のいい腹を揺らせながら、言った。

 『どうかね?最近』

 『は、まあ、相変わらず』

 『そうか、まだか…』

 がっかりしたように、林専務は言った。

 結婚5年目にして、誕生しない孫だ。
『はあ…』

 高村は、申し訳無さそうにうつむいた。

 『いやいや。こればっかりはなあ。天からの授かりもの。仕方が無かろう。どうだ?百合子とは上手く行ってるのかい?』

 『は、はい』

 『そうか、所謂父馬鹿と言うやつで、君の家庭に首を突っ込むつもりは無いんだ。勘弁して欲しい。』

 『いっ、いえとんでもないです』

 高村は、言った。

 『いや、今日君をここへ呼んだのは、他でも無い。当時T大学院の教授の道へ進む筈だった君を強引にこの帝国商社に入社させたのは、私だからね。君の学歴、家柄、志茂田学長の親類と言うことで、百合子と見合いさせ、結婚を勧めた私だ。君には、ここらで、実績を作って貰わねばならん』

 林専務は高村の顔を見つめた。高村が、高学歴の有能な人間だとは思っている。だが、余りに欲の無い学者肌の人間で、決して社内では評価が高く無い人物と知っている。高村は自信無さそうに、うつむいた。

 『君も知っての通り、今、乱橋常務と、退任する梶木副社長との後釜を争っていてね。当然順序から言えば私なのだが、彼は今、大きいプロジェクトを任されていて、その事業が成功したら、一気に副社長と言う線もある。その1つを実は私が取って来た。いいかね。君ももうすぐ30歳。ここらで、実績を積めば部次長のポストも出て来る。郷田君には、申し分け無かったが、君を今度のプロジェクトの一員…と、言うより、室長に任命した。私も今度のポストが最後のお勤めになろう。それまでに、君達の将来の為にもここで、足固めをして置きたいのだ。良いかね』

 『は、はい』

林は、叩き上げでここまで来た男。社内では温厚な人柄で、穏健派であるが、悉く乱橋室長とは、折が合わなかった。T大学出の乱橋と、会社の叩き上げ、景気の時流でここまでのし上がった男とは、考え方も。生まれ育った環境も全く違う。

林58歳、乱橋52歳。高村28歳であった。

 『喜一朗君。頼んだぞ。君にとっても、私にとっても、起死回生の大仕事だ。』

 『は、はい…で、でも私何かに…』

 まだ、高村は指名を受けても予想もつかぬプロジェクトの全容が読めず、自信も無かった。

 『弱気でどうする。ま、君は総責任者と言っても、なあに、地上げの8割はもう済んでいる。後は君が、逐一私に相談してくれればいい。何と言っても、町長、議員に寝回し済み、後は一軒、一軒陥落

するだろう。』

 『どこ、ですか?それ程大規模な地上げをすると言うのは…』

 『備前、岡山の西京市の西方町と言うひなびた温泉街だよ』

 『?・・何で、又?』

 『分からんかね?もうすぐ、西京市に

は、中国自動車道が開通し、岡山駅からも約30分の交通の便、そして、温泉ブーム、リゾートブームの今、ここ豊富な湯量を更にボーリングで掘削中。帝国商社だけでなく、既に数社が参入し始めた所だ。

 『…はあ…』

 有能の人物ではあるが、社会の情勢、会社の派閥原理。ともに疎い男であった。林も娘百合子可愛さに、是非この男の足場をつくってやりたかったのだ。

 帰宅した高村をにこやかに出迎えたのは、妻百合子であった。夫婦仲は悪くは無い。温厚で、これと言った趣味も無く、欲の無い高村だから、言い争う事も無い。時々、昔拾ってきた鉱物、岩石の標本を

整理するぐらい。それに対して百合子は何事にたいしても積極的で、林が、常々

嘆くように、喜一朗君が百合子といれ合わせてくれれば…と。良くしたもので、女房が余りに出来すぎても、旦那と言うもの大人物にはなれんと・・か。

 『ねえ、貴方。今日、パパから大きな仕事を任されたでしょ?』

 『君か…。今度の裏幕は。』

 『あら…例えが悪いわね。でも、今度の仕事はね、貴方にとっても、パパにとっても重要な仕事なの。分かるでしょ。私の気持ちも』

 『ああ…ついでに言えば、君の為でもある訳だからね』

 『まあ!ひどい。私達の為でもでしょう』

 いつにも無く、言葉に角があり、高村は機嫌が悪かった。大学院へこのまま進み、鉱物博士として歩もうと言う矢先の学長からの見合い話。百合子の明るさと積極性が嫌いでは無かったものの、そのまま結婚。強引な帝国商事への入社。殆どを勉強と、研究に費やしてきた男の余りにも場違いな、生活。日常は、次第に無気力な男へと、変化していた。敏感すぎるが故の、妻百合子の策略に自分が陥ってしまった歯がゆさもある。誰もが小躍りするこのチャンスにも、高村は心複雑であった。その夜、百合子とのSEXの後も、何となく将来像を見て、眠れない高村であった。

 『どうしたの?貴方、眠れないの?』

 『あ、済まん起したようだね、寝るよ』

 『ねえ、貴方』

 『うん?』

 『赤ちゃん』

 『で、出来たのか!』

 『ううん。でも、もう5年ね』

 百合子は、淋しそうに言った。

 『今日も、専務に聞かれた。しかし、こればかりはな。』

 『そうね…』

 高村は、強く百合子を抱き寄せた。妻が夫に対して期待を抱くのは当然。百合子はどこに出しても恥ずかしく無い立派な妻であり、伴侶なんだ。高村は再び百合子を抱いた。