撒けば散る骨 1

 もうすぐ4月なのにうすら寒い金曜日の夜だった。
 いつものようにマンドリンを抱えて、パブ「コッパーヘッド」に行った。
 週一度、私たちはここで演奏させてもらってる。 もちろん、演奏はただだ。 その代わり、一杯おごってもらえる。
 私はジャンパーを、入り口近くのフックにかけようとしたが、もう一杯だった。

 私の3人の仲間はカウンターに座って、もう一杯やっていた。
 フルートを吹くクージ、フィドル(バイオリン)弾きののジョン、それからアコーディオンのブレンダンだ。 私と同じように、みんな他に職を持っている。
 バーマンが私に気づいて、「なに飲む?」ときいてくれた。
 私は「スタウト、1パイントお願い」と言ってから、フルート吹きの横に腰掛けた。 バーマンはうなづいて、黒いビールをジョッキに用心深く注ぎ始める。
 クージが私の腕をつんつん、とつついた。
「ケイタ。 元気か?」
「元気だよ」
「あんまり飲みに来ないな。彼女できたか?」
「はは、だめだな」
 クージはスイス人だけど、アイルランドの音楽に惚れて移住してきた青年だ。
 難解なイリアン・パイプに夢中になっているが、フルートもティン・ホイッスルもすごくうまい。生真面目な男で、つやつやした黒い髪を後ろで束ねている。そして何かというと、美人の彼女の写真を見せたがる。
 私はビールを飲みながら、こっそり回りを見渡した。キアランはまだ来ていない。



 私たちが店の突き当たりの席に移動するころには、座席満員くらいになっていた。
 始めてしばらくすると、金曜日ということもあって、身動きがとれないくらいに混んでくる。
 磨り減った木の床の上を、どたどたと客が踏み鳴らしてうるさいこと。 熱気がこもって、暑いぐらいだ。 こうなると、トイレにいくのも一仕事になる。

 始めて半時間くらいだったか、調子が出てきたときだった。 威勢のいいリールを三回ずつ3曲演奏し終えて、少しだけ休憩を取る。 私もけっこう汗ばんで、仲間のジョンなんか太ってるから、もう汗だくだ。
 やっぱり気になって、きょろきょろしていると、いつのまにか目の前に壁ができていた。 見上げると赤毛の、馬面の人懐こい顔。 キアランだ。
「よお!」
 よお、じゃないよ。 あんなことがあったのに、電話もくれないで、ほったらかして。 いや、べつにかまってほしいわけじゃないんだけど…………。
 でも、なんだかやつれたように見える。 長い顔がよけいに長く見えるじゃないか。 なんてひどい顔だ。 そう思ったらつい口に出してしまった。
「ひどい顔だな!」
「ほめてくれてありがとう」
「いつもの神父さんたちは?」
「なんだって?」
 この喧騒の中では聞き取りにくいらしく、耳を寄せてくる。
「お仲間は!?」
「その隅っこに小さくなって飲んでるよ!!」
 キアランの見た指差した隅っこに、神父さんふたりが立ったまま飲んでいた。
 ふたりとも大柄で、小さくなってるとはけして思わないが、たしかに飲んでる。
 それから、何を話したらいいのかわからなくなってしまった。 何だか、気まずくて、ずしんと胃が重くなりそうだ。 やつのほうも同じらしく、話題を探しているようだ。 
 こんな思いをするくらいなら、蹴飛ばして噛みついて、逃げ出したほうがよかったのか?

 会話が途切れたまま、クージが再開の準備をしているのが目に入った。
「じゃ、またな」
 するとキアランはぽんと私の肩を叩いた。 いつものことなのに、なぜだか心臓に応えた。

 今度はゆっくり目のホーンパイプで、これも三回ずつ繰り返して1曲。でも次はまた速いリールで、景気よく走りまくって3曲。 終わるころには、汗をかかないほうの私も、チェックのシャツが背中に貼りついてしまう。

 場所を替えて私たちが飲んでいると、後ろの席にいた、腕にイレズミのあるアメリカ人のおじさんがちょっかいを出してきた。
「お前は、日本人なのか? 中国人か? それともサルか」
 もちろん無視した。
 どっちでもいいじゃん、あんたには関係ない、なんてことは言わない。
 ことば通じないふりしようっと。

 それなのにクージのやつ、きっとそいつをにらんで、
「アイルランド人だ。 見てわかるだろ!」
 なんて余計なことを言う。 スイス人のクセにけっこう熱いヤツで困る。
「あんたが日本人というのとおなじくらい、ありえんな」
 なんてアメさんが絡む。 だからやだって言ったのに。
「だいたい、なんでジャップがこんなところにいるんだ? あ〜ん?」
 は、始まった。 次はパールハーバーがどうとか、卑怯だとかなんとかって、怒り始めるんだ。 だから酔っ払ったアメさんって嫌いなんだよ。
 私がしらんぷりしているのに、おじさんはさらに娼婦の息子だの、私生児だのと、汚いせりふを連発している。 
 相当の酒乱だ。聞かないふり、聞かないふり。 なにを吠えたって、こいつは犬だと思えば……腹も立たないよ。
 そのうちにバーマンがやってきて、こいつをつまみ出すはずだから。
「はい、そこまで」
 といっておじさんの腕をねじ上げたのは、バーマンじゃなかった。
「気分悪いんだろ? 外に案内してやるよ、おっさん」
 そういって、キアランは人ごみをかき分けて、酔っ払いを強制排除した。

 私はあわてて追いかけた。
 あれでけっこう血の気が多いから、ぶん殴りでもしたら厄介だ。
 とおもいながら、私は女々しいやつなもんで、けっこううれしかったりする。 こんなふうにかばわれると何だかうれしくなってしまうんだ。
 外に出ると、捨て台詞を吐きながら、酔っ払いが逃げていくところだった。
「ありがとう、キアラン」
 私が声をかけると、キアランはぎろっと私をにらんだ。白い顔が真っ赤になっている。
「お前、たまには怒れ! ナニ持ってるんだろうが! 情けない!」
「え……?」
「あんなに言われて、どうして怒らないんだ!」
「怒って、言い返してどうなるんだい? 殴りあいになって、かなうはずもないし。そりゃ、殴られたら殴り返すかもしれないけどさ。それでもっとぼこぼこにされるんだ」
「……おれならまず張り倒す」
「だめだよ、キアラン。 昔じゃないんだからね」
 どうしたんだろう、いつもより熱い。 沸騰寸前だ。 私は顔を覗きこんで、
「怒ったら、だめだ。 な?」 と言った。
「お前をののしった……」
 いつもは優しい、灰色の目が濁って見える。
 きっと何か、つらいことがあったんだ。 このあいだ私にあんなことをしたのも、それで魔が差しただけなんだ。 きっとそうだ。……それだけなんだ。

「飲みなおそう、キアラン」
 私はキアランの肩に手を置いた。 やつれた顔がゆがんで、何か言いたそうに口を開き、でも黙ったまま、私の腕を静かに外して、歩き始めた。
「おい、キアラン! 送っていくからちょっと待って……!」
 振り向きもせず、歩いていく。 私は店に飛びこみ、自分のマンドリンと、キアランのコートをつかんで、後を追った。
 もう、どうして子供っぽいんだ。 私は少し腹を立てていた。

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