撒けば散る骨  2

 パブを出てすぐに川沿いの道に出ると、私は走った。
 走っているうちに、コートのポケットから手帳が落ちてしまった。
 あわてて拾い上げて、手帳から零れ落ちた写真も拾って見ると、とても古い写真だった。

 赤毛の幼児は、キアランだろう。 それから、若い男女が写っていた。 どう見ても親子の写真だったので私は不思議に思った。
 やつの両親は、ふたりとも黒っぽい髪をしていたし、顔も全然違うからだ。

 しばらくすると、川沿いの通りをゆっくり歩くキアランの、灰色のセーターが見えた。
「お〜い、キアラン!」
 キアランは立ち止まった。
「忘れ物、だよ」
「ごめん」
 ばつの悪そうな顔だった。 でかい図体の彼がそんな顔をすると、本当におかしい。
 キアランは無造作なしぐさで、真っ黒なコートをはおった。
 ひとこと言ってやらなくちゃ。

「お仲間放り出して。 まあ、あの人たちは閉店まで呑んで、歩いて帰れるんだろうからいいけど。とにかくあんたは、血の気が多すぎる。 これから出世していきたかったら、もう少し老獪になれよ」
 キアランは黙って、顔を赤くしていた。怒ったかな?
「でもありがとう。 キアラン」
「な、なんだ」
「かばってくれて。うれしかったよ」
「先にそれいえよ。 もう……」
 困ったような顔。 ふと、さっきの写真の若い男に似ている、と思った。
「バスで帰るつもりだったの?」
「ああ。半時間待ちだけど」
「送っていくよ……明日早いんだろ? 言っとくけど、今日は全然酔ってないからね」

 飲んだあとは、私がたいてい送って行ってやる。 アパートまではすぐだし、海岸ぞいを走ればバスよりずっとはやいからだ。
 私の中古のニッサンは、キアランには天井が低すぎて頭がつかえてしまうので、乗りこむとすぐ座席を倒す。
 ついでにシートも一番後ろにして、それでも窮屈そうにしている。
 ほんとうにタテヨコかさばる男だ。 全然太っているわけじゃないし、顔も小さいんだけど、骨太というか、とにかく場所ふさぎだ。 警官になればにらみが効いただろうに。
 私はその正反対で、どこにでも収まるし誰の脅威にもならない。
 存在感が薄いってことで、自慢になることじゃないけど。

 10分ほどでクロンターフの教会に着いた。
 駐車場は閉まっているので、裏手のほうに回り、教会付属のグラウンドの、並木道に沿って車を止めた。 グラウンドと言ってもただの芝生を敷いただけの空き地だ。 ここでサッカーもできるようになっている。
 グラウンドの周りにはぐるっとマグノリアが植えてあって、街路灯の下で白くぼうっと咲いている。
 助手席のキアランの顔をちらっと見ると、なんだかやっぱり生気がない。
 私はとうとう、踏み込むことにした。
「キアラン、何かあったのか?」
「なにって」
「どうして最近荒れてるんだ? 誰にも言えないことか? あんたは顔に出るからわかるんだ」
 困ったようにキアランは私を見つめていた。
 あいだに薄いガラスの壁があるみたいに遠い。 私はなぜだか悲しくなってきた。
「こないだは顔に出すだけじゃなかったな。……むしゃくしゃしたんだな? あんたも仕事柄いろいろ大変なんだろうからな。 誰だって魔が差すことくらいあるよ。 ぼくだって振られてふらふらしてたから、おあいこだ」
 強いて明るい声で言いながら、鼻の奥が痛くなってきた。
 憂鬱そうにキアランがうなった。
「何を言ってるんだ、ケイタ」
「全然気にしてないよ。 ぼくは、ああいうことに慣れてるんだ。 どうってことないよ。 少しは気晴らしになったかい?」

 私はどうしてこんなことを言ってしまうんだろう。
 自分の体をダッチワイフみたいに言うなんて、卑屈過ぎて、かえって傲慢だ。
 私自身を侮辱して、それからキアランも侮辱している。でも言い出したことは取りかえせない。
 長年の友情もこれで終わるんだろうか?
「たまってきたらいつでもいいな。 じゃな。 お休み。 ちゃんと寝ろよ?」
 私は、早く降りろと言わんばかりにエンジンをかけた。
 キアランは降りなかった。
 すごい勢いで私の襟首をつかんた。 殴られるのだと思った。
 パンチは来なかったけど、そのかわりキアランは手を伸ばして座席レバーを引き、私のシートを力任せに倒した。
 勢いあまって私は飛びあがりそうになった。
「どうしてそんなことをいうんだ!」
 さらに座席を後ろにスライドしておいて、キアランは私を抑えつけて怒鳴った。
「魔が差しただの、慣れてるだの、気晴らしだのって、何を言ってるんだ、ばかやろう!」

 私は硬直したままやつを見つめた。
 ものすごく怒っていた。
 ことばを使う商売なのに、怒りのあまりやつはそれ以上ことばもでないようで、ものも言わずにエンジンを止め、キーを抜いて床に投げた。
 それから私の上に馬乗りになった。
 狭い車の中で、座席とキアランにはさまれて圧死しそうだった。
 しばらくするとキアランは少し体を起こし、私にキスをした。
 目が回るのも、苦しくなるのも、酸素が足りないせいだ。
 
 体重をかけながら、やつが私の口を食う。 人工呼吸をする前みたいに、下あごをつかみ、無理やりこじ開けてくる。
 こんなふうに口を開かせられると、くちびるがつぶれるほど強くキスされると。
 相手が誰だっていやおうなく感じてしまうじゃないか。
 でも優しいことばの一つもないなんて寂しい。
 キスでは終わらなくて、キアランは一気に私のベルトを引っこ抜いた。
 欲情にかられた、乱暴なしぐさだった。
 
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