秋田 2
2006/12/30

夜も8時を回った頃。
秋田は、寮の入り口にある受付で、電話番をしていた。
電話番だけではなく、訪問者の応対もここで行う。訪問者があれば、その相手の生徒を呼び出すのも、電話番の仕事だった。
といっても、電話だ訪問者だと言って、いちいち走って呼びに行く必要はない。
受付の机の後ろには、軍艦に取り付けるような「送声管」がある。
それに向かって名前を怒鳴ればいい。

秋田はそうして、電話番をしながら、翌々日の試験の用意をしていた。秋田がいつもやる手は、ひたすら音読をして覚えてしまうという方法だ。いかにも原始的な方法だが、それでちゃんと点は取れるのだった。
寮では、音読できる場所はごく限られているので、試験前に電話番があたったのはむしろ好都合だった。
静かな夜だった。半時ほどして電報が届くまでは。

電報は、土田に届いたものだった。
「アネ、ヤマイオモシ。キタクコウ」

秋田はすぐさま送声管に飛びついて、大声で怒鳴った。
「土田、電報だ! すぐ来い!」
だが反応はない。こんなときに悠長なことはしていられない。
電報を握り締めて、3階まで一気に駆け上がり、自分の部屋へ飛び込んだ。
「土田! おい、いないのか! 大変だぞ、電報だ!」
部屋は暗かった。

「風呂にでも行ったか」
「いますよ、ここに」
少し低めだが、どこか線の細い声が聞こえた。土田の声ではない。
秋田は声のしたほう、つまり、寝台のほうへ顔を向けた。
カーテンを開け放った窓ガラスごしに、月の光が差していた。その薄い明かりに照らされて、白い顔が見えた。細い肩と、その下に誰かが横たわっているのも見えた。

「土田さん、起きて……ほら。電報だそうですよ」
男は、体の下に組み敷いたものを揺り動かしながら、目は油断なく秋田を見つめていた。
視線を外すのも恐ろしかった。その暗い目の色は、一目見たら忘れられない。

男は「ちょっと待って」というと、恥かしげもなく、枕もとのランプをつけた。
ほのくらい裸電球の下で、何が行われていたのかが、一気に明らかになった。。
ベッドの下に、脱ぎ捨てられた服が散らばっている。秋田はそれらを呆然と見つめた。
そして土田は手を寝台の外にだらんと垂らしたまま、目をつぶっていた。

「土田さん、起きて」
だが、土田は目を覚ます様子がない。寝ているのか、それとも失神でもしているのか、ぴくりとも動かない。
「仕方ないな」
男はくすっと笑うと、ぐいと体を動かした。
「これでも起きないか?」
そのときようやく土田がうめき、「……かなめ……もっと……」と言うのが聞こえたのだった。
「うん、後でね。でも、今は電報を読んであげて。せっかく秋田さんが持ってきてくれたんですから」
土田はようやく顔を上げて、秋田を見つめた。長く視線を合わせることは耐え難く、秋田はうつむいて、ただ用件を告げた。

「電報を持ってきた。ここに置いておく」
秋田は短くつぶやき、土田の机に電報を静かに置くと、きびすを返して出て行こうとした。
後から土田が何かいうのが聞こえたが、立ち止まらず、ドアを閉めた。

走ってきた階段を、また走って1階まで降りて、入り口の受付にへたりこんだ。
体の震えはまだ止まらなかった。
あの男の白い顔、土田のみだらに緩んだ頬、汗と精液の入り混じった臭い、それら全てがとにかく、恐ろしかった。
今逃げ込めるのはここだけだ。あと1時間はここで居られる。
そのあとはそ知らぬ顔をして部屋に戻り、平気な顔をして寝ればいい。
何も見なかったことにして。そう、きっと可能だ。それが大人の対応というものだ。

震える手でテキストを持ち上げ、試験勉強をしようとした。だが、無理だった。
見たものを頭の中から追い出そうとするほど、それらは目の前に蘇ってくる。
(だめだ。吐きそうだ)

もう見たくないのに、秋田の脳が心を裏切りつづける。果ては、実際には見ても居ない場面まで、秋田の目の前に映し出される。

両目をくりぬいて、流れる水で洗い清めたい。
鼻の穴を清水で洗って、この匂いの記憶を消したい、と秋田は激しく思ったことだった。


秋田 3
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