剣士オルナンのつぶやき 1

December 04, 2005

酒飲みを自認しているおれに向かって、ルイーズはいつも言う。
「オルナンさんは、あまりお酒に強いほうではないから、飲みすぎると体を壊しますよ」
そして色っぽい流し目とともに、こう付け加えるのだ。
「飲むとすぐ赤くなって。心配だわ」
たしかにそうかもしれない。赤くなっているかどうかはわからんが、少し酒が入るとすぐ眠くなり、カウンターに肘を付いて居眠りをしてしまう。
ルイーズの美しい顔を間近に見ていたいのに、酒が入るといつもこうだ。残念だ。

「オルナンさん、赤いビールなんていかが?」
ルイーズはそう言って、赤い色の酒を置いてくれた。顔を寄せると、スパイスのような遠い異国の香りがした。

それを半分くらい飲んだころ、いつもサロン2階にいるミドルポートの楽師……エチエンヌという名だったか、リュートを持って下に下りて来た。
「ラインバッハ様がよくお眠りになれますよう」
若者はリュートを演奏しながら歌い始めた。
「眠れるように」というとおり、声量は控えめだだし、上品過ぎるリュートの音色も、おれには子守唄そのものだ。
一曲聴き終わるより前に眠気が襲ってきた。


どれくらい居眠っていたか。ふと寒気がして目が覚めた。
ずっと足を縮めていたので、腰から足にかけて痺れが来ていた。
「えいくそ、どっこいしょっと」
何気なく身じろぎをすると、足に何か硬いものがぶつかる感覚があった。
「あっ!」という男の叫び声が聞こえ、何かが割れる音がした。
驚いて目を開けると、足元にデスモンドが転がっていた。
そしてその前には、ガラスの破片が散乱していた。

酔いも一気に覚め、背中に寒いものが走った。転がったデスモンドは、その姿勢のままおれを見上げた。その恨めしそうな目といったら……。
「おやおや、大丈夫ですか、デスモンドさん」
めがねを掛けたイーゴリ氏があわてて近寄ろうとする。
「私は大丈夫です。ルイーズさんのグラスが割れちゃったけど」
デスモンドは起き上がると、床に這い蹲るようにして、粉々に割れた破片を拾い始めた。

正直、しまったと思った。悪気がなかったのだが、相手が悪い。
「悪気はない」では通りそうにない。
おれたち二人は、ルイーズをめぐっていがみ合っている相手なのだ。

だがここはもちろん、謝るところだ。
「すまなかった。おれも手伝おう」
そう申し出たのだが、デスモンドは「結構です」ととがった声で答えたものだ。
なんだ、せっかく謝ったのに愛想のない。
ちょっとむっとしたおれは、ろれつの回らない舌でこういった。
「すまない、つい足が出た。足が長すぎるのもやっかいだな」

デスモンドは、手に持っていた破片を取り落とした。そして立ち上がったときには、やつの目は完全に据わっていた。
長い足、というのが、ヤツの逆鱗に触れてしまったらしい。確かにやつの足はあまり長いとはいえないのだが、そんな劣等感を刺激してしまったかもしれない。
だがデスモンドに与えた影響は劇的だった。
「わざと足を出したんですね」 

「もちろん、わざとじゃないぞ」
「わざとじゃなくて、つい偶然足が出たってわけですか。うまい具合にね」
デスモンドはいやな感じに目を細めた。
「以前ここで、イスに画鋲が置いてあって怪我をしたことがあった。あれもあなたが、つい偶然落としたんですよね?」
おれはあわてた。
「画鋲って何だ、そりゃ。おれは知らん。見に覚えがないことだ」

デスモンドは鼻でせせら笑った。
「おや大変だ。無駄飯食いの上に、痴呆まで出てきたんですね」
無駄飯食い! 痴呆!
おれは立ち上がった。気が付いたら、手が出ていた。
平手打ちではあったが、デスモンドの頬が見る見る赤くなった。

やつからの無言の反撃は、本気のこぶしだった。
せっかくこっちが手加減して平手打ちにしてやったのに、ヤツは固めた拳で、それもアゴを殴ってきやがったのだ。それが意外と強くて、おれの体は2メートルくらいぶっ飛んで、壁にぶち当たった。おれは怒り狂って吼えた。
「許さん、表に出ろ!」
「望むところです。決着をつけましょう!」

「な、何してるの二人とも。酔っ払いの喧嘩なんて、全然らしくない。どうしたのよ、変なものでも食べたの!」
変なものを食べたといえば、今日の晩飯はにんにくがたっぷり入ったトマト味の激辛パスタだった。唐辛子は戦闘意欲を増すのだろうか。
ルイーズがおろおろした声で言うのも聞かず、おれたちは階段を上り、甲板に出た。



夜風が涼しく、空に星が出ていた。
いい夜だ。こんな甲板で、いい女と酒でも飲んで、恋を語れたらどんなにいいか。
だが目の前には、おれより一回りも若く小柄な、黒い髪の男が立っている。
戦士ではない。魔法使いですらない、オベル王家の家臣で、やつの仕事は仲間の名簿を管理し、どこからか兵糧を調達してくることだ。

「えっ、喧嘩? デスモンドさん? ありえない!」
けたたましい声はジュエルだろう。
「どうする、ケネス。いいねただが、記者を呼んできてやるか?」
「それよりユウ先生を呼んどくべきだ。こりゃ血を見るぞ……」
今のはガイエン騎士団員のタルとケネスだろう。

頭の芯が、すっと冷えていった。
(おれは何をしてるんだろう)
何をしているんだ。敵でもなければ戦闘員ですらない、こんな無力な男を前に。

「抜きなさい、オルナン」
デスモンドはそう言い放つと、やる気満々で呪文を唱え始めた。
何がどうしたというくらい、強気だ。
右手から赤い光がゆらゆらと立ち始める。しかもやつの頭から何か赤いものまで出始めている。

おれはこぶしを握り締めた。手の平には冷たい汗が噴出していた。
非常にまずい。こっちは酔って足元も覚束ないが、訓練を受けた戦士だ。人を殺したことも、一度二度ではない。
本気で戦ったらこいつを殺してしまう。こいつも、一応仲間なのだ。
とはいえ、相手が本気で紋章技をぶつけてきたら、こちらも無傷ではすまない。
(おれも焼きが回ったか)

「デスモンド、何をしている」
機嫌の悪い声が聞こえ、オベルの王が現れた。
デスモンドの顔色がさっと変わった。やつの右手から出ていた赤い光が消えた。
「まさかと思うが、これは果し合いか?」
デスモンドはもう、真っ青だ。何かを言おうとして口をぱくぱくさせているが、声も出ないようだ。
しかしこっちは、正直ほっとしていた。このときばかりは、人相の悪いリノ王が天使に見えた。
「リノさま、果し合いではないんですよ。ちょっと食いすぎたんで、軽く腹ごなしの運動に付き合ってもらってるんです、それだけですよ」
即席にでっち上げた、、見え透いた言い訳だが、これで通さなければならない。

「それならいいが」
王は疑わしげにデスモンドを見ている。おれには目もくれぬ。
「ところでデスモンド。仲間同士の決闘を禁止にしては、と言い出したのはお前だったな。言い出した本人が破ったら、示しがつかんだろうな。で、やはりオルナンの言うとおり、これは単なる腹ごなしの運動なのかい?」
デスモンドは、オベル王の前にひれ伏した。
「はっ、オルナンの言うとおりです」
「そうか。わかった。ま、そういうことにしておいてやるから、夜ももう更けた事だし、二人とも寝ろ」
あっさりそういうと、引き上げていってしまった。オベルの王は厳格に見えるが、存外、自分の部下に甘いのかもしれない。それとも恩を売ったということか。どっちにしろ、おれとしては依存はなかった。

こんな月の夜に、仮にも仲間である相手と殺し合いをするのは、いかにも野暮というものだった。




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