剣士オルナンのつぶやき 7


デスモンドが病室から戻った日を境にして、おれの生活は少し変わった。
用もないのにサロンから出て行って、第二甲板を覗くのが日課になった。やつはたいてい、そこにいるが、おれを見ても軽く会釈する程度で、言葉などは発さない。
おれはエレベータ専門家のマニュのそばに行き、どうでもいい世間話をしながら、目の端でやつの動きを追う。

108星の表の前にいるオベルの男は、けして暗く沈みこんでいるわけではない。
セツの部下ではあるが、実質やつが一番働いており、何かを尋ねに来る人間も多いが、そのたびに必ず親切に応対している。

デスモンドはその場に座り込んで、分厚い帳簿に目を通していることもある。何かの紙束を抱えて、作戦室から出てくるときもある。この作戦室が事務室代わりなのだろう。
甲板に出て、積み込んだ食料品を検品しているときのやつの目は鋭い。
出入りの商人に応対するときは、1ポッチでも値切ろうと必死だ。

そして疲れてぼんやりしているときは、間抜けな面構えをしている。

言い訳はやめよう。おれは、やつから目が離せないという病気にかかっていた。
実に、ルイーズは動じない女だった。毎日おれにじろじろ見られていても、何の苦にもならないようすで、穏やかに微笑んでいたからだ。

だがデスモンドは違った。

ある日、作戦室から出てきたデスモンドは、おれを見てついに顔色を変え、手に持った書類を落とした。
その辺一面に、金額を書き込んだ領収証と思しき紙切れが散らばった。
「あっ、大変。拾わなくちゃ」
まず若いビッキーが反応した。
「おや、落ちましたよ」
エレベータの前で居眠りをしていたマニュ氏も、足元に飛んできた領収書を拾いあつめている。ラクジーもあわてて飛んできて、小さな手の中の書類を差し出した。
それらを全部受け取り、丁重に礼を言ってから、やつはおれのほうに向き直った。その顔は完全にこわばっており、普段の穏やかな笑みはない。
そして非常に硬い声で、「お話があるので、ちょっと作戦室へお願いします」と言った。

デスモンドに促されて作戦室に入ると、やつはおれの後ろでドアを閉め、外から開けられないようにかんぬきを掛けてしまった。

(おい、そんなことをしていいのか?)

心臓の拍動が速くなった。
デスモンドにとっての身の危険を感じた。おれは何をするかわからない。久々に感じるこのスリリングな感覚、遠い昔の打ち上げ花火がまた戻ってきた。

「そこに座ってくれますか。お話があるんです」
おれは、部屋の隅に並んだ会議用の椅子に腰をおろした。
デスモンドは手に抱えた書類を、一段高くなった舞台の端に置くと、おれのすぐそばに腰を掛けた。
座ってみれば、立っているときほどには背丈の違いは感じない。なるほど、脚が短いといわれて怒ったはずだ。

それでもデスモンドの丸い頭頂の、少し白くなった頭髪の根元は、はっきりと見える。

しかもつむじが二つもある。なるほど、と思わず心中頷いたことだった。
気弱そうに見える一面、おれには歯を剥き出しにして、オベル人らしい血の熱いところを見せてくれるのも、このつむじのせいか。
いかん、変なところで感動してしまった。顔がにやけるのが抑えられない。それをデスモンドは気味悪そうに見つめていた。
おれは咳払いをして、マジメな表情を作った。

「体の調子はどうだい」
「私ならこのとおり、もうすっかり元気です。私のことはご心配なく」
「それは重畳。で、今日はおれに何の用だ?」

デスモンドは驚いたように目を見開いた。
「何の用って、こっちが言いたいですよ。この間までサロンに入りびたりだったのに、なんで突然出てきて、私の周りを歩き回るんです? しかもじろじろ私を見て」

怒りを抑えながらおれを見る目は、あまりに黒く、藍色に見えた。あまりに黒く不透明で、虹彩の筋も見えない。磨き上げた石炭のようだ。
特徴のない、気弱そうな顔立ちなのに、目の色は剛毅な土着のオベル人のものなのだ。
丸木舟一本でどこまでも旅をして、銛一本で巨大な魚と戦ったという、血が熱く勇敢な海の民。
その成れの果てであるデスモンドに、かっての父祖の力はない。だが、おれに敵意をむき出しにするときだけは、血が熱いところを見せてくれる。
そして彼を怒らせるのが楽しいおれは、いったい何を欲しているのか。

「きみの体の具合が気がかりだったからな。つい見に来てしまうんだ」

デスモンドは膝の上でこぶしを握り締め、不愉快そうに頭を振った。

「やめてください。あなたに観察されてると、かえって具合悪くなりそうです」
「わかった。君の言うとおりにしよう。本当に申し訳なかった……先日のことも謝らせてくれ」
デスモンドはぽかんと口を開けたまま、1,2秒くらいおれを見つめていた。
「君には酷いことをしたと思っている」
オベルの若者は(30歳、おれから見たらまだ若造だ)少しだけ表情を和らげた。

「不可抗力だったですから。お互いひどい目にあったと思って忘れましょう」
「おれがうろつくと、目障りだっただろう」
「目障りだなんていいたくないけど、普通にしててくれたらありがたいですね。あんまりあなたに見られると、思い出してしまいますから」
「ときどきは思い出すなら、どんな感じだった。教えてくれ」

デスモンドの幾分日焼けした顔が、赤黒くなっていった。多分怒ったのだろう。

「おれは、途中からしか意識がない。ずっとルイーズを抱いてるつもりで、きみを抱いたからだ。だがあれは、きみの体だった」
「やめてくれませんか」

おれはやつの少し受け口気味の唇を見つめていた。控えめなベージュ色をしているのだが、少し厚めで、無防備で、もっというと官能的だった。
それを官能的と見たのはおれのせいで、やつのせいではない。ともかく、おれの体の中に凶暴な火が点って、自分ではもう消すことが出来ないのだった。

「40年以上生きてきたて、あれほど良かったと思ったことはない。運命的とも言える。いっそ最後まで続ければよかったと思うくらいだ。きみは正直どうだったんだ」

デスモンドは真っ赤になって、おれをにらみ、「それを聞いてどうするんですか」と言った。
「後学のため聞かせてくれ」
「それなら言うけど、最低でしたよ。一刻も早く忘れたいほどにね!」

顔の左右にはねている黒い髪が、かすかに震えていた。さほどに怒りは大きかったのだろうが、おれは口をつぐまなかった。

「最低だったか。それは申し訳なかったな。次回は注意しよう」
「次回……」
「もう一度試してみたい」

デスモンドは今はもう、白目の部分まで真っ赤になっていた。
「これ以上私を侮辱したら、その舌を引っこ抜きますよ!」
「むしろ舌を吸われたいと思う」
デスモンドは、ばっと立ち上がり、ドアのほうへ逃げかけた。

おれは飛び上がって、逃げるデスモンドを捉えた。デスモンドは例によって、役立たずの紋章魔法を使おうと右手を挙げた。
「わが火の紋章……」
おれはやつの手首を掴んでやった。
「こんなところで火遊びはいけないな」
おれは、わが唇でもって、デスモンドの詠唱を封じてやった。やつは驚愕のあまり、これ以上ないくらい大きく目を見開いていた。
口の中に舌など入れられたことがないのだろう。誰かに強く抱きしめられたことすら、今までにほとんどなかったのかもしれない。

やつの後ろ首を捕らえた手の平に、非常に早い脈拍が伝わって来た。未だ、ムササビに化かされているというのなら、化かされているままでもかまわない。
あのときに得た恐ろしい快楽の正体を確認したい。

おれはデスモンドの太股に脚を絡ませ、地味な服の前に手の平を滑らせた。やつはおれの無体をやめさせようと手首を掴んだが、力が入っていなかった。

「ほっといてくれたらよかったのに」
やつは小さな声で言ったが、それが最後だった。
デスモンドはいつのまにか目を閉じてしまい、何も見まいとしているようだった。力任せに抵抗すればおれを止めさせられただろうに、デスモンドはそうすることを選ばなかった。

無意味に腰に巻いている帯を解いて、ズボンの中に手をつっこんでも、やつはもう抵抗しなかった。抵抗しないは同意したと同じことで、かわいそうだとは思わなかった。

水溜りに張った新しい氷を見て、踏み破りたくない人間がいるだろうか。足跡のついていない砂浜を見て、踏み荒らしたくない人間がいるだろうか。


剣士オルナンのつぶやき8

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