きみのいる島へ帰ろう

October 15, 2005


「やれやれ。やっと終わった……」
スノウ・フィンガーフートは剣を振って、血を飛ばした。
ふさふさの最後の一匹が特にすばしこく、止めを刺したものの、スノウの手足は傷だらけになっていた。

スノウはポケットからタオルを出して、額の汗をタオルでぬぐった。
真っ白だったタオルに、ふさふさの血がべっとりついた。
若者はかまわず、大きな木箱にふさふさの死骸を放り込んだ。これらのモンスターは、これから道具屋へ運び、買い取ってもらう。毛皮の材料になるのだという。そのため魔法などは使わず、かならず剣でしとめるように言われている。
剣でしとめてばかりで、したたかに返り血を浴びていた。この姿で表通りを歩くのは勇気が要るだろう。
(着替えくらい持ってきたらよかったよ)

ため息をついて見上げたところで、黒い髪を結い上げた若者と目が合った。ほっそりした姿勢のいい体に、騎士団員の制服がよく似合っていた。
「なんだ、ケネスか……」
ケネスは目だけで微笑んだ。
「何だはないだろ? 調子はどうだ」
「見てのとおりさ」
スノウは手押し車に満杯になった、茶色いモンスターの死骸を足で示した。
「……これを道具屋に運んで、今日のお仕事は終わり。毛皮用だ」
ケネスはそれを真剣な表情で見つめていた。
「中身の肉はどうするんだ」
そう聞いたとたん、喉にこみ上げるものがあった。
「知らないよ」
スノウは歯を食いしばり、モンスターの山から目をそらした。自分でしとめたとはいえ、見るだけで吐き気がしてくる。しかもそれを食べるだの何だのという話など、聞きたくもない。
「気分悪そうだな」
「そんなことないさ。これくらい」

そう答えたとたん、胃液が逆流するのを感じた。スノウはうずくまり、モンスターの血のついたタオルで口を覆った。
朝も昼もろくに食べていないので、出たのは胃液だけだった。
ケネスは黙って背中をさすってくれていたが、やがて「この仕事、いつまでやる気なんだ? やってて面白いか?」とつぶやいた。
「面白いとか、面白くないとかじゃない。これだけ増えたらみんな困るだろ?」
「ちゃんと食ってるのか? やせてるぞ、スノウ」
「食べようとは思うけど、あんまり食欲がないんだ」
「何ならこれから何か食いに行くか? おれがおごるから」
ケネスは(金がないから食べられないのだろう)と誤解したらしかった。そういう問題ではない。
スノウも、自分でもなぜかよくわからなかった。オベルから追い返されてから、食欲というものがまったくなくなっていた。

「いいよ。それより、とりあえず道具屋へ行かなきゃ」
「手伝ってやるよ」
ケネスは手伝うといいながら、荷車の前に回って、力を込めて引っ張り始めた。
「ありがとう、ケネス」
「なんだ、このふさふさ、けっこう太ってないか。フンギだったらうまく料理してくれそうだ。骨のスープとかな! 騎士団員も増えたし、台所が大変なんだよ」
珍しく饒舌にしゃべっていたケネスが、ふと立ち止まった。
「おい、イリスじゃないか」

数メートル前方に、夕日を浴びてイリスが立っていた。
ケネスは驚いてイリスに叫んだ。
「来てたのか? 久しぶりじゃないか、元気にしてたか」
イリスはケネスには答えず、足早に近づいてきた。笑顔はなく、目も二つの青い穴のように空ろだった。
「ずいぶん探したよ、スノウ」
スノウは、びくりと体を振るわせた。声が別人のような響きを帯びていたからだ。
左の手の紋章が、赤黒い光を放ち始めていた。
「相手は、ケネスか?……どういう好みだ。けど、どうでもいいんだ。相手が誰だろうと同じだからな」
左手の紋章が、いっそう赤く黒く燃え上がった。空ろな青い目に、殺気だけがみなぎっていた。
「……そこを動くな、スノウ……」
「走れ、スノウ!」
ケネスはそう叫ぶなり、スノウの腕を掴んで走り始めた。ケネスは足が速い。だが道の中ほどまで逃げると、はじかれたように倒れてしまった。
足元にはイリスの剣の鞘が転がっている。イリスがそんなものをケネスに投げつけたのだ。
「ぐっ……この野郎、イリス!」
その倒れたケネスの背中を、イリスは無造作に踏みつけていく。まるでケネスなど目に入ってないかのようだ。
「逃げるだけ辛くなるよ、スノウ」
「やめないか、イリス、冗談きついぞ!」

背後からのケネスの叫びなど、イリスの耳に入ってない。スノウは壁際に倒れこみ、近づいてくるイリスを震えながら見上げた。
「イリス、やめて、ぼくの話を聞いてくれっ」
イリスは答えなかった。左手の紋章の光はますます強くなっていた。無数の亡者が恐ろしい声を上げ始める。
右手でスノウの体を抱きしめると、壁際に押し付けた。その間も呪文は止めない。
イリスとスノウの周りに、赤い輪の炎が渦巻き始めた。この輪はいやというほど見たことがある。諸刃の剣といって、ランダムに8回、罰の魔法が落とされるのだ。
彼はスノウを抱きしめたまま、自分の上にそんなものを落とそうとしていた。
呪文が終われば、8回も無慈悲な攻撃が降ってくる。壁際にうずくまり、抱き合ったまま二人とも消炭になる。
「やめて、イリス! 怖い、怖い、怖い!」
スノウはイリスにしがみついて、悲鳴を上げた。
「死にたくない! いやだあぁあ!」

「………できるわけない!」
少年は悲痛な叫びを上げて、振り上げていた左手を握り締めた。足元に渦巻いていた不吉な光は、音もなく掻き消えていった。
「ごめん、スノウ」
息が荒かったが、ようやく正気に戻った声でもあった。
「ひどい、ほんとにひどい、イリス。怖かったんだからな」
「許してくれ」

次の瞬間イリスの頭が派手な音を立てた。
「やめろっていうのに!」
ケネスが、まさに真っ赤に怒りくるって立っていた。手には、イリスがケネスに投げつけた剣の鞘が握られている。
しかしイリスを見て、「正気に戻ったか」と鞘を放り投げた。
「おれの前で暴力行為は許さない。だいたい、お前らしくないぞ」
「ごめん、ケネス」
スノウはケネスに謝りながら、イリスの頭を探ってみた。やわらかい髪の中に派手なこぶが出来始めていた。
「なんでスノウが謝るんだ。おい、イリス。こいつが何をしたのか知らないが、棺おけにいれて送り返すってのはどうなんだ」
少年は妙な顔をして聞き返した。
「棺おけ?」
「棺おけだ。手足を縛られて、顔も腫れていたぞ。人道上どうなんだ。団長はオベルに公式に抗議するとおっしゃったくらいだ。おれは、コトを荒立てたらよくないと申し上げた。だがもう言わせてもらうぞ、こいつはラズリルの市民だからな」
「やめてくれ、ケネス。イリスは関係ないんだ」

聡い少年は、しばらく黙っていたが、何かを察したらしかった。怖い顔でスノウの肩をつかんで迫った。
「誰がやったんだ」
スノウはきっぱりと首を振った。
「きみには言えない。だけど、それが誰であれ、イリスのためを思ってしたことだ。だから恨んではいけないし、ぼくも恨まないことにしたんだ」
少年は青ざめた顔でつぶやいた。
「あの手紙は、スノウが書いたんじゃないのか? 『ほかに好きな人がいる』って書いてあったぞ!」
スノウはデスモンドのことを思い出し、ひきつった笑いを発した。『私からよろしく言っておきます』と言っていたのは、偽の置手紙を置くことだったらしい。実にオリジナリティのない男だ。
「ぼくが書いたんじゃない。一度も家に帰れなかったもの」
しばらく体を震わせていたイリスは、こぶしを握り締めて叫んだ。
「それなら、なんでラズリルに帰ってるって教えてくれないんだよ! せめて鳥とか飛ばして知らせてくれたら、迎えに来れたんだよ! おれはきみの何なんだよ。わかるか、天国から地獄だぞ! 天国から地獄だ、立ち直れねえよ、ちくしょう!」

ケネスはあっけに取られていた。感情をむき出しにして大きな声を出すイリス、というのを、はじめてみたからだろう。
あきらかに痴話げんかになっているので、それもショックだったらしかった。
「お前たちって」
そういったものの、賢いケネスなのでそれ以上は言わない。
「おれは、はずしたほうがいいみたいだな」と二人に言うと、逃げるようにいなくなった。

裏通りには、イリスとスノウだけが残された。スノウは、少年の左手を両手で包んだ。手を取ったとたん、熱がスノウの手に移るような力のあふれる手だった。
「とても会いたかった。だけど、ぼくはオベルには戻れないんだ」
「……おれを嫌いなのか?」
「好きだよ」
少年の手はかっと熱くなった。
「イリスとずっと一緒にいたかった。だけどぼくらは、一緒に暮らしていてはだめなんだ」
イリスは目を伏せた。
「好きだといったり、暮らせないといったり……なんでなんだ。おれにはわからない……」
「ぼくは、きみにぶら下がって、かばわれて生きていくわけにはいかない。自分で立てない駄目な人間になる」
スノウは、イリスの肩に手を置いた。それは、スノウが知っていた少年の肩よりは、かなり薄く感じられた。自分と同じように、わずかな間にずいぶん痩せてしまっている。
「おれといると、駄目な人間になるっていうのか?」
「きみの将来にも邪魔になるんだ。詳しくはいえないけど、わかってくれ。きみはオベルで暮らしていくんだ。きみはオベルの子なんだから」
イリスはきつく唇をかんだ。
「スノウが帰らないのなら、おれもオベルには帰らない。スノウがいるから壊れる将来なんて、こっちから願い下げだ」
手も熱ければ、頭にも血が上っているらしかった。
「ねえ、イリス。少し歩こうか?」
スノウは、かたくなな少年の手を引いて歩き始めた。港に出たところでそっと手を離し、並んで歩いた。

港には、イリスが乗ってきた船が停泊していた。水夫たちがうまそうにタバコを吸っている。
それに物売りが駆け寄っていく。女たちが秋波を送り、水や保存食料を詰めた樽が、次々と運び込まれていく。そして、オレンジや野菜を載せた荷車も、次々に船に吸い込まれていった。
船のまぶしい光、港の活気は、港町で育った二人には心が躍る、なつかしい風景だった。
そしてオベル船の帆は灯りに浮かび上がって、ため息の出るような美しさだった。

「港は海でつながってる。このむこうにオベルがあるんだね」
スノウはまた、そっとイリスの手に触れた。今度は少年は握り返してきた。
「ぼくはここできみを待っているよ。会いにきてくれるだろ?」
「スノウ」
「ぼくはオベルには入れないけど、きみはラズリルに来れただろ? 何日ぼくの部屋に泊まっていっても、『友達』なんだもの。おかしくないよね」
イリスは顔を赤らめた。
「泊めてくれるのか」
「当然だろ?」
「だけどそれじゃあ、帰るときが辛すぎる」
「次に会うときが楽しいじゃないか。そのためにがんばれるじゃないか? ねえ、世界中の船乗りはそうやって生きてるんだよ」

イリスはそわそわとスノウのようすを見つめた。
「だけど、一人になったら、きみは他のヤツを好きになるかもしれない。ほかのやつだってスノウを狙うよ。さっきだって……ケネスのやつ、何しに来てたんだ? 気をつけろよ。隙を見せちゃだめだぞ」
スノウはくすくす笑った。
「そんなふうに思うの、君だけだよ。ケネスは心配して来てくれただけ。それに、ぼくは心がとっても狭いんだ」
「え?」
若者は、少年のごつごつした手をとり、胸に押し当てた。
「この中に入れるのは、イリスだけだ」

(FIN)


「オベル白い花の祭り」へ続く。。。

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