東の拝殿 1
2006/08/27
スコールが来そうな、暑い昼下がりだった。
フレア姫とデスモンドは、兵士の後に続いて哨戒船から下船した。2ヶ月ぶりの故国である。
オベル王女は気さくな人物なので、桟橋でも島民が気安く声をかけてくる。気さくにそれに答える彼女の軽い足取りが、人だかりのところに来てピタリと止まった。
珊瑚礁の岸壁に、男が引き据えられている。
両脇を兵士に抱えられて、これから海に放り込まれる犬のように怯えている。色白な整った顔が、干からびたヒトデのように蒼白になっていた。
男の名はハルトといい、腕のいい航海士であり、海図を作ることに長けている。身だしなみのいい男だが、髷がすっかりほどけて、肩まである髪を振り乱していた。
「お帰りなさい、姫様、デスモンド様。哨戒、お疲れ様でした」
「ありがとう。……ところでハルトは……なぜこのような?」
「このものは重い罪を犯し、これから哨戒船で強制労働です。王が許すまでオベルには入国できません」
姫は、兵士の指差す方角にすばやく視線を送った。フレアたちが乗っていたのとは別の、オベル王国旗を掲げた哨戒船が出航を待っていた。
「重い罪とは?」
「不敬罪です」
フレア王女はハルトの前に行き、体をかがめると、優しい声で呼びかけた。
「……ハルト、私がわかる? 何があったの?」
放心したようなハルトは全く反応をしない。王女に顔を覗き込まれても、泣きはらした目を伏せようともしなかった。黒っぽい目は、どこも見ていないように虚ろだった。
「不敬罪とは大それた罪ですが、具体的には何をしたんですかね?」
デスモンドは見かねて兵士に声をかけた。ハルトとは、小心者のデスモンドから見てもまだ気弱な男だ。そんな人間が、追放されるほどの罪を犯すとは思えなかった。
すると兵士は首を振った。
「ただ、人の道に外れた、ふしだらな振る舞いがあったと聞いております。これは王の命令です」
これを聞いても、デスモンドにはまだ合点がいかない。
ハルトは普段はおっとりしているが、舵を握ると別人だった。敵を浅瀬に乗り上げさせたり、鎖で罠を張っていた海域に敵を誘い込んだりと、攻撃的な操船をする。ただ普段は怠けてばかりで、よく思わないものも多かった。
そのハルトをかばっていたのは王だった。怠けていると非難されても、王は必ず彼をかばった。
デスモンドすら正直、軽い嫉妬を覚えたこともある。
(特殊な才能を持つとは幸せだな……)
だがマネをしたいとは思わなかった。じっと図書室で海図を眺めているのは、いかにも退屈そうだった。
「時間だ、来い」
若者は抵抗もせず、自分で歩くのもままならず、ただ兵士に引きずられていく。公衆の面前で、かっての戦友へのこの仕打ちは無残である。
デスモンドは兵士に再び声をかけた。
「少し待っていただけませんか。このままじゃハルトは身投げでもしそうだ。事情を王にお聞きしてくるまで……」
「王のご命令です。お控えください、デスモンド殿」
兵士の冷たい物言いに、デスモンドもそれ以上何も言えなかった。デスモンドは所詮、下級の役人だ。王の下した裁きにとやかく言える立場ではない。
(明日はわが身か?)
デスモンドが肩をすくめたとき、ずんぐりした体つきのたくましい男が、大声で叫びながら走ってくるのが見えた。
追いすがる兵士らをふり払い、大声でわめいているのだった。
「棟梁、お待ちを! もうどうにもなりません、あきらめてくださいっ」
「放せ!」
そちらの顔にも見覚えがある。船大工棟梁のトーブという男で、同じく戦友である。
「親方、どうなさっ……」
トーブはデスモンドの顔を見もしなかった。デスモンドを突き飛ばし、再び叫ぶ。
「どこだ、ハルト!」
ハルトは、すでに船の甲板に乗せられていたが、兵士に押さえられながら顔を見せた。それどころか、船から落ちそうなほど身を乗り出して、トーブ、と叫んだ。気が触れているわけではないらしい。
「待っていてくれ、船が仕上がったら必ず追いかける! おれも哨戒船に乗るぞ!」
ハルトは静かに首を振った。
「無理だよ、トーブ」
「ハルト!」
「……だって、オベルで一番の船大工を、あの方が手放すと思うかい……」
それからハルトはうつむき、再び顔を上げた。血の気は引いているが、不思議に凛とした表情だった。
「後悔などしていない。たとえもう棟梁に会えなくても、あのカンザシに誓って、」
それを言い終わらないうちに、後から殴られでもしたのか、ハルトの姿は見えなくなった。
「ハルト、ハルト、ハルト!!」
そういうなり、船大工は地に付し、号泣し始めたのだった。
「何があっても生きててくれ!」
(そういうことか)
デスモンドはそっと額を押さえた。彼らは互いに夢中になり、大切な仕事を怠ったのだろう。
太古の伝説の、織り人と牛飼いのようなものだ。たしかに、船大工が色ボケしてはまずい。恋に狂った頭で、妙な船を作られてはたまらない。引き離すのもやむをえない。
(それでもこれは、下手なやりかただ。)
こんな愁嘆場を公衆の面前で演じさせては、王の名に傷がつく。
(何でこんなのばかり見せられるのだろう?)
こんなの、というのは、男同士の恋愛沙汰のことである。
ただ、男色行為が罪になるかというと、そんな法律はオベルには存在しない。
戦後すぐ、イリスと問題を起こしたスノウをラズリルに強制送還したが、それは相手が悪かっただけのことである。
相手がイリスでなければ、捨て置かれただろう。
デスモンドは、小さな声でフレア姫にささやいた。
「何かあるのかもしれません。私たちも自重しなければ。とばっちりを受けないように」
フレアは頷いた。
「しばらく様子をみましょう。でもいつまでも内緒にしてはおけないわ。心を込めて話せば、父もきっとわかってくれる」
澄んだ青い目と同じ、純粋な心を持っている姫である。
「ね、デスモンド。大丈夫よ。きっとうまく行くわ」
そう言って、デスモンドの手に触れた。彼女の手には、先日デスモンドが贈った、ばら色の珊瑚の指輪があった。
デスモンドは、フレアほど純粋でも楽観的でもなかったが、それでも小さな手を握り返し、「姫のおっしゃるとおりです」と微笑んだのだった。
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