東の拝殿 2
2006/08/27
フレアとデスモンドが哨戒から戻った、その日の夜。
無事な帰宅を祝って(どんな理由をつけてでも)祝宴が開かれた。ミドルポートから届いた葡萄酒と、オベルの古酒10年ものが開けられて、濃い酒の香りが立ち上った。
新鮮な魚の一夜干し、青いパパイヤと肉の串焼き、苦瓜の卵とじと、庶民的で素朴な肴が並ぶ。
デスモンドは酒器を手に、酌をするのに忙しい。席を温める暇もない。
王は機嫌よく傍らのフレアに訪ねた。
「哨戒はどうだった。」
「相変わらず妙な化け物は出るけど、海賊もいないし平和なものです。キカさんにも会ったわ。旗を振って挨拶してくれたのよ。なんだかとても懐かしかったわ」
フレアは日焼けした顔をほころばせた。色が白い王女は、海に出ると金色に日焼けしてしまう。
引き締まった金色の肌に、少しだけ紅を足していて、たいそう大人びて見えた。
「おい、デスモンド」
セツに怒鳴られて飛び上がった。
「何をぼけっとしている。王がお前の三弦をご所望だ」
「もう酔ったのか? デスモンド」
あわてて王を見ると、杯を手に持って苦笑いをしている。デスモンドは死ぬほど慌てふためいた。姫の横顔に見とれていたのに、気づかれたかもしれない。
「いえ! 大丈夫です、すぐ用意いたします!」
大急ぎで部屋へ戻り、三弦を手に宴席に戻った。
船上では幾度となく弾いたものの、王宮の宴席で三弦を弾くのは、本当に久しぶりだった。どこで弾こうと三弦は三弦である。
デスモンドは、少し酔っていたせいもあり、爪を着けた指で弦をはじいて、陽気に促した。
「さあ、今日は何をいたしましょう?」
「そうだな」
オベルの王は少し考えた後、思いがけない注文をしてきた。
「お前、即興で作れ」
「へ?」
「この場で、今の気分で作って歌え」
デスモンドは目を丸くした。親に仕込まれて三弦も歌もたしなむが、ただの小役人であって、歌を作る才能などはない。あのミドルポートの吟遊詩人とは違うのだ。
「わ、わたしは不調法者ですので。ご勘弁くださいまし」
王はつまらなそうに肩をすくめた。
「では題にふさわしい歌を選んで歌え」
「それならばなんとか。どんなお題でしょう?」
デスモンドが少し早い調子で出だしを爪弾いていると、王はつぶやいた。
「無理やり別れさせられた、恋人たち」
小役人は一瞬手をとめたが、幾分ゆっくりと三弦をはじき始めた。
そして、頭に浮かぶ座敷歌で、無難なものを口ずさみ始めた。
「山の向こうに隠れ行くは、わが背の乗り給う御船」
「船を隠すあの岩山の、憎いことよ。風よ強く吹いて、岩山を低くしておくれ」
そんな大げさな歌を、デスモンドは型どおりに歌って見せた。
「古臭い歌は、今の気分ではないんだよ」
オベル王は笑いを含んだ声でさらに促した。
「もっと生々しくて、血が滲むような歌が聞きたい。今日港で見たものをネタに作ってみろ」
「王!」
セツがあわてて制した。
「そんな口にするも汚らわしいことを」
「汚らわしい、といえば、人一倍手が汚れたおれが人を裁くってのも、笑っちまうがな!」
セツがおろおろと「手が汚れているなどと、王……」と気遣う。
「おれはデスモンドに頼んでいるんだよ、セツ」
王は口を曲げて笑った。
「今日、流罪人とトーブを見ただろう。あれを歌にしてみろ、デスモンド。恨み言のひとつでも唸ってみろ? 誰もおれを責めんのだから、歌ででも」
デスモンドは恐る恐る王を振り仰いだ。いつもの、豪放磊落な、屈強の王だ。だが言うことはなんとも女々しい。
小役人は三弦を握りなおした。手は緊張で汗ばんでいる。王を恨む歌を作るなど、歌えるはずがないが、謙遜でも何でもなく、歌を作るという才能はないのだ。
昼間、トーブはこういって自分を責めていた。
(こんな哨戒船を作らなければ。おれがお前の手を取らなければ、お前はこんな目にはあわなかった。操立てなどするな。ただ生きていてくれ)
それをそのまま、歌にした。
「恨む、船よ。わが背を奪い給う船よ。恨む、わが手よ。君の腕を取り、ただ害すなり」
「わが背よ髪挿しで身を守るな、ただ生き永らえ給えわが背よ」
一節歌ったところで、王が「もういい」と止めた。
「すみません……」
王は一杯飲み干すと、感想を述べた。
「三弦の音に色気が出てきた。声も熟したな。悪くない」
声も熟した、といいながら、王はデスモンドの指の辺りを見つめ、それから下腹部の辺りに視線を投げてきた。
デスモンドは「私もトシですからね」と、露骨な視線を避けつつ、王の杯に酒を足した。
王は貴重なオベルの古酒をぐいと飲み干すと、「王ってのはいったん言えば取り消せないんだ」と苦くつぶやいた。
祝宴には、王女と限られた腹心しかいない。それでもその場に緊張が走った。
「あいつら……トーブとハルトの盛りようには、目が余るものがあった。そんな色ボケした頭で、泥船みたいな船を作られてはたまらない。トーブは必要な男だ、ハルトの代わりならいくらでもいる、とそのときは思ったのだが……いや、まず厳重に注意すればよかったのかもしれん。何であんなに腹が立ったのかな」
「更年期障害ですよ、王」
セツの毒舌は王にも容赦がない。
王は驚くほど情けない声で、「やめてくれよ、セツ。縁起でもない」と言い出した。
「ご無礼を申しました。経験者は語るということで、お許しあれ」
セツは軽い咳払いの後、「ラインバッハ卿が後添いを迎えられるそうです。3人目の奥方を離縁してのご再婚だそうで、老いてますますお盛んなことです」と言い出した。
ふうん、とさして興味なさそうな王に、セツは改めて向き直った。
「王。王妃が身罷られてから、早くも20年になりますが」
「まだ17年だよ、セツ」
「四捨五入です」
セツは強情だった。
「後添いをお迎えください」
「要らん。面倒だ」
「あんまり使わないと錆び付きますぞ。このデスモンドのように干上がってもいいんですか?」
デスモンドは驚いて、ぶどう酒を吹いてしまった。
「王が仕事ばかりで老け込むのは、見ておられません」
王は「姫の前で変なことを言うなよ」とため息をついて、セツの突き出た腹を軽くつついた。
「お前、また腹が出たな」
「王が心配をかけるからです。この腹には心配が詰まっておるのです」
リノ王は「マジメな話、後妻は要らんぞ。勝手に探したりしてくれるなよ」ときっぱり断った。
「うかうか嫁取などして、息子でも産まれたらどうするんだ。お家騒動てのは怖いぞ」
「お家騒動なんて、ありえないわ」
フレアが、いかにも心外だといいたげに口を挟む。
「もし弟が生まれたら、今度こそ守ってあげるの。その子が立派な王様になるまで、わたしと、デスモンドと二人で守ります。ね、デスモンド? いいわよね?」
「ええ、ええ。姫様。よくぞおっしゃいました」
デスモンドにも、後添いをもらうというのは良い考えのように思われた。首尾よく王に息子が出来れば、フレアは自由になれる。
フレアの顔も赤かったが、デスモンドも少々酔っていた。強い酒を色々飲んで、おまけに酌に歩き回ったのが悪かったのだろう。
「どこまでもお供いたします、フレア様」
「おやおや」
王が腕組みをして、苦笑したのも気づかない。
カンが鈍いのは、デスモンドの致命的な欠点だった。
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