東の拝殿 3
2006/08/27
翌日の午後、フレアとデスモンドは、王から「ミドルポートに行け」との指示を受けた。
王の話には前置きがない。いつものことである。
「わかりました。後でラズリルにも寄るの?」
フレアはきびきびと答えた。昨夜の強い酒の影響など、微塵も感じさせない、さわやかな態度だった。
「いや、今回はミドルポートに長期滞在を予定してくれ」
フレア王女は少し戸惑いながらも頷いた。
「わかりました。私は何をすればいいの?」
「ラインバッハとは、もっと緊密に手をつなぐ必要がある。そのためには、君主同士の結婚が手っ取り早い。その準備だ」
フレアは目を見開いて王を見ていた。
「君主同士って、誰のこと?」
「お前と、ラインバッハの息子だよ」
「父さん、いったい何を言っているの? どうして私とラインバッハ様が……」
「お前を嫁にくれてやるわけには行かんから、お互いに行き来するわけさ。ミドルポートに行ってラインバッハを捕獲して来い」
王女は救いを求めるように、振り返った。彼女の頬は青ざめていた。
「デスモンド……」
デスモンドは、(断ってはだめです)と伝えるつもりで、小さく首を振った。
(とりあえず言われるまま動いて、後で修正しましょう)
心の声があればそう伝えたかった。だが若く、真っ正直なフレアに届いたかどうか。
リノ王は至って上機嫌に、一人でしゃべり続けている。
「おい、デスモンドがいってた通りになりそうじゃないか、え? こちらから何の働きかけもしていないのに、先方から手紙を書いてきた。皆、似たようなことを考えるってことさ。なぁ、デスモンド。お前もうれしいだろう?」
デスモンドは「本当に……願ってもないことです」と答えたものの、作り笑顔がひきつりそうだった。
「フレアの結婚相手はラインバッハしかいないと言っていたな、デスモンドよ。いや全く、お前の言うとおりだ。ナ・ナルも島長が厄介だが、ミドルポートには軍事力がある。じっくりとお近づきになっておく必要がある」
リノの指が、デスモンドの首根っこに置かれたと思うと、ゆっくりと筋肉を揉み始め、いきなりぐいと締め付けてきた。
「こうしていい気分にしてやって、いつでも首を締められるようにしておくんだよ」
デスモンドの背中にぞわりと悪寒が走った。
「お父さん、私は嫌です」
フレアの突然の言葉だった。デスモンドは、とめる暇もなかった。
「結婚相手は自分で選びます。ラインバッハさまだって、政略結婚なんて承知なさるはずがないわ」
「だがラインバッハの息子は乗り気だそうだ」
リノ王はますます笑顔になり、白い歯まで見せていた。
「やつは、見た目ほど阿呆ではない。かといってお前に操縦できないほど賢くもない。お前に相応しい相手は、群島中探しても、あいつしかいないだろう?」
「相応しいとかふさわしくないとか、そんな話じゃないの、お父さん。ラインバッハ様とは結婚できません」
姫は手を胸の前で組みあわせた。細い指先が白く見えた。
「わたしには、夫と決めた人がいます」
「どこの、どいつだ」
王の目に、殺気がみなぎった。まるで敵を見るように姫を見下ろしている。姫は泣きそうになりながら答えた。
「名前は言えません」
王は知らない女を見る目つきで、姫を見下ろした。
「その、安物の指輪をくれたのは、そいつかい?」
「そうです」
「それは誰だ」
「い、今は、その人のお名前は言えません」
すると王は、愛娘の手首を掴み、恐ろしい声で凄んだ。
「痛い目にあわないと言えないみたいだな。え?」
デスモンドは反射的に(王に鬼が憑いた)と思った。鬼が憑いた人間は、どんなに愛するものでも食い殺してしまうだろう。
「王! 乱暴はおやめください」
デスモンドはそう叫びながら、王の腕を両手で掴んだ。王は虫けらを見る目でデスモンドを見下ろして、「お前は黙っていてもらおう」と言った。
「怠慢とは言わん。補佐役は補佐役であって、お目付け役じゃないからな。だからお前は口出し無用だ。このふしだらな汚れた女は、父親のおれが裁く」
だがデスモンドは、リノの手を掴んで離さなかった。
「姫は、ふしだらではありません、汚れてもいません」
「だから、お前は口出しするなと言っている」
もう隠し通せない。時間をかけてなどと、考えたのが甘かったのだ。デスモンドは、とても長い距離を落ちていくような感覚を味わっていた。
「フレアさまと将来を誓ったのは私です。指輪を贈ったのも私です。裁くなら私を裁いてください!」
「貴様、酔っ払ってるのか?」
「私は、姫様を愛しています。どんなことをしても、姫を幸せにします!」
リノ王の歯が見えた。笑っているように見えたが、実は歯をむき出しているだけだった。
「お前か!」
デスモンドは身構えるなどということは知らなかった。自分の体が吹っ飛ぶのはわかったが、頭に衝撃が来て、後は何もわからなくなった。
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