東の拝殿 4
2006/08/27
これは夢だと、自分でわかっている夢を見ることがある。
デスモンドはまさにそういう夢を見ていた。
自分の部屋で、フレア王女を遊ばせながら、人形を繕っている夢だ。
姫はこの部屋に来ると必ず、三弦の付け爪をつけて弾こうとする。小さな手にはデスモンドの付け爪は大きすぎて、何度も足元に落っことしている。
その様子を横目で見ながら、針に糸を通した。彼の手の中の古い人形は、王妃が姫を身ごもっているときに、自ら作られたものだ。
丸い顔の縫い目がほつれて、中の詰め物が出ている。デスモンドは慣れた手つきで針を動かして、ほつれを繕っていく。最後に結び目をつくり、歯で糸を噛み切る。
「さあ、できましたよ」
そういって王女に人形を差し出した。笑顔がこぼれる。前歯の抜けた口がなんと愛しいことか。
「ありがとう!」
その王女はいつの間にか大人の姿で古い人形を抱きしめ、ほお擦りをする。
「デスモンド、大好き!」
デスモンドは微笑んで、姫の金色の頭を撫でた。撫でながら、不意に涙が止まらなくなった。
(私はこの人形と同じだ)
人の目には汚らしいゴミにしか見えない。それを姫は大事そうに抱きしめてくれる。
でも、姫がそのことに気づくのは、そう遠いことではないだろう。
もう姫は大人で、こんなボロい人形は必要ない。世の中にはもっと美しいもの、価値あるものがあふれているのだ。
(それでもいい)
(必要だとされる間は、そばに居てさしあげる。その後は、黙って消える。はじめからそう決めておけばいい。そのときになって取り乱さないように。)
それでも、そう思っただけで胸が締め付けられる。自分はなんと女々しいんだろう。
(本当は、私のほうがずっと姫を必要としているんだ)
「デスモンドさん、聞こえますか? デスモンドさん?」
響きのない男の声が耳元で聞こえた。目を開けると、若くて真剣な、白い顔が見えた。
見慣れた医師が顔を覗き込んでいるのだった。
「先生?」
デスモンドが飛び起きようとすると、「ゆっくり起きて」と助け起こしてくれた。
頭を締め付けられるような感覚があった。額に触れると、ざらりとした布の感触があった。顔は、夢の中で流した涙でぐしゃぐしゃだった。デスモンドは恥ずかしく思いながら、袖口で顔を拭った。
医師はそんな様子には目もくれず、事務的に状況を説明してくれた。
「後頭部を切っていたので縫っています。暑苦しいだろうけど、包帯はしばらく我慢してください」
「ここは?」
「あなたの部屋ですよ」
寝台に座ったまま、辺りを見回した。なるほどそこは自分の部屋だった。
「何時ごろでしょう?」
「3時ですよ。あなた、2時間ほど意識を失っていたんです。脳震盪としてはけっこう長かったですから気をつけて……。私はひとまず帰りますが、気分が悪くなったら直ぐに呼んで下さい。それじゃ、お大事に」
ユウ医師は荷物をまとめ、あっさりと立ち上がった。何故怪我をしたのかなどと、詳しいことは一切尋ねなかった。
まもなく、セツがひっそりと戸口にたった。
「怪我はどうだ」
「大したことはありません」
ふ、とセツは笑った。
「ちょっと血を抜いて、頭を冷やしたぐらいがいいかもしれんな。お前も、フレア様もな」
「フ、フレアさまは!」
セツは少しだけ鋭い目つきになった。
「言っとくが、お前、人のことを心配できる立場ではないぞ」
だがすぐに肩を落とし、力なく寝台に腰を下ろした。
「もうちょっと若かったら、お前を殴りつけただろうが。もう、その元気もないわ」
疲れ切って、一気に老け込んで見えた。かすれた、そして老人めいた甲高い声で嘆き続ける。
「フレアさまは先のいくさで、広い世界をご覧になったはずなのに。いろんな男をご覧になった末に、何でお前なんだか」
デスモンドは、うつむくしかない。自分でもわかっていることだ。
「いっそ腹を切れといいたいところだが、部下の不始末はわしの不始末だ。その前にわしが腹を切らねばならん」
「申し訳ありません」
「で、どうなんだ。お前たち、まさかもう夫婦になったのか?」
デスモンドは赤面してうつむいた。
「いいえ。私は、王女の手首より先は、知りません」
セツは深いため息をついた。
「それなら、今ならお前を逃がしてやることは可能だ。船を用意して……」
「私はどこにも行きません!」
デスモンドは懸命に訴えた。
「姫のおそばに居て、お仕えしたいんです。夫婦になれなくてもいい。下僕でもいいから、おそばに居たいのです!」
「あぁ、もう。わかった、わかった。聞いているほうが恥ずかしい」
セツは、薄い髪を掻き毟った。
「お前たち二人とも、血の気が多すぎる。姫も姫だ。死ぬの生きるのと騒いで、手が付けられない。王もお部屋に篭ったきりだ」
セツは、また少し膨れたように見える腹を撫でた。
「もう少ししたら、酒でも持って話に行ってみるか。王も、相談相手が必要だろう」
そういって頭を振りながら出て行った。
夕闇の迫る時刻、突然やってきたセツは、「湯を使え」と命じてきた。
「体を清めて、これを着るのだ」
セツは、真新しい白い着物を持っている。その不吉な白さは、死を意味するとしか思えなかった。
「着替えてから、拝領の剣を返す」
ついに、来たのだ。自分は、自害させられる、とデスモンドは思った。
風呂を使って、白い着物を着せられて、自分の剣で喉を突いて……。せめてもの情けなのか。
デスモンドは唇を噛んだ。自分のような文官に、どうして剣が使えるだろう? 誰かに殺してもらわねば死ねるはずがない。
それでも、王宮の浴槽で体を清め、素肌に白い着物を羽織った。
裾を踝辺りに会わせて、白い帯で腰を締めた。それから鉢巻を額に巻いて後で結ぶと、背中の辺りまで垂れた。非常に長い鉢巻である。
すべて着付け終わると、少し気持ちも定まってきた。
「これはお前の拝領の剣だ。返しておく」
デスモンドはそれを受け取った。不思議に手は震えなかった。
何年か前、問題を起こしたときも、セツに拝領の剣を渡されたことがある。
「前もこんなことがありましたね。……迷惑をかけてばかりですみませんでした」
だが、セツはにこりともしない。
「お前は東の拝殿に行き、そこで鬼を退治して来い」
「は?」
「そこに人を食う鬼が出る。その鬼を退治してくるのだ」
デスモンドは思わず顔を上げ、セツを見た。死罪というのならわかるが、鬼退治?
「餅を持って行き、鬼に食わして退治するのだ。王の命令である!」
人食い鬼だと?
そんな噂は聞いたこともない。
「とにかく、王命である! 国のため人のため、人食い鬼を退治て来い!」
セツの声は酷く裏返っていた。
「見事、鬼をしとめてきたら、二人の結婚を許す、と王はおっしゃった。意味はわかるな?」
セツの後に控えた女官は、朱塗りの盆を持っていた。それには、青々とした葉に包んだ四角い餅が、うずたかく積まれていた。
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