東の拝殿 5

2006/09/05
東の拝殿は、いじけた木のほかには何もない、寂しい岬の上に建っている。
昼間でも人気がない場所で、まして夜にここに近づく人間はいない。ただ、見晴らしだけはすばらしかった。
月は出ていなかったが、その分、空に無数の星が見えた。

デスモンドは火を起こして灯りをともし、持参した餅を灯りの前に置いた。拝殿の床は石で、座るとひんやりと冷たい。床の四隅には、柔らかい草が生えかけていた。
いくさで祭りも途絶えているせいだった。

風もないのに灯りが揺らめいて、拝殿の石柱を照らし出した。小さな蛾が、灯りを慕って飛び回る。とても静かだった。




東の拝殿の鬼退治というのは、さほど昔のことではない。
もとは富貴だったが、すっかり没落した家に、仲のよい兄妹が居た。そのころの王は、多くの領土を欲した。そして、多くの戦を起こされた。
兄は家を起こすことを夢見て兵士になった。妹は一人で屋敷と畑を守り、何年も兄の帰りを待った。戦が終わってもまだ待ち続けていた。

ある年の暮れ、人を襲って食う鬼が現れた。
人食い鬼は、数日にいちど里に下りてきて人を狩って行くという。
妹は胸騒ぎがして、都の辻で隠れて待っていた。

物陰で見た鬼は確かに兄だったが、その行いはやはり鬼だった。
鬼は、老いた男を捕らえて縊り殺し、肩に担いで歩いていく。妹がそっとつけていくと、岬に出た。
鬼は、岬の中腹にある小山に穴を掘り、その中に住んでいた。
次の夜、妹は蒸したての餅を持って、鬼の住む穴倉を訪れた。
「兄様、私です」
鬼は穴倉から出てきて、妹を見つけ捕らえて食おうとしたが、突然これを放り出して、穴倉に逃げ込んだ。妹は兄に向かって叫んだ。
「なぜ逃げるのです。私は嫁にも行かず、兄様の畑と家を守って、ずっとお待ちしていましたのに」
「妹よ」と兄は言った。
「山で戦い、海で戦い、川で谷で戦い、数も覚えぬほどの人を斬った。飢えて草を食い、人の肉を食い、いつか鬼の姿、鬼の心と成り果てた。お前を取って食う鬼だ、早く逃げよ」

だが、妹は逃げなかった。餅を差し出しつつ、こう言ったのだった。
「かわいそうな兄様。さあ、兄様の好物を作ってきましたぞ。たんと召し上がれ」
鬼は久しぶりに見る、人間の食べ物に喜んだ。だが人を殺し続けた手は硬くなり、ヒモも解くことが出来なかった。
妹が餅を向いてやると、鬼は次々に食いながら「なんと旨い」と喜んだ。
「お前も餅を食わないか」
妹は言った。
「私は哀れなる鬼を食うので、餅は要りませぬ」
鬼は驚いて、餅を喉に詰まらせて死んだ。妹は兄を弔い、穴倉のあったところに拝殿を建てた。



ある意味、何かの事件を暗示するような御伽噺だ。狂った兵士が実際に居たのかもしれない。
だがデスモンドには、御伽噺の意味よりも、自分の運命がどうなるかのほうが気になった。
(人食い鬼というのは何だ。モンスターでも連れてこられるのか?)
(獣が、餅なんて食うものか。第一、どうして私に倒せるものか)

デスモンドはぶるっと体を振るわせた。満点の星は美しかった。だが海から吹き寄せる湿気に、体温が奪われ始めていた。

冷えた体には、ことさらに空腹がこたえた。昼にお茶を口にしたきり、何も食べていなかった。
(ひとつくらいならいいだろう)
デスモンドは妙な言い訳をして、四角い餅をひとつ手に取り、それを縛ってあった草の芯を解いた。

中の餅は白く柔らかく、甘さはかすかで、すがすがしい草の香りがした。ただ、それはいかにも小さくて、一個で空腹を満たすには全く足りなかった。ひとつ食べるのも、二つ食べるのも同じことである。
次の餅の葉を剥いて、口に入れたときだった。

「おい、おれの分も残しておいてくれよ」
突然、暗闇から声が響いた。
デスモンドは飛び上がり、驚きのあまり、餅を喉に詰まらせてしまった。
「ぐぅ!」
デスモンドは喉をかきむしり、体を折り曲げて床を叩いた。恐ろしさと苦しさに、目の前が真っ白になった。
「口を開けろ、バカ!」
のた打ち回るデスモンドを、強い手が捕まえた。その誰かに口をこじ開けられて、指が口の中に突っ込まれた。
「しっかり口を開けてろ!」

誰かがデスモンドの口を塞ぎ、すごい力で吸い出している。餅が喉から飛び出して、急に空気が肺に入ってきて、激しく咳き込んだ。
苦しさに涙が滲んだが、死は遠ざかっていくのがわかった。

「鬼退治に来て、自分が餅を食うか? しかも喉に詰まらせて……お前は人食いの鬼だったか?」
男は、面白がっているようだった。
デスモンドは咳き込みながら、命の恩人を見上げた。
鬼ではなく、王がそこにいた。

王はデスモンドの横に座った。
「おれにも餅を食わせてくれ」
何もかも分けがわからない。王は自分に何をさせたいのだ。
デスモンドは、無性に腹が立ってきた。それで乱暴に餅を掴み、王の胸元に差し出した。普段の作法もどこかに飛んでしまっていた。

「鬼の妹は、ちゃんと剥いて渡してやったそうだぞ?」
王は鬼ではなく、自分は鬼の妹ではない。だが小役人は腹が立っても家臣なので、言われるままに葉を開いて、王に差し出した。王はデスモンドの手首を掴み、そのまま餅を貪り食った。

手のひらに王の舌や歯が触れて、葉に餅もなくなった後も、しつこく手のひらを嘗め回す。まるで性急な前戯のようだ。
王を見つめていると、目が合った。王はにこりと笑った。
「おれは人を食う鬼だな」
違います、とデスモンドは首を振った。王は歯をむき出して笑った。
「山で戦い、海で戦い、人を殺した。また殺すかもしれん」
「違います! 王はオベルを守っただけです!」
「鬼は、鬼だ」

王は、デスモンドの腕をそっと放した。
「だが鬼にも宝はある。フレアはおれの大事な、たった一人の娘だ。おれの宝だ」
デスモンドは、一歩後ろに下がった。
「それを、お前は奪った。お前こそ鬼のような男だ。お前があんまりひどいんで、おれは……本当に人食い鬼になりそうだよ」

王は恨み言を言い、ゆっくりとデスモンドの体をまさぐった。
抗おうという動きは、全く無駄だった。リノの体は、まるで吸盤でもついているようにデスモンドに張り付いて、振りほどけない。
しかも硬い股間が小役人の太ももに押し付けられて、いわく言いがたい恐ろしさだった。

「お許しを」
デスモンドは抗ったが、無駄だった。
白い着物は帯一本で体に巻いているに過ぎない。布一枚で下着すらつけていない。

「おれを、食え。お前の体で、鬼を慰めてくれ」

王の手がデスモンドの手首を掴み、自分の股間に押し付け、無理矢理手を動かした。

唐突にオルナンのことを思い出した。あの男の一物もけして小さくはなかったが、リノのそれは、人間の常識を外れていた。
真夏に畑にぶら下がっている、育ちすぎた苦瓜のような巨大な一物。

こんなものを、どうせよというんだ。自分には面倒は見られない。
小役人は、その巨大な苦瓜を手で育ててしまいながらも、震え上がっていた。ただ恐ろしかった。
「お、お許しください」
「自分は汚されたくないくせに、おれの娘を汚したというのかい?」
王は非難する目つきで、デスモンドの後を太い指で押さえつける。
「汚していません!」
「まだだったか。でもこれからヤル気だろう。こうやってな」

王はデスモンドの平坦な胸の肉を、力いっぱい掴んできた。デスモンドは痛さのあまり顔をしかめた。
「わたしなら、そんな乱暴はしません」
「優しくするってか? このむっつりが……」

王は腹を立てたか、解す努力をあっさり放棄した。

「悪いが、おれは優しくはしない」といいながら、いきなり自分の鬼のような一物を、デスモンドにねじ込んでくる。
荒い息で腰を使おうとしながら、早くも王の額からぼたぼたと汗が落ちてくる。
あまりの痛みに涙が滲んでくる。にじんできたら最後、涙が止まらない。
王の顔が近寄り、涙を舐め採っていく。
「デス、おれを慰めてくれ。おれは寂しいんだ」
ため息交じりの、優しい声で、子供の頃母が呼んでくれたようにデスモンドを呼んだ。そういう呼び方はもう誰もしてくれないが、聞けば懐かしい、うれしい呼び名だ。だがどんなに優しく呼ばれようと、痛いものは痛い。

デスモンドは「もうお許しください」と言ったが、王は野蛮な動きをやめてはくれなかった。
「デス、おれが嫌いか?」
デスと呼ばれた男は首を振り、泣きながら、王の肩を抱きしめた。


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