フェイン 4
2006-04-21


勇者フェインの運転する車は、高速で走っているのが信じられないくらい静かだった。
毎日の通勤には電車を使うので、「車に乗るのは週末だけだから運転は下手」という。ラビエルは、下手だとは思わない。フェインは、ロクスのように乱暴にハンドルを切って、ラビエルをつんのめらせたりはしない。

ロクスの車に乗るたびに、何かあるのだ。一度など急にブレーキを踏まれたので、「なびげーた」とやらに頭をぶつけそうになった。
フェインの運転では、そういう危機感は覚えないですむ。

ささやかな安息に油断したラビエルは、つい居眠りをしていたらしい。
「ラビエル……ちょっといいか?」
「はいっ」
ラビエルはシートベルトをしたまま飛び上がった。

「あ、驚かせたな。ちょっと相談があるんだが」
「すみません! ちょっとだけ寝てました」
勇者は、前を向いたままちょっと微笑んだ。
「気にしないでいい。そこに座る人間はたいてい寝てしまうから慣れてる。実はこの先に、おれの通った大学がある」
「大学……アカデミアのことですね」
「ああ、そんなものだ。おれの恩師、レイジハー教授が今もここにいる。せっかく近くまで来たのだから、ご機嫌伺いをしたいんだが、かまわないか?」

ラビエルは自分のアカデミア時代のことを考えていた。
用がないのに顔を出すのも気が引けるが、悩みがあれば、恩師の教えを請いたいこともある。
特に大天使ミカエルに受けた剣の訓練は、最も大切な思い出、心のよりどころとなっていた。自分の体験に引き寄せると、フェインが「母校を訪れたい」というのはよくわかった。

「フェイン、ぜひ寄っていきましょう」
「いいのか?」
「もちろんです。この機会を逃したら、なかなか会えないかもしれないでしょう」
「ありがとう。そう言ってくれると気が楽になる」
フェインはまじめで親切な分、天使のほうが気を使わねばならないのだった。


彼らが向かったのは、地方都市の郊外にある医科大学だった。広大なキャンパスで、講義が終わった学生たちが、いっせいにあふれ出していた。
彼らはその学生の流れに逆らって進んだ。門衛のところで記帳を済ませ、教授のいるという研究室へ向かう。
「いい陽気ですね。なんだか暑いくらい」
すると、フェインはこんなことを言った。
「君には退屈な話だろうから、その辺で遊んでていいぞ、ラビエル。ほら、あの変にでっかい噴水があるだろ? ひとつ水浴びでもしてきたらどうだ?」
「ぼくは鳥じゃないですよ」
フェインはいたずらっぽい笑顔を浮かべて、「風呂入ってるときは鳥だろ?」というと、建物の中に消えていった。
フェインに言い返したものの、噴水はひどく魅力的だった。
(水浴びしたい。すごく気持ちよさそうじゃないか、あれ)
盛大に吹き上がっている噴水が虹色のしぶきを上げて、「早く飛び込んでおいで」と誘惑している。
ただいくら誰にも見えないからといって、真っ昼間から外で服を脱ぐのは気が引けた。
(フェインを追いかけよう)
ラビエルはそう決めて、勇者が入っていった建物に向かった。



「レイジハー教授の執務室は、と……」
入ってすぐの壁面に、その建物の見取り図らしきものがあった。
研究所は2階建ての細長い建物で、一階の突き当たりに教授の執務室はあった。
「ここか」
天使は羽根を震わせて、ひとっとびにその部屋へ向かった。


話の立ち聞きということが、人間の礼儀作法にかなっていないことは確かだった。
だがフェインは、自分のことはあまりしゃべってくれない。どちらかというと聞き役に回りたがるほうだ。
「けっこう秘密主義だよね」
ラビエルはため息をついて、天井から部屋の中に降り立った。


フェインはテーブルをはさんで、初老の男と向かい合っていた。テーブルの上にはコーヒーが湯気を立てていたが、口をつけた様子はない。
「奥さんからは全く音沙汰がないのか」
「ほうぼう探してはいるんです。新聞にも広告を出しました。一番心配なのは、彼女が保険証を使っていないってことです」
「まあ保険証を持っていたとしても難しいだろうな。紹介状もなしにはな」
教授らしき男は、重いため息をついてコーヒーを一口飲んだ。
「セレニスが手術を受けたのは3年前。いなくなってもう2年近くになります」
「免疫抑制剤もなしに2年か……厳しいな」
教授は気の毒そうにこう続けた。
「ほうぼうの病院に知り合いがいるから、尋ねてみようか。何かわかったら連絡しよう」
「ありがとうございます、レイジハー先生!」
「君も苦労するな、フェイン。だが、人生悪いことばかりじゃない。元気を出しなさい」

ドアを閉めると、フェインはため息をついた。
「ラビエル、いるんだろう?」
「……」
「隠れても無駄だよ、ラビエル」
「すみません」
ラビエルは素直に謝り、フェインの前に姿を現した。フェインはちらりと天使を見たが、それ以上とがめだてもせず、先に立って歩き出した。
外はすばらしい晴天だが、噴水はもう水を吹き上げてはいなかった。
「フェイン、ごめんなさい。盗み聞きしてしまいました」
「いいさ」
「セレニスってあの……フェインって奥さんがいるんですか?」
「ああ」
「ご病気なんですか?」
フェインは池のほとりに腰を下ろした。
「セレニスは、腎臓がとても悪かった。薬も治療も、効かなくなって来て、体が限界だった。それでおれは、セレニスに……腎臓移植を受けて生きてほしいと頼んだ。彼女のために、おれのために生きてほしかった。おれの腎臓を移植させることも考えたが、血液型があわなかった」

先にたって歩きながら、フェインはつぶやいた。
「移植を待ってる人は他にも大勢いたんだ。時間との戦いってやつだ。おれは、この国にいては無理だと思ったんだ」
勇者は立ち止まり、天使を振り返った。
「すまない。もう一人会いたい人が居るんだが、いいだろうか。この地元の大学病院なんだ」
今度は、天使が止めても行くといった表情だった。
断れる雰囲気ではなく、天使は頷くしかなかった。


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