黄金の都1
ついに、私は来た!
なつかしいグレッグミンスター。
私が十代から二十代の数年を過ごし、懸命に医学を学んだところだ。
そのころは帝都と呼ばれていた。
解放戦争では、さほど激しい市街戦はなかったのか、美しい町並みはそのままだ。
そして、ここはあの人が育ち、生きたところだ。今もあの人が、きっとこの街のどこかに住んでいる。
昔ここに学んでいたころ、同じ街にグレミオさんも住んでいたはずだ。
私たちは、どこかですれ違っていたかもしれない。
もしも、そのころに出会っていたら?
「ばか、だな……」
「ホウアン先生?何か言いましたか?」
「あ、すまない、トウタ。何でもないよ」
もしも、ということは、人生にはありえないんだ。
グレッグミンスターの城、今は市庁舎になっている建物の広間を借りて、リュウカン先生主宰の研究会は行われた。
演壇では、蚊が媒介する熱病の症例や、その新しい治療法についての研究、など興味深い発表が続いた。
この数年間は軍医としての仕事に追われ、新しい知識を得るのがおろそかになっていた。
脚を切り落としたり矢を抜いたりと、荒くれたことばかり上手くなって……。
「ホウアン先生、何かご意見は?」
いきなリュウカン先生に聞かれて、私は驚いた。
何も用意してきていない。
「申し訳ありません、今回は何も……」
「まあ、デュナンの戦争が終わってすぐだからな。しかし、その経験から学んだことを、何か一つでも聞きたいと思う」
「…………」
そういえば、敵の捕虜を治療しようとして、後日問題にされたことがあった。
カイルどのとシュウ軍師がとりなしてくれなかったら、私はスパイ扱いされる恐れさえあった。
「捕虜が、最低限の医療を受けられるよう、相互の取り決めがあればいいのにと、そんなことを思っています」
言ってしまってから私は恥ずかしくなった。なんと感傷的な。
ここは医学の発表の場で、博愛主義者の会合ではない。
「ホウアン先生、あんた顔が変わったな」
数時間に及ぶ研究会の後、リュウカン師にあいさつをしたとき、こんなことを言われた。
律儀なリュウカン先生は、弟子の私を「ホウアン先生」と呼ぶ。
「ほんと、老けたでしょう。わたしもしっかり中年ですよ」
すると先生は苦笑した。
「くたびれたかんじにはなったがな。なにしろ、ここに来たときは、まだ坊やみたいだったからなあ。まあ、ホウアン先生が老けたというのなら、わしはもう化石になっとるわい」
そう、先生のおっしゃるとおり、先生にお会いしたとき、私はまだ「坊や」だった。私はいわゆる、貧乏人のお坊ちゃんだったから。
お坊ちゃん育ちだったが、父を早くに亡くして、家の経済状態は苦しかった。
だからどうしても、お金持ちになりたかった。でもリュウカン先生に師事して、とげとげしい自分がいやになった。
「実に、いい顔になった。医者の顔になったというのかな。どれほどこの平和が続くかわからんが、お互い体を労わって、少しでもいい仕事をしような。わしも患者が来る限りは、まだまだがんばらんといかん」
「そうですね。ところで、先生……」
今、あのことを言うのには人目がありすぎる。
私は、少し息を飲みこんでから言った。
「少々お話が。後ほど、お宅へうかがってもよろしいでしょうか?」
トウタを宿に連れかえってから、私は先生の診療所に向かった。
軍師に脅されて困っているのだと、それだけを言うのが背一杯だった。
毎晩、やつの慰み者になっているなどとは、とても言えない。トウタに落ち着いた生活を。いま望むのはそれだけだ。
優しい先生は、私の話をじっと聞いてくれた。
「トウタくんがよければ、預かろう。それとも、二人ともここにいてもいいのではないな?」
「え?」
「診療所も忙しいから、医者は多いほど助かる」
「…………」
「とりあえず、ここにいれば安全だから」
私は困惑してうつむいた。
リュウカン先生に迷惑がかかる。
「ありがとうございます。でも自分の患者もおりますので、少しだけ時間を……」
「うむ。まあ、よく考えてな」
先生の診療所から宿へは、歩いてほんの10分ほどだ。
夜道とはいえ、大した距離ではないが、どうしたことか。めまいがして、城の前まで歩いてくるのがやっとだった。
先生のところで、少しだけお酒を頂いたが、そんなので酔っ払うはずがない。
街の広場には、天使の形をした噴水がある。昔よく友達と待ち合わせた場所だった。
少しだけ、ほんの少しだけ、ベンチで休んでいこうと思って、腰掛ける。
やはり気分が悪くて、私は横にならざるをえなかった。
風が吹いて、勢い良く上がる水の粒が、私の口に入ってくる。
「……ぶざまだな……まるで浮浪者……」
私は目をつぶった……。
「……せい。ホウアンせんせい……」
「う……う」
「ひどい熱ですね……」
聞き覚えのある、少し高めの優しい声だった。
ひんやりした手が、額に当てられた。
「あ?」
しぶしぶ目をあけると。これをどう信じろというのか。
夢に見たあの笑顔、金色の髪が目の前にあった。
「グ、グレミオさん」
優しく肩を押さえ、グレミオは飛び起きようとする私を制した。
「急に起きちゃダメです」
「わ、私は公園でちょっと休もうと……寝てしまったんですか」
「ちがいます、倒れてたんですよ。近所の人が見つけて、連れてきてくれたんです」
倒れてた!
なんて醜態を晒してしまったんだろう。
「名前を聞くと、グレミオ、とお答えになったそうです」
「……そ、それは……ご迷惑を……すみませ……」
「いえ、どういたしまして。こちらへはお仕事ですよね?街中、お医者さんで一杯ですよ」
「そうです……リュウカン先生の、研究会で……」
口が回らない。これは熱のせいばかりではない。
会いたかった!どんなにか、会いたかったか!!
でも会いたかったのは私だけなんだ……。
「宿へ帰ります……本当にご迷惑をかけまし……」
「宿?マリーの宿屋で泊まってるんですか?でもその熱じゃあ歩かないほうがいいですよ」
「トウタが、心配ですので」
グレミオはうなずいて、「お送りしますよ」と言った。
起きあがると、ひどく足元がふらついたが、なんとしても出ていかねば。
自分を抑えられなくなって、この人に迷惑をかけるまえに。
「おい、外に出たらだめじゃないか。先生すごい熱なんだろ?」
階段を下りたところで、マクドールの御曹司に見つかってしまった。
手には、大きなボウルを持っている。
「マリーんとこで、氷、もらってきたんだよ。トウタも見つけて連れてきた。宿の外でうろうろしてたよ。ほら、トウタ。先生だよ」
トウタが駆け寄ってくる。
「もう、遅いから心配したんですよ。先生、すごく疲れてたから」
マクドールの若様が横から口をはさんだ。
「先生、今晩だけでもここに泊まってください。グレミオがお世話になったお礼もしてないし」
グレミオがお世話になったお礼……。
し、心臓に悪い。トランの英雄に「お礼」などされたら、私は肉と骨が分かれてしまう。
「先生、そうしましょう。雨も降りだしましたからね……」
トウタが私の腕をつかんでこういった。激しく責めている目だった。
マクドール家の、客用寝室に落ち着いてから、トウタは黙って私の頭を冷やした。
しばらくして、やっとトウタは口をきいてくれた。
「そこまでして、グレミオさんに会いたかったんですか?」
「トウタ……これは偶然……」
「マクドールさんの家のすぐ近くで倒れるなんて、わざとらしい」
「心配かけたのはすまないが、トウタ」
「元気な先生が、熱出してひっくり返るほど好きなんですか?いやらしい!」
「ね……これは不可抗力だよ」
「片思いなんて、バカみたいだ。あいつを見る先生の顔、嫌いだ」
トウタはそっぽを向いてしまった。
「トウタ……大事な話があるんだ」
「……」
「こっちを見て、トウタ」
こちらを向いた弟子は、涙ぐんでいた。
「おまえを、リュウカン先生のところに預けようと思う。私といたら、見なくてもいいものを見ることになるだろう。勉強にもさしさわりがあるから。グレッグミンスターで勉強しなさい」
「ぼくを、置いていくんですか?」
「そのつもりだった。リュウカン先生は、二人ともここにいればいい、診療所を、手伝ってくれとおっしゃっているけれどね」
「どっちも、絶対嫌だ!こんなところ、キライだ」
トウタはまたそっぽを向いて、つぶやいた。
「ここにいたら、毎日でもあいつに会えると思ってるんでしょ?軍師さまとも会わなくてすむし」
かわいそうなトウタ。
トウタの大切な頭を、こんなことに悩ませるのは、今日限りだ。
私は息を吸いこんで、ゆっくりと言った。
「それは無理だ。私はシュウなしでは、いられない」
トウタは、ぎょっとして私の顔を見つめた。
「本当に、毎晩毎晩、しかたなくシュウに犯られてたと思っているの?」
「せ、先生……」
「トウタはまだまだ子供だねえ」
私は含み笑いを浮かべて見せた。
「手も握ってくれないグレミオさんより、シュウのほうがずっといいにきまってる」
「…………」
「私は、軍師と一緒に、ミューズに帰る。二人で一緒に住むかもしれない」
「ふ、二人で……じゃあ、ぼくは?先生、ぼくは!?」
「おまえは、ここに残ってくれ」
「……!!」
大きな目に、大粒の涙が浮かんできた。
次の瞬間、トウタは椅子を蹴倒して、部屋を出ていってしまった。
「先生?グレミオです……入りますよ」
軽い足音が近づいてきた。
「あの、トウタ君ですが、どうしても宿に帰るというので……またリアムさまが送って行きました。明日リュウカン先生のところに行くから、心配しないようにと……それから、長いあいだお世話になりました、さようならといっていましたよ」
お世話に、なりました。
さようなら。
本当に、なにかが壊れるのは一瞬だ。
自分で、仕向けたことなのに。
ベッドの底が抜けて、地底に落ちていくような感覚が、私を襲った。
そして、ようやくわかる。
トウタが私を必要としていたより、何十倍も、私のほうがトウタを必要だったと。
トウタは私の夢の子供だったと。
あの子の亡き父に頼まれたとか、恩返しとか、もうそんなことではない。
私の夢、私の希望、私の、自慢の子供。
私の、息子。
ひ弱だったトウタ、頼もしく、しっかりした子供に育ってくれて。
子供を持てない私に、神様が授けてくださった夢の子供…………。
「グレミオさん、ありがとう。ご迷惑を……おかけして……」
「大丈夫ですか、先生?すごく顔色が悪いですよ」
「……ご心配なく」
私はグレミオを見つめた。絵のようにきれいな顔だ、と思う。
どうしてだろう。あんなにあこがれていたのに、ぼんやりと霞んで見える。
なにも感じない。胸もときめかない。
遠くに霞んだ絵のように、おぼろに見える。
そっとグレミオは、私の額のタオルを取り、手を取った。
そして袖を少しずらし、あちこちにうっ血の残る腕を、剥き出しにした。
シュウは、すぐに見えるところに、わざと歯型をつけるくせがある。
こちらは恥ずかしさで心臓が止まりそうになっているのに、グレミオは冷静にこういった。
「先生、なにかあったんですか?」
「……」
「そんなに、痩せて」
私は首に手をやった。
首にまいていたスカーフがない。あざだらけの首を隠すためのスカーフ。どうして今まで気づかなかったんだ?
「すみません、呼吸が楽なようにと思って外したんです」
「…………」
「やぼなことはいいたくないんですが、度を越していると思ったんで」
傷ついた小動物を見るような、同情のこもった目だった。
腐っても男である私には、うれしいはずがない。惨めになるばかりだ。
できるだけ不敵に見えるように、懸命に笑いを作った。
「……好きでやってることですからご心配なく……」
でも声が震えてしまって、勝手に涙がこぼれてくる。
もう私は、男ですらない。半分去勢された存在だ。
涙をこらえる強さもない。なけなしのプライドも、全部シュウにとられてしまった。
この人のまえでだけは、醜態をさらしたくなかったのに。
「グレミオさん、あなたは立派です。ちゃんとリアム君を守り、育て上げ……私は親の責任も果たせず……」
グレミオはゆっくり首を振った。
「私だって、悩むこともいっぱいあったんです。育てたというより、いまから思うと、よくぞ育ってくれたと思うばかりです」
「…………」
「どんな仲のいい親子でも、けんかの一つやふたつありますよ……」
そして、彼はそっと出ていった。
横になっても涙があふれて止まらない。
女のように泣きつづけて、私はいつのまにか眠ってしまった。
2へ続く。
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