家出娘1
ある日、殺伐とした島に、お姫様が舞い降りてきた。
そのときおれは、パンツ一丁で捕まえたカニを解体している最中だった。岩陰から、突然現れたフレア姫に仰天して、危うく指を切り飛ばすところだった。
オベル一の美人と名高いフレア姫が、こんな無人島に何の用なんだろう。
おれはほんの少し身構えたが、フレア姫には何の屈託もない。荷物も持たず、いつもの軽快なパンツスタイルで、ただ靴を脱ぎ、裸足で歩いてきた。白い砂浜に、フレアの小さな足跡が、転々と続いている。
「本当にきれいな砂浜ね! こんなきれいな島、初めて見たわ」
まったくの旅行者のようにも見えた。だがよく聞いてみると「みんなには黙ってきた」ということだった。
「わたし、家出したのよ」
「あ、そう」
「驚かないのね」
まあ、人生そういうこともあるだろう。おれは元々が家なしの孤児だから、家出なんてするやつの気持ちはわからないけどな。
「よく、ここがわかったね」
フレアは顔の前で手をひらひらと振って見せた。
「偶然よ、イリスがここにいるなんて知らなかったわ。港を一番早く出る船に乗っただけなのよ。港でチープーに会って、それであなたのことを知ったわけ」
計画性も何もなかったんだ。ろくに荷物も持たず、行き当たりばったりに船に乗ったのか。おれと会わなかったらどうするつもりだったのか……。
彼女は少し落ち着くと、例のお守り係への不満をぶちまけ始めた。
「私だってもう大人なのよ。イリスよりもずっと年上なのよ! デスモンドったら、ほ
んっとに腹がたつったら!」
「ふうん」
使用人とけんかしたくらいで家出というのも、ちょっと不思議だ。気に入らないのなら、あいつを追い出せばいいじゃないか。妙な違和感を感じたが、とにかく腹ごしらえだ。
「これ、食べる? おなか空いたでしょ」
おれはかにの身をばりっと割って、フレアの前に差し出した。フレアは「フォーク、ある?」と言いかけたが、おれの食べ方を見て、すぐに同じように両手で持って食べ始めた。小さい口でカニの身を食いちぎるのだが、そんな食べ方をしてもどこか上品だ。
「で、デスモンドさんが何をしたって?」
「聞いてよ、ラインバッハさんと付き合えっていうのよ。今度ミドルポートに遊びに行けって言うのよ! 結婚相手としては最高じゃないですか、ですって。ほんとにひどい!」
「ふうん」
おれはフレアを見た。彼女はたしかまだ二十歳くらい。ラインバッハはずっと上だったと思うが見た目も男前だし、性格もいい。けっこう悪くないような気もした。
「フレアは、ラインバッハさんは嫌いなのかい? ファッションセンスはちょっと変わってるけど、いい人だよ」
「イリスは、いい人、っていうだけで、好きでもない人と結婚する?」
「あ、いや……それはちょっとな」
一本目を平らげたフレアは、差し出したワインを少し飲んでは、考え込んでいた。
「ラインバッハさんが誠実な人ってのは知ってるわ。一緒に戦った仲ですものね」
姫様はぱちぱちはぜる焚き火を見つめた。
「腹が立つのは、デスモンドの言い方よ。別居結婚でもいいじゃないですか、だって。君主同士が結婚して、別居結婚なんてざらにありますよ、なんて言って。デスモンドって人はもう、人の気持ちも知らないで……」
「それって、政略結婚か」
「結局、そうなるわね」
「フレアは、嫌なんだね」
フレアは小さくうなずいた。
「群島のためにはいいかもしれないわ。でも、王女の癖にって思うかもしれないけど、やっぱりイヤなの」
彼女の豊かな金髪に、炎の色が揺らめいて見えた。夢の中で垣間見た、オベルの王妃様の面影がある。あと何年かすれば、ほんとうにそっくりになるんだろう。そしてそのときの彼女は、いつもより頼りなく見えた。ほっといたら、悪者にでも捕まって、売り飛ばされそうな感じだったのだ。
おれは理由にもなく、この人を守ってあげなきゃっていう優しい気持ちになって……騎士道精神っていうのか? そんな気持ちになってしまった。
「心配するな。気のすむまで、ここに居たらいいよ。遠慮なんかいらないからね」
家出娘2
幻水4 インデックス
トップページ