家出娘 5
不意に足を引っ張られて、すっ転びそうになった。振り向くと、デスモンドの野郎がおれの足を捕まえているのだった。
「あの、まさかとは思うのですが、イリス様。昨晩はフレア様と同じ、その、屋根の下でお休みに……?」
「やぼだな、当たり前のことを聞くなよ」
デスモンドは明らかに誤解して、へたへたと浜辺に座り込んだ。言っとくが、おれは嘘は言っていない。紛らわしい表現をして、ミスリードしているだけ。それを勝手に誤解しているのは、やつのほうだ。
「も、も、もちろん、何もありませんでしたよね? ね?」
「何もなかったかといわれたら、あった、というしかない。しかたないだろ?」
毛虫に刺されたのは、不可抗力だからな。
「………イリス様」
デスモンドは涙目になっている。
「まあ、彼女も気がすんだら帰るだろ。それまで二人で楽しくやるから、デスモンドはもう帰っていいよ」
デスモンドは、ゆっくりと立ち上がった。何かぶつぶつ言っているのが聞こえる。
「何?」
「よくも、このケダモノの野蛮人、私のフレア様を……」
やつの手にはしっかりと、流木が握られていた。
やつが流木を振り上げた瞬間、飛び掛って叩き折ってやった。今度は素手で殴りかかってきたが、そんなふにゃふにゃのパンチなんて、かすりもしない。足を掛けて転ばせてやった。
それでも懲りずに、這うように寄ってくるところを、思い切り蹴飛ばしてやったのだ。
「くっ。せめて一太刀」
デスモンドはたわけたことを口走って、片手を挙げ、なにやら紋章を唱え始めた。
おれは大またに歩いていって、デスモンドのアゴと鼻のあたりを殴りつけた。やつは口と鼻から血を流して、詠唱をやめた。
「お前が先に手出ししたんだからな!」
醜く歪んだデスモンドの顔がおれを見上げていた。髪を振り乱して、鼻血を流して、そんな哀れな様子をしていながら、それでも恨みにぎらつく目でおれを睨むのだ。
デスモンドの癖に生意気だ。許せというのが無理だ。
「反省してないな、お前は」
おれは左手でヤツのあごを押さえ、右手の中指と人差し指を、血の流れ出している鼻の穴に突っ込んで、ぐりぐりと掻き回してやった。
「ひぃ!」
やつの目は真っ赤になり、目頭から涙があふれ出た。
「どうだ、スノウの痛みが少しはわかったか」
「こ、こ、こんなことをして、らのしいんれすかぁっ」
「ああ、楽しいねっ! もっと早く、こうすりゃよかったって思ってるよ!」
おれは叫びながら、さらにぐりぐりと指を押し込んでやった。
「ぁああ! 後生れす、やめてくらさいっ」
「わかったなら謝れ! ラズリルの方角にひれ伏して、スノウに許しを請え!」
「ひぃ、何でもしますっ」
悲痛な声だった。あまりに哀れな声だったので、おれはデスモンドを開放した。やつはことさら卑屈に、何度も頭を下げている。
「本当に申し訳なく思います、イリス様。で、ラズリルはどの方向でしょうか」
デスモンドは確かに、そういった。
「ああ、それは、あっちの方角……」
その瞬間、やつのキックがおれの股間にめり込んでいた。
「うぉおぉおおお!!」
生まれてはじめてというくらいの、強烈な痛みが腹から頭に走った。
おれは歯を食いしばり、自分の太ももを掴んで痛みに耐えようとしたが、不可能だった。
「あっ、あっ……くそ、きっさまぁっ」
体を二つ折りにして苦しむおれの前で、デスモンドが見下ろしていた。
「私なら何でも耐えます。だけどフレア様に手を出したなんて、絶対に許しません! 実の姉を汚したやつは、無限地獄に落ちるがいいのです!」
「何をいってやが……あぐっ!」
形勢逆転だった。やつはおれを蹴り倒し、土足でおれの背中をげしげしと踏みつけたのだった。
なんて屈辱だ。あの巨大樹を倒したおれが、こんなやつにやられるとは!
だが、やつはおれを足蹴にしながらも、泣き叫んでいた。
「わたしがどんな思いをしてフレア様をお育てしたか! 誰よりも幸せになっていただきたいと、やっとここまで大きくしたのに」
それを聞きながら、ふと思った。こいつはフレアのことが好きなんだ。ルイーズを追い回していたが、その実フレアのことが一番好きだったんだろう。
だけど彼女はお姫様で、こいつは平民だ、手出しなんか思いもよらない。その鬱憤が溜まって、おれとスノウにあんな無茶をしたんだ。それにしても、屈折しすぎだ。
(身分違いだからだな)
身分違い、というその言葉は、思いがけず胸に突き刺さった。こいつは、ちょっと前のおれと同じだ。おれだって、ラズリルじゃスノウの小間使いだった。彼がすべてを失うまでは、手も握れなかった。
すべてを失ったスノウに、おれは本当に、強引に迫った。あれはひどかったと自分でも思う。最後には受け入れてくれたけど、スノウは傷ついてたかもしれない。おれを愛してくれてると思ったけど、本当はイヤだったのかもしれない。
おれは立ち上がる気力もなく、デスモンドに痛めつけられるままになっていた。やつのキックは大した威力はなかったけど、心へのダメージのほうが大きかったのだ。
家出娘 6(ラスト)
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