Missing 1
2006/11/16


美しい月が出ていた。
港から道を曲がって、鎧の触れ合う音が近づいてくる。表通りの石畳を踏みしめて、若者たちが歩いてくる。
市民たちが歓声を上げる。窓から花を投げかけて、手を振るものもいる。もう百年も繰り返されてきた、火入れの儀式が今年も始まった。

団員たちの真新しい装備が、篝火の炎に照り映えていた。頭を上げて歩いていく彼らは、みな、同じような長さの松明を掲げていた。
火入れの儀式で、団員全員が松明を持つようになって、数年が過ぎていた……。

「おめでとう!」
中年の主婦が松明を差し出した。松明の先には麻布を巻きつけ、油を浸してある。
「ありがとう」
まだ少年の面影を残した若者が、そっと主婦の松明に火を移した。そうやって火種を分け与えながら、若者たちが広場に入ってくる。
市長の短い祝辞、カタリナ団長の返礼のあいさつ、その後直ぐに立食パーティがはじまって、若者たちが食べ物のテーブルに群がってくる。
肉料理、魚料理といろいろなテーブルがあるが、そこには何人も世話をする住人がいる。皆、ボランティアだ。

若者は肉が好きだから、肉料理の前にはやはり人だかりができる。串焼きの肉が主だが、つやつやと焼き上げたスペアリブ、骨付きの鶏肉もある。
若い女性団員がスペアリブをかじり、「甘くておいしい。いつものお肉と違う」と声を上げた。
スノウは気をよくして、「一杯お食べ」と答えた。
自慢のふわふわした金髪は、今日はスカーフできっちりと包み込まれている。食べ物を扱う手前、清潔が第一なのだった。


「ねえ、スノウ。これどうやって作るの?」
訓練生の一人が、肉をほおばりながらスノウに問いかけてくる。たいていの訓練生は、スノウに懐いているのだ。
スノウの本業はオレンジ農家だが、農閑期には剣術の稽古を付けてやるからだった。
「ママレードを塗って焼いたんだ。さっぱりしたのがよければ、切ったオレンジもあるよ」
そして幾分悔しそうに「今年のはちょっと酸っぱいけどね」と付け加えた。

喧騒がひと段落するころ、海からの風が吹いてきた。
額にうっすらと浮かんだ汗も、すぐに乾いてくれる。食べ疲れた団員たちが一人、二人と去っていき、疲れきった住民が黙々と後片付けを始めるころ、スノウもそのまま去るわけにはいかなかった。
全て終わったときは、夜中をとうに過ぎていた。
疲れきってエプロンを外し、スカーフを取る。誰かが背中をどやしつけていく。

「お疲れさん、スノウ! ゆっくり休んでくれ」
顔は知っているが名前は知らない、表通りの住民だ。
「お休みなさい」
スノウはそう答えて、自分の家へと歩きかけた。少し歩きかけたとたん、なにか蹴飛ばした感覚があった。
乾いた音を立てて、それは転がっていった。燃え尽きた松明だった。
スノウは苦笑した。皆に松明を持たせると、中には心がけの悪いものもいる。ゴミのように松明を投げ捨てていく、公衆道徳のなっていないものもいたというわけだ。
(火の用心にも悪いし、苦情が出てはいけない。ケネスに言っとかなきゃ……)

団員ではなく、住民が捨てたのかもしれない。
どちらにせよ火の用心が悪い。
膝を屈めて、その松明を拾い上げた。とげが、荒れた手のひらに鋭く刺さった。
「!」

一気に数年前の夜に引き戻される。火入れの儀式で松明を持った夜、あの夜も手のひらが痛かった。
パチパチと落ちてくる火の粉の熱かったこと。
あれが頂点だった、あれから転落を始め、何もかも失った。

体に震えが走った。急激に力が抜けたので、手に持った木切れを取り落としてしまったほどだった。
松明は石畳の上を音を立てて転がり、水路に落ちた。

(火が消えて、転がって、水に落ちた。ぼくは……燃えカスだ)
そういう後ろ向きな思いは卒業したはずだが、ぶり返す病のように心を過ぎる。
早く家に帰ろうと思った。夜はろくなことを考えない。
以前、世話になった農夫はとても陽気な男で、早寝早起きだった。彼はこういったのだ。
『夜、いつまでも起きてると、ろくでもないことを考えるだろう。それは魔物がささやいてるからさ。早寝早起きが一番だよ』

そのとおりだと、スノウは思った。
さっさと帰り、明日も早く起きよう。熱いコーヒーを飲んだ後、オレンジの木の見回りをして、虫がついていたらひねりつぶして……。

「もし、あなたはスノウどのか」
暗がりから、声がした。
黒い姿の男が、そこに立っていた。スノウのほうに近づいてきたが、足音がほとんどしなかった。本当に夜の魔物のようだった。

「ヴィンセント・フィンガーフート伯爵のご嫡男の」
黒いフードをしていて顔立ちは分からなかったが、色の薄い髪がはみ出しているのが見えた。

「おいたわしいお姿だ」
その声のトーンは明らかにガイエン貴族のものだった。スノウは軽い吐き気を覚えながら、問いただした。
「誰です」
男はそれには答えず、手に持った手紙を差し出し、スノウの手に押し付けておいて、「手紙に書いております」とだけ答えた。

「明後日まで港に停泊しています。青い帆の船です……お待ちしています」
消えそうな語尾を残して、黒いケープを翻して去っていった。


Missing2


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