Missing 10
2006/12/23


スノウの寝起きしていた部屋は、相変わらず殺風景だった。
居心地よくする、部屋を飾る、というところまで、頭も金も廻らなかったのだろう。一介の傭兵が果樹園を買い、経営していくというのは、並大抵のことではないはずだ。

粗末なベッドには、ベッドカバーもない。
頑丈そうなテーブルの上に、白い陶器の食器が重ねられていた。
ケネスはふと、木のテーブルに歩み寄った。
「いないのに気づいたのは、火入れの日から1週間くらい後だった。コップの底にコーヒーが残ってた。パンにオリーブオイルを塗って、オレンジを切って、それがそのまま皿に残っていたよ。そして、書置きがあった」
「なんて書いてあった?」
ケネスは少しためらった風だったが、直ぐにポケットに手をやった。手帳を取り出しながら、事務的に答えた。

「『もう耐えられない。さよなら』」
イリスの目の前は真っ暗になった。

「スノウがそんなことを書くはずがない」
「だが、筆跡がスノウのものに似ている」
「嘘だ!」
「じゃあ見ろよ」
ケネスが取り出した紙は、ただの薄い書簡用紙だった。
端が少し変色して、めくれ上がっていた。

細い、流れるような筆記体を見たとたん、足から力が抜けていくのがわかった。それはスノウからの手紙の書体と非常によく似ていた。

イリスは黙り込んでしまった。ケネスが居なかったら、座り込んでいたかもしれない。

「この端は、おれが焦がしたんだ。あぶり出しかと思ってな。食卓にオレンジが残されていたし……だが外れだった。本当のメッセージなどはどこにもなかった」

ケネスは淡々とした口調でそういうと、指先でそっと紙の端を撫でた。
「おれの罪だ。スノウの気持ちを汲んでやらなかった。いつも無理ばかり押し付けていた」

紙のふちを撫でる、ケネスの細い、長い指を見つめていた。

「スノウが居なくなる前の日、騎士団の館に来たそうだ。ケネスは居ますか?相談したいことがあると、そういったそうだ。おれは哨戒に出かけていて会えなかった。おれが居たら、こんなことにはならなかった」

ケネスはまるで愛撫でもするかのように、白い紙をなで続ける。
「それに、触るな」
イリスは、思わず激しい言葉を口にしていた。ケネスは驚いて手を引っ込めた。
「あ、いや。証拠品だろう? もう一度よく見せてくれないか」
イリスは言い訳がましくそういうと、紙の表面に目を凝らした。筆圧で上の紙のメッセージが残っている可能性もある。
だが何も無かった。
そればかりか、部屋中捜しても、何の手がかりも見つからなかった。

ただ、防具、アクセサリの類、また剣もなかった。
十分な装備をして出かけたということは、誰かに無理矢理に連れて行かれたという選択肢が消える。スノウは、自分の意思でこの家を出て行ったのだ。

ドアに吊られた暦には、農作業の予定がしっかり書き込まれていた。
書置きをして家出をする人間が、こんなことをするはずもないのだった。

何の収穫もなくスノウの家を出ると、二人はひとこともしゃべらず、ただ黙々と市街地に向かって下りていった。
ケネスも気まずいと思ったのだろう。
「そろそろ腹がすいただろう。美味い魚の店があるんだ。おれもスノウもそこがえらくお気に入りで、一時は毎日のように……」

「知ってるよ。二人で何度も行ったから」

ケネスは苦く微笑んだ。
初めはケネスがとげとげしく振舞っていたのが、まるで逆だ。

「思い出して辛いなら、別のところにしようか。ところで、スノウが居なくなったあたりに、ラズリルから出て行った船を調べてみた。群島の定期航路を使ったのなら出国記録が残る。貨物船で密航したというのも考えうるが、スノウがやることじゃない。これは勘だが、一隻、気になる船があった。ミドルポート船籍の『エディルナ号』てのが、火入れの儀式の2日後に出航している。だがそんな船はミドルポートには存在しないそうだ」

「存在しないって。じゃ、偽装した海賊船か?」
ケネスは首を振った。
何かを知っているのに、さっさと言わない風だ。

「港で荷揚げをしたものによれば、ごく普通の貿易船だ。荷物を積んで、ミドルポートに帰ったはずだが、途中で消えている。それについてはミドルポートの軍人に相談して、わかったことがある」
若い副団長は、そこで言葉を切ったが、焦らすつもりはなかったらしく、あっさりと結論を言った。
「エディルナというのは、ガイエンの町の名前だ。フィンガーフート伯の出身地でもある」

ケネスは、まっすぐにイリスを見つめてきた。
「おれは今、ガイエンに行く許可を待っている。カタリナ団長を説き伏せているところだ。粘り強く交渉するつもりだが、なかなか許可が下りなくて困っている。許可が下りたときは手遅れになるのではと、心配でならない」
「許可か。面倒だな」
ケネスは顔を曇らせた。
「おれも全て投げ出して行きたいと思うが、いろいろしがらみがあって……」

イリスは皆まで聞かなかった。
「わかった、おれが行く。場所を教えてくれるか?」

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