Missing 11                        2007-04-12


ラズリルから船出して丸1日。
甲板の上を何かが飛んでいるのに気づいたのは、イリスが最初だった。
見上げると、黒い影が旋回している。巨鳥だった。頭上を武装したイワドリが舞っているのだ。
乗り手の姿は未だ見えない。
「撃ち落しますか?」
「待て」
イリスは目を凝らした。
「その必要はない」

イワドリはやがて風を立てて甲板に着地した。その周りを船乗りが囲む。剣は抜かないまでも、怪しいそぶりを見せたら何時でも飛びかかれるように、身構えている。
乗り手は、両手を挙げて、害意がないことを示した後、顔と頭を覆うヘルメットを取った。後頭部でひと結びにされた、色の濃い髪が勢いよく跳ねあがった。
名乗るまでもない。イリスとは旧知の仲の若者だった。

「何でこんな無茶をするんだ、ケネス」
ケネスはそれには答えず、イワドリを指差してしゃがれた声で言った。
「まずイワドリに水と角砂糖をやってくれ。ついでに俺にも」
「レディファーストか?」
ケネスはにこりともせず、「よくわかったな。エルメリーナはメスだ」と答えた。

イリスの船室に落ち着くと、ケネスは呆れるほど水を飲んだ。日干しになりかけていたのだろう。甲板で介抱されたイワドリといい勝負だった。
「無茶したな。合流できなかったら、海に落ちてたんだぞ?」
「イワドリの嗅覚のおかげだよ。たいしたものだ。さて、イリス。お前に話がある」
グラスを置くと、いきなり本題に入った。
「スノウの捜索は中止だから、引き返せ。状況が変わった。それを言いに来た」

なんと勝手なのだ。イリスはかっとなって叫んだ。
「今更何言ってるんだ、行けといったのはお前だぞ!」
「予定外の事態が起こった。これを読め」
そういうと、ケネスはポケットから手紙を引っ張り出す。
イリスはそれをすばやく黙読し、すぐにそれを畳んだ。
「本物か?」
「エディルナ公国から送り付けられてきた。公式文書だ。ミドルポートの外交官に照会したが、本物だそうだ」
イリスはもう一度読み直した。奇妙に堅苦しい文面が頭を素通りするばかりだ。

「ラズリル島を領地として保有するフィンガーフート伯爵家は、当該領地の所有権をガイエン公国に有償売却する。今後、ラズリル島の領土および島内の資産は全てガイエン公国が権益を有するものとする。ただし島民の所有する無形の海外資産については、除外するものとする。」

流麗な筆跡は、明らかに筆耕の仕事だろう。署名は、フィンガーフート親子の連名だった。
「スノウとヴィンセント殿は、ラズリルを売った、ということだ。少なくともこの文書にはそう書いてある」
イリスの心臓は気味悪いくらい重く打っていた。
「信じないぞ」
「とにかくラズリルに引き返そう、イリス。カタリナさまはミドルポートとオベル王に応援を頼んだ」
「お、応援って……」
ケネスはかすかに口元をゆがめた。
「万一にもガイエンが攻めて来たら、ラズリルだけでは持ちこたえられない」
「何で、いまさら」
「カタリナ様がおっしゃったのは、こうだ。ガイエンは……エディルナ公国の独断かもしれないが、クールークが居なくなるのを待って、取り戻す気になった。それで、たまたま亡命してきたフィンガーフートの名前を使った。攻めてくるときの大義名分が立つ。もしくは、スノウの名を使って、ラズリルを挑発しようとしているのかもしれない」

そういうと、探るような目でイリスを見つめた。
「分かったら引き返せ。エディルナは最早、敵地だ」
「断る!」
「即答だな」
ケネスは仕方なさそうに微笑んだ。
「困ったな。お前に何かあったら、おれの責任だ。下手したらオベルとラズリルの外交問題だ」

そういうとケネスは、身に着けていた鎧を脱ぎ捨て始めた。
「エルメリーナもしばらく飛べない。お前は気になるし、帰る足がないと来たら、選択肢はない。付いていってやるよ。仕方なく、な」
一方的に、用意していたような言葉を並べる。
「おい、ケネス……どうしてそうなるんだ?」
「少し寝る。悪いが、ベッドを借りるぞ」

イリスの答えも聞かず、ケネスは靴を脱ぎ捨て、ベッドに潜り込んでしまった。
しばらく考え込んでいたイリスは、しばらくして顔を上げた。
「おい……ケネス」
だがケネスの答えはない。その下まぶたには青い隈が見えた。痩せたのか、鼻梁も高く見える。よほど疲れていたのだろう。
「騎士団を逃げ出してきたのか?」
だが、ケネスは静かな寝息を立てるばかりだった。 ケネスの手土産は、フィンガーフートの書簡だけではなかった。エディルナ公国の地図、という貴重なものを携えていたのである。どこから買ったのか聞いても、「知り合いから借りた」というばかりだった。

詳細な手書きの地図だが、地図の余白に、金箔を押した装飾が施されている。それ自体が装飾品のような無駄に美しい地図だった。
趣味から判断すると、出所は「ミドルポート」あたりしかない。ケネスはこれを得るために、誰かに「大きな借り」を作ったはずだった。

波は穏やかで、風もいい具合に吹いていた。ラズリルの船は、それから夜も昼も海上を進んだ。神に祝福をされたような、穏やかな航海だった。
エディルナの長い海岸線を遠くに見ながら、北へとさらに船を走らせた。大きな港があるのは分かっているが、用心してそこからの入港は避けた。
翌日、静かな入江を見つけ、接岸するための小型の舟を下ろした。浅瀬で座礁するのを避けるためと、やはり人目を避けるためだった。

「一ヶ月後、この地点でお待ちします。どうかご無事で」
ラズリルの船乗りはそういうと、イリスと、ケネスに向かって敬礼をした。もと海上騎士の船乗りだった。

エディルナ国境から市街地まで歩くにしても、エディルナは平地の国である。
旅する場所としては、楽にいけるはずだった。旅も、戦えるものが多いほど心強いが、人数が多いと人目を引く。
彼らはイリス、飛び入りでケネス、そして護衛としてアカギの、ただ3人だけだった。
そのアカギは櫂をこぎながら、口笛を吹きかけていたが、すぐに止めた。相棒の女忍者がいれば、厳しくたしなめられたことだろう。
「こう野郎ばっかじゃ、よけい目立ちませんか? 女の子が一人でもいればねえ」
アカギは相棒が恋しいのだろう。イリスはそのぼやきを聞き流しながら、緑もまばらな海岸線を見つめていた。
空は低く垂れ込めている。まもなく雨が来そうだった。

一ヶ月。その間に、スノウと合流し、連れ帰る。スノウの父の実家を見つけ、会って話す。
あんな文書、でたらめに決まっている。騙されたか、脅されたのか。それを思うと胸が痛くなった。
(スノウ)
イリスは紋章を宿した手を、きつく握り締めた。
(やっぱりおれが居ないと)
手を放すのではなかった。思うことはいつも、同じだった。

Missing 12

幻水4小説トップ
Index