Missing 13 07/5/5
村を見捨ててから、3日3晩も歩き続けたが、後から兵士が追ってくる様子はなかった。
地図と緯度を確かめて、ケネスが「もう少しだ」と言い出した。
「この先の川を越えたら、エディルナ市街だ。橋を渡るのに通行証が要るらしい。そこで、ラズリルが長年、寄付をしていた僧院がある。頼ってみようと思う。フィンガーフート家とも繋がりがあるから、スノウの情報も聞けるかもしれない」
「引き返すべきだ」
アカギの意見は明確だった。
「おれにはスノウなんてどうでもいい。おれの仕事は、イリスの身を守ることだ。リノ様からそういわれてる。また紋章が暴走しかけたらどうするよ? いつまでもこんな綱渡りは御免だ」
ケネスは、「しかしスノウを利用されるのは、ラズリルとして得策ではない。どうしても連れて帰る必要があるんだ」と譲らない。
「イリス、紋章が暴走するのは、お前の精神状態に反応しているのかもしれん。気をつけてくれ」
イリスは頷いた。ケネスに言われるまでもない。アカギが殴り倒してくれなければ、罰の紋章は暴走し、一帯を焼き払っていたのだろう。
(そうだ。おれがしっかりしないと)
イリスは手袋をはめた手を、ぎゅっと握り締めた。飼いならしたはずの紋章だ。今更、これに引きずられるのは、ごめんだった。
ラズリルと縁があるという修道院は、牧草地の中にぽつんと立っていた。
分厚い灰色の壁は、外の世界に対して閉ざしているようだった。
鉄の門扉を叩くと、年寄りがやってきて「施しなら裏へ回りなさい」と喚いた。
ケネスが哀れな声で、「群島からきました、フィンガーフート家の使用人です。主人に会いたくて尋ねてまいりました! どうか、お助けいただきたい」と言った。
門扉は直ぐに開いた。
まもなく髪の赤い修道士がやってきた。
「さあ行きましょう。私の同行者としてなら、通行証は要りませんから」とせっかちに言った。がさがさと音を立てる、大きな袋を持っている。
「ヴィンス殿に薬草を頼まれていたもので。それが用意できたので、早くお持ちしたいと思っていたのです。ご一緒しますよ」
ヴィンスとは誰なのか?
もちろん3人には見当がつかない。だが聞き返すと怪しまれる。イリスは手を差し出し、修道士の荷物を持ってやった。
街道を、ロバの引く車に乗って行く。右も左も枯れ草色だった。
「ここは牧草地です。春になると、それは美しいのですよ。群島はどんなところですか?」
修道士は、外に出られるのが嬉しいらしく、至っておしゃべりだった。
道中、ラズリルのことを聞きたがった。一年中暖かく、家には暖炉がないと聞いて目を丸くした。
「そんなに暖かいなら病人も少ないでしょう? エディルナは美しいところですが、この寒さと湿気が病気を生むんですよ。フィンガーフート家も今、病人を二人も抱えているんで、ヴィンスどのも大変ですよ。オマケにあの家は御曹司が気難しくて……ああ、これは内緒ですよ」
ケネスはかまを掛けてみた。
「御病気なのはどなたですか。ヴィンセントさまは、ご子息はお元気でしょうか」
修道士はあっさり教えてくれた。
「ヴィンセントさまは何年も病気ですが、ご子息はお元気そうでしたよ」
フィンガーフートの本家は、街中の閑静な一角にあった。
修道士はうれしげに「ヴィンス。元気だったか」というと、肩を叩き、大切に持ってきた薬草の袋と、薬酒を手渡した。
ヴィンスと呼ばれた男は返事もそこそこに、じっと3人を見つめてきた。
修道士が説明をすると、「それは遠路はるばる。私はヴィンス・フィンガーフートです。スノウの従兄に当たります」と名乗り、人の良さそうな笑みを浮かべた。青白い、疲れ切った顔が少し若返った。
声も目の形も、スノウに似ているような気がした。髪の色も、スノウに似た淡い金髪だった。
言葉もないイリスのかわりに、例によってケネスが口火を切った。
「我らの主人はお元気ですか?」
「もちろん、お元気ですよ。スノウ様のお陰で、ヴィンセントさまもお元気になられました。」
「お二人のお役に立ちたい、そればかりを思ってラズリルから参りました」
「ご苦労様です。今はお二人ともお出かけですから、温かいものでも飲んで待っていてください」
イリスたち3人と、修道士の4人は、そのまま小奇麗な客間に案内された。
まもなく、ヴィンスが熱いチョコレートと砂糖菓子を持って来た。アカギが「甘いものを苦手」であると聞くと、温めた酒を持ってこさせた。
「船旅は如何でしたか。皆様がいらっしゃることを知っていたら、港まで迎えに行きましたのに」
イリスが、(貴族でも、こんなに気安い人間が居るのだ)と思ったとき、視界が歪んだ。
「おや、どうしました?」
ヴィンスの声が、物憂げに遠く聞こえた。
「あなたには効きにくいのかな、イリス……いや、軍主どの」
もう体に力が入らなかった。かすかに頭をめぐらせると、スノウの従兄が自分を見つめていた。
足元にはケネスが転がっていた。
「家来だなんて見え透いたことを」
イリスの横には、赤毛の修道士の横顔も見えた。口元から、飲んだばかりのココアが零れていた。その体を、男の足が跨ぎこしてくる。
(やめろ。おれに近づくな)
紋章を宿した左手を動かした直後、手のひらを踏みつけられた。
「おやめなさい、お仲間を殺したいんですか!」
胸を強く押さえつけられて、声も出なくなった。
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