Missing 16                     

牧草地の間の道を行く兵士の列が、前方に長く続いていた。枯れ草の目立つ牧草地には、羊の姿は見当たらない。国境地帯に近づくにつれて、村の貧しさは覆いようもない。貴重な羊は略奪されたくないので、隠したかもしれなかった。

兵士らの装備は、ちょうど冬の牧草地と同じ色だった。スノウは馬車に乗り、軍列の最後尾ちかくを進んでいた。イリスたちはずっと前を進んでいるはずだった。スノウはずっと後ろのほうで、馬車に乗せられてついていった。一度だけ、ディルが様子を見に来た。
「イリスはどうしていますか」
「ご友人か? 機嫌よく公爵のそばに居る」
「いつ会わせていただけるんです」
「そのうちにな」
そういうと、また、風のように走っていった。

スノウが乗せられた小さな馬車には、ほかに年を取った軍医が乗るだけだった。
「静かだな」
鞄を抱えた医者がつぶやいたとたん、地響きがした。
「何だ、地震か?」
軍医がそういったとたんに、二度目の地響きがした。焦げる匂いがする。窓から頭を突き出すと、黒煙が見えた。背中に火がついた兵士が転がり、仲間が必死に叩き消している。

兵士らがいっせいに走っていく。スノウは馬車から飛び降り、兵士をひとり捕まえて「何があった」と問いただした。兵士は「攻撃を受けた、火の使い手が居る!」と叫ぶと、スノウを振り払って走り始めた。
馬車の中から医者がスノウに怒鳴った。
「外に出ないほうがいい」
「危ないのは何処も一緒です」
そのとたん、爆音がした。馬車の窓が真っ赤になった。黒煙が上がり、その激しさに思わず逃げた。燃え上がる炎、吹き付ける黒煙……。火は蛇のように馬車を取り巻いて、焼けつくすまで消えなかった。
やがて煙が収まって、スノウはふらふらと馬車に近づいた。何か黒い、人の様なものが見える。かすかに動いている。消し炭のような丸い顔が横に割れて、赤黒い裂け目が見えた。煙を吐いている……。
人の顔だ。
「見ないで、スノウ」
ふいに後ろから、強い力で引き戻された。枯れ草色の軍服が目の前にある。目深に被ったヘルメットから、柔らかい、薄い色の巻き毛がはみ出していた。
「ヴィンス、何故こんなところに」
従兄は「狙われている」と囁いた。だが、その視線の先には、廃屋が一軒、あるだけだった。
次の瞬間、稲光が走り、廃屋に雷が落ちた。黒焦げの人間が三人ほど、走り出してきて、折り重なって倒れた。倒れながらも、苦し紛れに火の魔法を使ったのだろう。魔法が暴発し、男たちの体は火に包まれた。
「ああ、自決されてしまった。生け捕るつもりだったのに」
スノウはぎょっとして、従兄を見つめた。
ヘルメットからはみ出した長い金髪、長身に痩せぎすの体、青い生真面目な眼。確かにこれはヴィンスだ。修道士である従兄に、兵卒の装備はまるで似合わなかった。それでも、恐ろしい、逃げたいと思った。なぜか近寄りたくなかった。

「さあ、急ぎましょう、本隊を追います」
「待ってくれ。怪我人がいる、まだ生きている。医者なんだ」
「わかりました」
ヴィンスは死にかけている医師に近づいた。祈りの言葉を呟くと、素早く剣を抜いて、止めを刺した。止める暇もなかった。
ヴィンスが近寄ってきて、「いっしょに来てください」というと、スノウの左腕をとった。その瞬間、嫌な衝撃が走った。びりびりと痺れるような、痛みを伴う衝撃で、力が失われたと思った。
「イリスが紋章を使えないと言っています。前線に来て、彼を説得してください」
スノウは従兄を見つめた。自分は群島一の間抜けかもしれない……。
「……父はどうしてる。ヴィンス、あなたが、父に付き添っていてくれると思うから、ぼくは安心して……」
「ヴィンセント様なら、修道院の地下にいらっしゃいます」
唐突に、地下牢、という言葉が頭に浮かんだ。
「ねえ、ヴィンス。ぼくを連れて来たのは、イリスをおびき寄せるためじゃないよね?」
もちろん、ほんの少し思っただけだ。あまりに普段のヴィンスと違うので、怖くなっただけだ。そんなはずがない。すぐに笑って、きっぱりと否定してくれるはずだった。
「仰るとおりです」
スノウは黙って、ヴィンスを見つめていた。従兄は追い討ちをかけるように、また言った。
「全部、お芝居でした」
「どこから、どこまで」
「全てです。イリスのことを調べて公爵に教えたのも、私です。うまくいきました。でも、イリスが言うことを聞かないのが、誤算といえば誤算ですが」

視界がいびつに歪み、ヴィンスの整った顔が滲んで見えた。恐らくスノウ自身の顔も歪んでいることだろう。
言葉もない。それでも、やっとのことで、「ぼくは、あなたをけして許さない」と呟いた。
「育ちが良すぎて、罵る言葉も知らないんですね。同じ従兄弟でもディルとえらい違いだ」
「黙れ。あなたの言うとおりにはならない。ぼくも、イリスも」
「でも、イリスもヴィンセント様も、私たちの手の内にあるんですよ」
ヴィンスは微笑んだ。クールークの死んだ敵将に似た笑顔だった。
2008/7/25
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