Missing 17 
ヴィンスの横顔に、もう微笑みはない。この従兄に同情していたのは愚かだった。
(これは従兄ですらない、ただの他人だ。ただの裏切り者、憎む価値すらない……)

イリスは、双剣を抜いて立っていた。周りには黒煙が漂っているが、息が出来ないほどではない。足元に何人か兵が倒れているが、イリス本人は無傷だった。
「イリス!」
馬から飛び降りて駆け寄ろうとした。次の瞬間、突き飛ばされたような衝撃を受けて、膝から力が抜けた。立っていられず、剣を抜いて支えた。心臓の動きが気味悪いくらい早い。口の中に金物の味がして、雷の攻撃を受けたのだとわかった。
「スノウ、彼を説得して」
耳元で、ささやくような声がする。
「敵の軍勢は森に潜んでこちらを伺っている。あれを焼けと言って下さい」
スノウは激しく首を振った。
「嫌だ」
「言うことを聞いてください。これ以上痛い目にあいたいですか」
ヴィンスの手が首にかかる。帯電したヴィンスの手が触れると、刃物で切りつけられたような痛みが襲った。

「やめろ!」
イリスが大声で叫んだ。
「スノウを騙して、担いで、ラズリルを奪還するんじゃないのか、何故痛めつけるんだ」
「もう気づいてるんでしょう、あれは、全部嘘です」
ヴィンスは乾いた声で笑った。
「彼はエサですから、あなたが手に入ればどうでもよかったんだ。さあ、もっと気合を入れて、罰の紋章を使いなさい、公爵はそれを見たいんですから」
イリスの目が、剣呑に細められた。
「さっきからずっと使っているじゃないか」
「だから、森ごと焼けと言っているんです」
「やめてくれ、そういう使い方をすると死ぬかもしれないんだ!」
スノウはうめいて、女々しいと自分でも思いながら、ヴィンスの腕に縋った。
「あなたにも大事な人が居るだろう、ぼくの気持ちがわかるだろう、イリスはぼくの大事な!」
 するとヴィンスは、なだめるようにささやいた。
「わかります。こんなわたしにも愛しい人はいますからね……でも、そのかたが、紋章の力を見たいとお望みなのです。さあ、公爵殿下にあなたの力を見せてください、イリス。さもないとスノウが死ぬことになります」
イリスは黙って、手袋を外し始めた。
「森を焼けばいいんだな」
だめだ、と立ちはだかろうとしたスノウの前に、ヴィンスが立ちはだかり、腕を掴んだ。
「手荒なマネはしたくないから、聞き分けてほしいんですが……」
ヴィンスの声が次第に遠くなっていた。

次に気づいたときは白い天幕の下で、地面に敷いた布の上で寝かされていた。そして目の上に、ディルの疲れ果てた顔があった。
「気分はどうだ」
スノウはただ、黙っていた。
従兄は「いいわけがないか」と肩をすくめた。
「……イリスは?」
「森に向かって紋章を撃とうとしたのだが、狙いがそれて自分が怪我をした。だがまあ、ヴィンスが雷魔法で敵を全滅させて、公爵にお褒め頂いた」

スノウは、悪口雑言を吐きたいのを我慢して、せいぜい丁寧に言ってやった。
「お手柄ですね」
「全くだ。お陰で公爵は気が変わった。もう罰の紋章は要らないそうだ、もっと使えるやつがいるじゃないか、灯台下暗しってやつさ、ははははは!」

ディルは腹の力が抜けたように、空ろな笑い声を立てた。
「ヴィンスを側近としてそばに置くそうだ、大出世だ。修道院でくすぶってるよりずっと良い」
それから、犬でも追い払うように、手を振った。
「そういうわけで、お前らはもう要らない。公爵の気が変わらないうちに、ご友人を連れてラズリルに帰れ」
そのとき、天幕の中にイリスがふらりと入ってきた。
「お、情けない白馬の王子が登場だぞ。スノウ、何か言ってやれ」
イリスは、無反応だった。蒼白で、足も引きずっている。羽織った上着の下に、包帯だらけの上半身が覗いた。軽症には見えなかった。
ディルは「応急手当もできんのか、無能な衛生兵ども」と舌打ちすると、片手を挙げて、水の紋章を発動させた。
粗野な従兄の水魔法は、驚くほど効果的で、見かけによらず優しい波動でもあった。やがてディルは、顔をしかめて、立ち上がった。
「馬車を用意するから、それで港まで行け。通行証は用意してやる」
「ディル!」
スノウは立ち上がったディルの腕を掴んだ。
「ヴィンスにひとこと言わせろ。こんな回りくどいことをして、ぼくらをだまして、あいつは悪魔だ」

ディルは乱暴にスノウの腕を払った。
「公爵のご指示だ、ヴィンスを恨むな。シナリオを立てたのは俺だ」
「じゃあ、これは何だ? 傷つけたくないなら、こんなに痛めつけるか?」
スノウは腕を捲り上げて見せ付けた。指の形に痣が出来ている。ヴィンスに掴まれたところだった。ディルは顔をしかめた。
「お前が逆らったからだ、ヴィンスも必死だったのだ。公爵のご命令だから」
「そう、『愛しい公爵様』のご命令だものね」
従兄の目が厳しくなった。
「何のことだ?」
「ヴィンスがそういった。愛しい人、つまり公爵が罰の紋章をお望みだからと」
「何を言ってやがる……」

ディルの顔色が次第に変わった。
「ちくしょう、ヴィンス!」
そう吠えると、スノウを突き飛ばして出て行った。


2008/8/17
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