Missing 4

2007/01/28

橋の右手には、小さな風除け小屋がある。その前に、剣を帯びた小柄な兵士が立っていた。
ヴィンスは馬車から飛び降りて、兵士に近づいていった。
スノウからは背中しか見えなかったが、男に何かを渡したのはわかった。兵士は渡されたものをポケットに入れながら、さらに馬車に近づいてこようとする。そこをヴィンスが、強引に立ちふさがった。
さらに何かを男のポケットに滑り込ませたとたん、男はそっぽを向いて、番小屋に戻ってしまった。
馬は小気味良いひづめの音を立て、橋の真ん中をゆっくりと進む。
「橋を渡るのにお金がいるんですか?」
暫くしてスノウが聞くと、「通行料と心づけですね。でないと長々と取調べを受けるそうですよ。まったく、金、金、金の世の中です」と答えが返ってきた。

橋の半ばまで進んだところで、ヴィンスは「レ・エディルニ、旅のご加護を感謝いたします」といいながら、何かを水中に投げた。
早い水の流れに、それはあっという間に飲み込まれていった。



伯父の屋敷はエディルナ市街地のはずれ、瀟洒な館が並ぶ通りにあった。
出迎えてくれた執事によれば、「苦痛を訴えられたので、お薬で眠っております」とのことだった。
「歩く練習でご無理をなさったのかもしれませんね」
ヴィンスはそういうと、スノウを案内してくれた。だが案内された部屋に入ったとたんに、楽観的な気分は吹き飛んでしまった。
半死人がそこに眠っていた。
頬が削げ落ち、瞼は落ち窪み、鼻梁が異様に高く見えた。乱れた白髪に、血の気のない頬。
恰幅のいい、血色のいいヴィンセントはどこにもいなかった。

スノウは寝台の横に膝をつき、父の手を取った。父の手は痩せて、血管が浮き出ていた。
「お父様」
そっと呼ぶと、父は薄く目を開け、直ぐに目を大きく見開いた。うつろな青い目が不安そうに瞬いた。
「おお、お前は」
驚いて起き上がるとする父を、優しく制した。
「どうぞお休みになっていてください」
「何故ここにお前がいる」
「ガイエンに来るようにとのお手紙を下さったでしょう」
「手紙……? わしはどうしたのだ? ここは、どこだ?……」
具合が悪すぎて、頭が混乱しているのだ、とスノウは思った。
「ここは伯父上のお屋敷ですよ」
父はしばらくして、「そうだったな」と答えた。

この様子では、ラズリルに連れ帰るどころではない。いや、自分は父の最期を看取りに来たのかもしれない。スノウはくじけそうな心を励まし、懸命に明るい声を出した。
「思ったよりお元気そうで安心しました。もう少し本調子になったら、二人でラズリルに戻りましょうね」
父は、あいまいな笑みを浮かべた。その顔は、スノウを通り越して、どこか遠くを見ているようだった。
「そうだな。二人で戦えば……あんな、平民どもの寄せ集めの軍勢など……」
スノウは、父の手を何度もなでた。
「荒れた手だ」
「ごめんなさい。痛かったですか?」
「それに痩せ過ぎだ……もっと食べなければならないよ、スノウや」
スノウは突然、子供のように声を上げて泣きたくなった。父はなんと自分に甘いんだろう。父は、この優しさで自分をダメにしてしまうのだ。なんと駄目な父、そして、なんと愛しい父だろう。

息子は父の手をそっと両手で包み、「ラズリルに帰りましょう」とささやいた。
「美味しいものを食べて、美味しいワインを飲んで。ぼくの果樹園は、港を見下ろせる丘の上にあるんです。それはキレイなところなんですよ」
ヴィンセントは不思議そうに見上げた。
「果樹園に住んでいるのか?」
「そう、オレンジを作っています。ぼくは、農夫です」
父は、珍しいものを見るようにスノウを見つめていた。恐れていたような「落胆」とか「軽蔑」の表情ではない。不思議なほど静かな、受け入れる目だった。
「それで、お前は満足なのか?」
「満足です。とても幸せです。大切な友人も出来ました。だからどうか……もう……」
言い募るうちに涙が溢れてきた。
「スノウや」
「すみません、お父様。ぼくは、ラズリルに剣は向けられない、ごめんなさい!」
ヴィンセントは、枕元に突っ伏したスノウの頭を、優しく撫でてくれた。
「お前が幸せなのなら、それでいいんだ……」

Missing 5

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