Missing 7
2007/03/17
本家の従兄、ディルと二人で取る朝食は、非常に気疲れするものとなった。
「おはようございます」と挨拶をしても、言葉は返ってこなかった。
低血圧らしく機嫌も悪い。肘をテーブルについて食べる様子は、貴族とも思えぬマナーの悪さである。
「くそっ。このソーセージが!」
顔に脂が飛んだらしく、従兄は布ナプキンで乱暴に顔をこすっている。だが、見れば白いボウタイにも脂はしっかり飛んでいた。
(出かけるのなら、食べた後で着ればいいのに)
従兄はボウタイを毟り取ると、突然スノウに向かって言い出した。
「これから公爵の離宮へ行く。お前を公爵に謁見させるぞ」
「え?」
スノウが視界に入っていたことすら驚きである。公爵に謁見というのも奇異だった。
「公爵殿が地方視察から戻ったのだ。朝、知らせがあった。ありがたく思え」
そう投げつけるようにいうと、半分以上残った食事をそのままに、席を立とうとした。
「なぜ、ぼくが謁見なんて。お仕えするわけでもないのに」
ディルは嫌な顔をした。
「とにかく、10分で食って、適当に服を着て来い」
そして、こう付け加えた。
「何があっても、今の無様な仕事のことは口にするな。この家の名に泥を塗ることになるんだ」
「ディルがそうおっしゃるなら」
そう慇懃に答えたが、心中は穏やかではない。
(彼とは一生、友達にはなれそうにない)
コーヒーを飲み干すと部屋に戻り、いつものジャケットを着た。謁見にはふさわしくない、みすぼらしい姿だが、スノウにはどうでもいいことだった。
ホールで待っていたディルは、スノウを見ても眉も上げない。彼自身は、艶のない、黒い上下を着込んでいる。髪も黒く、服も黒い。なんとも陰鬱ないでたちだった。
細かい雨が降っていた。
スノウは薄いジャケットの襟を立てた。
これ以上ないほどに色を拒否し、灰色にくすんでいる本家の館。
その中、一つの窓は、懐かしいラズリルのカーテンを吊っている。例え押さえていても、明るさのある色。
おそらくはそこが、父の病室なのだろう。そのカーテンが動いて、ヴィンスの顔が覗いた。そのまま、ただ物憂げに外を見ている。
「ヴィンス!」
スノウが手を振ると、ヴィンスはすぐに気がつき、窓をかすかに開けた。
「スノウ様、雨なのに外出ですか?」
するとディルが代わりに答えた。
「公爵殿下に目どおりを願う。お前も行くか」
するとヴィンスは妙に無表情となった。
「いやです」
ディルは苦笑した。
「今更、取って食われるわけじゃない。お前ももう、いいかげんに……」
「スノウを置いてきたら、あなたを殺しますよ」
口ぶりは柔らかで、しかも、恐ろしいほど無表情だった。
「心配なら付いて来たらいい」
だがヴィンスはモノも言わず、ぴしゃりと窓を閉めてしまった。ディルは肩をすくめ、「行くぞ」とスノウを促した。
馬車の中は湿っぽく、寒かった。膝を突き合わせていても、会話がない。先に沈黙を破ったのは、従兄のほうだった。
「何か聞きたいことがあるんじゃないか」
「別に」
本当は気になることはある。先程のヴィンスのことだ。いつもとの落差がありすぎた。
「スノウを置いてきたら、あなたを殺します」という言葉も、気になった。公爵とはどんな人間なのか。
その気持ちを察したのか、ディルは「心配しなくても、お前を置いてきたりはしない。ヴィンスに殺されたくないからな」と言った。
「どういうことですか?」
「言っただけの意味だ。ところでお前は、ヴィンスのことをどう思っている?」
スノウは少し戸惑いながら、「親切な、いい人です。感謝しています」と答えた。
「お前にはそう見えるんだな」
ディルは肩をすくめた。
ガタガタと車輪が鳴る。外の風に誘われたのか、従兄は幾分、饒舌だった。
「あれは、叔父貴殿のことをとても大切に思っている。しがみつくように執着している。お前に親切なのは、お前が、叔父貴の息子だからだ」
スノウは顔を赤らめた。ヴィンスが父の手を握っているところを思い出したからだ。
一晩で見抜いてしまったのだから、一緒に住んでいるディルが、何も知らないわけがないのだ。
ディルは、自分に言い聞かせているようでもあった。
「ヴィンセント殿が来た。それを口実に、あいつを修道院から連れ戻せたのはいいが。本当にそれでよかったのかどうか……」
口ぶりは重い。スノウに言っているというより、自分に言い聞かせているようだった。
「ヴィンスはいい人です。でも、いい人だって魔が差すこともあります」
スノウはうめいた。
「体の利かない父に、無理に何かするとは思いたくありませんが、息子としては心配です!」
ディルは驚いて目を丸くした。
「自分の父親かもしれない男に、本気で迫ったりはしないだろう」
父親。
誰が。父が?
「まさか!」
ディルは首を振った。
「もちろん、やつの願望に過ぎない。妄想といってもいいな」
馬車はいつのまにか、深い森の中を走っていた。濃い緑の香りが、窓の隙間から入ってくる。森の香りと、馬車の揺れと振動が、従兄を饒舌にしているのだろう。
「子供の頃、頭を撫でてもらったそうだ。こんな優しい人が、自分の父だったらいいのに。そう思っているうちに、すっかり思い込んでしまった。それで、……15か、16か。その頃だ。突然ヴィンスと名乗り始めた」
スノウは恐る恐る聞いた。
「父の名をとって?」
「そうだ」
ディルは、低い声で呟いた。
「ヴィンスは、悪いやつじゃない。ただ、壊れているだけだ」
公爵の離宮は、すぐ目の前だった。
Missing 8
幻水4小説トップ
Index