オベルの西の浜 2. 2006-01-11  (成人の日暗転編)

酒宴は夜半過ぎまで続いたあげく、王が居眠りをし始めたのをしおに、ようやくお開きとなった。

デスモンドは、王宮の外まで出て酔客を見送った。
漁師たちは、デスモンドの肩を叩いて、「ありがとよ、三弦の兄ちゃんよぉ。今度は大人のお店に連れてってやるぜ」とすっかりご機嫌であった。
少し酒が入り、こちらも陽気になっていた若者は、「また来てくださいね」と答えた。

広間に戻ってきても、王はまだ酔いつぶれていた。
「お風邪を引きますよ」
軽く肩を揺さぶると、王はようやく酔眼を開けた。
「皆さん、お帰りになりました。王ももう、おやすみにならないと」
王は、「なんだ。まだ飲み足りないぞ……付き合いが悪いな、皆」と口の中でつぶやきながら、立ち上がろうとして、すぐによろけて手を付いた。
「王様、飲みすぎ。またセツ様に叱られますよ」
デスモンドは常になく軽口を叩きながら、「失礼を」と王に肩を貸し、泥酔した王の杖になって歩き始めた。

千鳥足で歩く王様は、威厳もへったくれもない、ただの固太りなおっさんである。
そんな王を支えて歩くと、さして酔っていないと思っていたデスモンドも、一気に酔いが回ってきた。
それでも、王が酔いつぶれてくれたおかげで、やっと眠れそうなのはありがたいことだった。

やっと寝所に着き、王を一人寝のベッドに放り込むと、「ではお休みなさいまし」と告げた。
「おい、みず!」
「あ、はい。気づきませんで……」
ベッドサイドの小さなテーブルに、素焼きのつぼが置いてある。その中には飲み水が入っている。

テーブルの上においてある水差しの水を手の平に受け、毒見をしてから、杯に注いで王に渡した。王はそれを一気に飲み干した。
杯を受け取ろうと、両手を伸ばしたとき、唐突に王がデスモンドの手を掴んだ。一瞬の間があった。

「成人おめでとう」
「あ、ありがとうございま……」
言い終わらないうちに、デスモンドの視界は反転して、天井と王様の顔とが、目の上にあった。

デスモンドは口を阿呆のように開いたまま、王の顔を見つめていた。誰かが自分の体の上に乗っていること自体、信じられなかった。特にそれが、自分の主君であった日には、いったいどんな反応を示せばいいのか。黙って顔を見ているしかなかった。

「どれだけ大人になった? 見せろ」
王はそう言って、自分の言ったことがよほどおかしかったのか、げらげらと笑い声を立てた。
デスモンドは反射的に、お追従笑いを浮かべた。だが、頭の中は真っ白だった。
「相手をしろ」
酒臭い口が迫ってきて、デスモンドの首を舐め回した。

「き……」
気持ち悪い、といいたいのを必死で耐えた。蹴飛ばして逃げないのは、相手が主君だから。何のとりえもなく、親もない自分を雇ってくれる人間だからだ。
(きっとやめてくれる。これは悪い冗談だ。酒の上の冗談なんだ。だってさっき、親代わりなんて言ってくれたじゃないか)

だが、デスモンドの意に反して、王の手は止まらなかった。酔っ払いにあるまじき手早さで、デスモンドの帯を引っ張った。超結びにしてある帯は、軽い音を当てて簡単に解けた。
「帯を解いてくださいませ、か。嫌らしい歌を歌いやがって。けっこう腰に来たぞ、あれは」
王は、デスモンドの地味なズボンの前に手をあてがい、動かし始めた。
「情けをかけてくださいませ、てなもんだ」
若者は絶望的な思いで、首を振った。あれは自分が作ったのではない、200年も前の遊女の歌だ。色っぽい歌を歌えって言うから歌ったのだ。しかも自分が好きな歌でもないのだ。

「望みどおりにしてやるよ」
デスモンドはまた首を振ったが、言葉はでなかった。
そうやって言葉を失っているうちに、王は若者の後ろに手を回し、尻の割れ目を探り始めた。
「………!」
「力抜いてろ」
「い、い、い……」

もう限界だった、若者は必死に手足をばたつかせた。鈍い手ごたえがあり、見上げたら王の頬が赤くなっていた。目を凝らすと、頬に爪で引っかいた跡が何本も走り、血も滲んでいた。

頭の中は真っ白になった。ベッドから飛び降りたときに、懐から拝領の剣が落ちた。
だがデスモンドは、それに目もくれず、自分のズボンをずりあげて、泣きながら走り出した。




王宮から飛び出して、きれいな水の満たされた庭園を走りぬけ、下へ下へと走った。どこへ行くというあてもなく、ただ人目を避けて、施設街とは反対の方角へ走り続けた。

気がついたら、濃い海の匂いに包まれていた。母と妹を見つけた浜だった。夜更けだというのにまだ月が出ていて、海の水を照らしている。波はほとんどなく、ひたひたと足元に寄せていた。

若者は、愚かしく口を開けて、波に映った月を見ていた。
(王様の顔を引っ掻いてしまった)
王に手を上げたらどんな罪になるのかは知らなかったが、無事ですむはずがない。死罪以外、考えられなかった。
(全部おしまいだ)

父の声が耳の底によみがえる。
「うちは、先祖代々、文を持って王家に仕えてきた。お前も文を持って王の盾となれ」
若者は、顔を手で覆った。


(父さん、ごめんなさい)
(何もかもぶち壊してしまいました)
(母さん、ごめんなさい……おそばへ行かせてください)

履物を脱いで波打ち際にそろえた。海へ入ろうとしたとき、後ろから手をつかまれた。

振り向くと、小柄な人間が見上げていた。華奢な体格から、それはどう見ても女だった。
そして女は明るい快活な声で「あんた泳ぐつもり? 風邪を引くよ」と言ったのだった。


オベルの西の浜3

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