ホウアンの手記 2 00/11/30
その日は風邪の患者がひっきりなしで、問診表を前もって見る間もない忙しさだった。
「次の方どうぞ」
トウタが座って待っていた患者に、そう合図した。
その大柄な患者は、薄いコートを脱衣籠に置き、椅子に座った。
年のころは30代後半か、あるいは40過ぎか。 疲れた顔をした、身なりのよい中年男性だ。
どうなさいましたか?といいかけた言葉を、私は飲み込んでしまった。
兄弟子に、その、つまり昔の男に、ひどく似ているような気がしたからだ。
髪こそ白髪が目立つが、目鼻立ちがとてもよく似ていた。 知的な鋭い目つきがとくに。
思わず問診表を見なおした。
リュウアン、41歳。 コロネ出身、職業、医師。
ご丁寧なことに、名前まで一緒だ。 偶然も重なるものだな、なんて頭は混乱して、どうしても事実を受け取れない。 私は茫然として問診表を見つめた。
「タバコの吸い過ぎで喉が痛くてね……アメでも舐めときゃ治る程度なんだけど」
「……」
「それくらい気合で治せ、なんて言わないでくれよ」
「……」
やっと顔を見ると、男はにっこりした。 笑うと鋭い目が優しくなった。
間違いない、兄弟子のリュウアン!
「忘れちゃったか? おっさんになったからびっくりしたか?」
「リュウアン兄さん」
私は聴診器を付けたまま、リュウアンにしがみついた。 兄弟子は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「風邪がうつるよ、先生」
「先生だなんて。 ホウアンと読んでください……いつ、こちらへ?」
「3日前くらいかな」
「もう、水臭いっ。 どうしてすぐに来てくれなかったんですか?」
「知らなかったんだよ。 きみがここにいるなんてな……」
「そうですか……」
リュウアンはイタズラっぽい笑顔を浮かべて、私を上から下まで眺めた。
「大きくなったな」
「なりませんって。 あいかわらずチビですよ」
「いいかんじに肥ったかな……?」
「またそういうことをいう」
「あのころは痩せぎすで、何かするとぽきっと折れそうで怖かったよ……かわいかった」
リュウアンのことばに、かあっと顔が熱くなる。
したたかな大人になったつもりだったのに、この人の前では思春期の子供みたいな気分になる。
外で子供のなく声がして、リュウアンはさっと立ちあがった。
「忙しいのにごめんな。 きみが元気そうで、よかった」
「あ! もしよかったら」
診療所で寝泊りしませんか、といいかけて、思いなおした。
この人には、奥さんがいるのだ。
「ご家族のみなさんも一緒に。 お食事でもいかがですか」
「……」
「今、どちらにいらっしゃるんですか?」
「一階の宿屋に泊まってるよ」
にっこり笑って、兄弟子は出ていった。
一緒に行こうというのを、トウタに断られてしまったので、私はひとりで兄弟子を迎えに行った。
リュウアンは一人でやってきた。
その夜、しみじみと料理を味わいながら、兄弟子は「うまい」と言った。
「お口に合いましたか」
「いい料理人だ」
料理を小皿に取ってあげながら、私は深く考えもせず聞いた。
「リュウアン兄さんは、コロネの近くで開業をなさってたんですか?」
「ああ」
「あの、ご家族も……連れてきたらよかったのに。 ここは気軽なレストランなんですから」
「妻は亡くなった。 哀れなやもめだ。 子供はいなかったから、ひとりぼっちさ」
「そ、それは……知らぬこととはいえ……」
「コロネの近くで開業してたんだが、そこも接収された。 今ごろハイランド兵が使ってるんだろう……」
「ほんとうに、よく逃げられたものですね」
するとリュウアンは微笑んだ。
「地獄の沙汰も金次第だから。 兵士も袖の下には弱いからね。 なんとか船を都合して逃げられたんだ」
これからリュウアンはどうするつもりなんだろう。
家族もなく、帰る家も失って、まるでしばらく前の私のようだ。 途方に暮れているようでもないが。
「リュウアン兄さん」
「ん?」
「ここの軍で働きませんか? 医師はいつも不足してるんです」
「きみのように、か?」
「はい。 手当てが間に合わなくて、そのまま亡くなる兵士のことを考えると、このままではだめだと……」
兄弟子は、ゆっくり首を振った。
「お言葉はありがたいが、多くの死を見すぎたのでね。 今は何もする気になれない」
その気持ちもわかる。 私の場合は、懸命に働くことでふっきれたが。
「そうですよね。 しばらく休んで、そうしたらまた気分も変わるでしょう」
「……」
「そう、リーダーにも会ってみてください。 きっと何か得るものがあるはずです」
リュウアンは、大きな手を私の手に重ねた。
ふいに心臓が跳びあがりそうになった。
「きみは、優しいな。 私はきみを捨てたのに」
「捨てただなんて、そんな」
「恨まれてもしかたない」
「あのときは確かに、恨みもしました。 でも、お互い、一番いい道を選んだだけですから」
「いい道か」
「そう。 最良の道です」
悟ったようなことを言ってるけど、苦しいほど胸が熱い。
消えずに残っていた火なんて、酸素を送るとすぐに燃え上がってしまうんだ。 爆発的に。
突然、ガシャン、と鋭い音がして、振り向くと、向こうのテーブルにシュウ軍師が陣取り、こちらをにらみつけていた。
手の中のブランデーグラスは底が抜けて、テーブルの上に水溜りができている。
「……………………」
私が絶句していると、シュウ軍師は唇を吊り上げて笑った。
「ふ、おれとしたことが。 手元が狂ったようだ」
「なにやってんですか、シュウどの」
「冷たい男だ。 お怪我はありませんか、くらい言えんのか」
私の連れが、紳士的に尋ねた。
「お怪我はありませんかな?」
「手は大丈夫だ。 皮は厚いほうなのでな」
皮が厚いのは顔面もだ、といいたいのをこらえて、私は兄弟子を紹介することにした。
「あの、シュウどの。 こちらは私の……」
聞きたくない、というように、シュウは乱暴に席を立った。
「すまんが、悪酔いしたようだ。 これで失礼する」
「あ、おやすみなさい、シュウどの」
「じゃましたな、先生。 おれは消えるからな」
消えるならさっさと消えろ、酔っ払い!と言いたい私は、いんぎん無礼に返した。
「ではまた、シュウどの。 ご機嫌よろしゅう」
「じゃ、ごゆっくり。 心置きなくいちゃついてくれ、お二人さんっ」
「な、なんですか、失礼な……」
すると、気を利かせてくれたのか、リュウアンが立ち上がった。
「ホウアン、私もそろそろ……」
「あ、宿屋までお送りします。 ここは広くて、すぐ迷ってしまいますのでね」
「おい、おれも酔っ払って足元が危ないんだが!」
「せいぜいお気をつけて。 では、お、や、す、み」
「く〜っ!」
怒り狂っている軍師を置き去りにして、私たちはレストランをあとにした。
回廊はもう静かだった。
「あの、若者は……ずいぶん怒ってたな。 大丈夫か」
「怒らせときゃいいんです、あんなわがままもの」
「きみに気があるんだろ? なにもあんなに冷たくしなくても……」
「やめてください。 悪酔いしちゃいますよ」
ホールはもう人通りもすくなかった。 私は床の美しい模様を見つめながら言った。
「好みじゃないんです」
「いい男じゃないか」
「自分は完璧だと思ってる……そういう自信過剰なところがイヤなんです。 顔も好みじゃないし」
「めんどうな男だな。 どういうのが好みなんだ?」
私は、きっぱりと断じた。
「好きだと思った人が、好みのタイプです。 兄さんもそうでした」
とりとめもないことを話すうちに、宿の前に来ていた。
珍しく、女将のヒルダはカウンターに立っていなかった。
「だれもいませんね……これじゃ泊まってないものもフリーパス……」
見上げると、リュウアンと目が合った。 彼は私の気持ちを察したように、ふいに私の手首をつかみ、部屋に引っ張っていった。
もちろん抗ったりしない、誘ったのは私、電波を送っていたのも私なのだ。
ひとりぼっちで全てをなくし、この人が寂しくないわけはない、人の肌が恋しくないはずがない。
兄弟子は背中でドアを閉め、立ったまま折れるほど私を抱きしめ、苦しげにうめいた。
「すまない」
「何をあやまるんですか」
寂しさを紛らわすために街の女を抱くくらいなら、私の体をどうにでも使ってくれたらいい……そうじゃない。 私は抱かれたいんだ。
首筋にリュウアンの温かい唇が押し当てられると、なぜだかわからないが泣きそうになった。 私たちふたりは、なんて遠くまで来てしまったんだろう。
私はリュウアンの口に自分の唇を押し当てた。
懐かしい、兄弟子の体。
その胸に抱かれたら、今までの男たちがまるで無意味に感じられてしまう。
「何をしても好きなことをしていいんですよ、リュウアン兄さん……お互いいい歳なんだし」
「ホウアン」
「めちゃくちゃなことを、しましょうね」
恥ずかしげもなくこんなことを口走り、私は兄弟子の前で体を開き、灯りを落そうとしたのを制して、リュウアンを脱がせ始めた。
「きみはきっと、がっかりする。 おれはもう腹も出て……」
「そう?」
馬乗りになって腹に手を滑らせると、昔は張り切っていたそこは、確かに多少柔らかく、やっとつまめるほどの脂肪を蓄えている。
「これでいいんです、これで完璧なんです。 全部兄さんですから」
脚のあいだの茂みにも、髪と同じように白いものが混じっている。 そんな発見までもがうれしく、私はその草地に、犬のように顔を突っ込んだ。
懐かしい、兄弟子のペニス……。 口一杯に含むと、淡い塩味が舌に溶ける。
ああ、いとしい。 どうしてこの人を手放したもんだろうか。
ゆっくりと顔を動かしていく……私の舌を、唇を、その裏の粘膜を、兄弟子のものが甘美にこすっていく。
私は夢中で兄弟子をしゃぶりあげ、やがて放った精液をありがたく舐めとった。
それからリュウアンは私を組み敷き、隙間なく体を合わせたまま、ゆっくりと体を回しはじめた。
昔私たちが飽かずにしたようなことを、私が好きだったこの体位で。
夢ではなかろうか、リュウアンの厚みのある肩、汗ばんだ強い背中が、私の上でなまめかしく動いている。
そのうちにまた、兄弟子のものは成長し、私の痛いほど勃起したものとこすれあう、それから無防備な陰嚢とその下を突き広げる……それだけで私は二回も達した。
「相変わらず、感じやすい」
リュウアンが耳元で優しくささやいた。
「いい子、いい子だ……ホウアン」
その声に、私はとても、とても弱い。
「は……あ……っ!」
「シッ……声を立てちゃだめだ。 いい子だから静かにな」
「あ、あ……っ……いっちゃ……ううっ!」
「無理か」
リュウアンは、私の口を手で塞ぎ、それから達するまで優しく私を揺さぶりつづけた……。
3へ。
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