12月、ラズリルで (1)

2005-12-23

ガイエン騎士団の訓練場では、体術の昇段試験が行われようとしていた。
おりしもその朝は、10年に1度という寒さ。
師範はもう半時間も到着が遅れている。訓練生たちは置いてきぼりを食って、中庭でがたがた震えている。その間を、寒風が容赦なく吹き抜けていく。

ケネスは、赤黒く腫上がった指先に息を吹きかけた。哀れな指は普段の倍くらいの太さに腫上がり、あかぎれもできていた。
まるで唐辛子入りのソーセージだ。しかも今にもはじけそうに茹で上がったヤツ。
こんな指をしているものは、ケネスしかいない。水仕事の多いフンギだって、もっときれいな手をしているというのに。

「ケネス、その指、どうしました? 火傷でも?」
振り向くと、ポーラが立っていた。彼女は白い両手を上品にそろえて、たたずんでいた。長い耳の先だけが、薄桃色になって寒風に震えている。
彼女がこんなふうに話しかけてくるのは珍しい。だが、ケネスはぶっきらぼうに答えた。
「た、ただの霜焼けだ」
本当は憧れの少女に声をかけられて、どぎまぎしただけなのだが、ポーラは優しかった。
「霜焼けですか……でも痛そうですね。指がかわいそう……」

「え、霜焼けだって!」
せっかくいい感じなのに、スノウ坊ちゃんが横槍を入れてきた。
「本国のおじ様の女中が霜焼けで困っるんだ。だけど、ラズリルで霜焼けなんて珍しいな」
ポーラは瞳を伏せた。何も言わなければよかったと思ったのだろう、「それじゃ、ケネス」と小声で言って、その場を離れていった。

タルなら、ここで「騎士団宿舎はお屋敷と違って寒いのさ」くらい言いそうだが、ケネスはそうではない。
「見るか? ほら」と見せてやるような男だった。

スノウはさすがに、ぎょっとした顔になった。
「ひどいな」
そういうなり、すっとその場を離れていき、戻ってきたときは手に小さな瓶を持っていた。蓋が鮮やかなピンク色の、女物のハンドクリームだった。
「カタリナ先生にいただいてきた」

スノウはケネスの手を捕まえて、その女物の化粧品を塗り始めたのだった。断る間もなかった。
「ほんとに冷たい手だね」
「…………」
「ケネス、肉が嫌いだとか言って、タルにやってるって聞いたぞ。好き嫌いが多いんだって? だからこんな霜焼けになるんだよ」
スノウはクリームを塗り終わっても手を離さず、冷たい手を包んで温めてくれた。ケネスはひどく驚いたが、手を引っ込めるのも悪いような気がして、動けなかった。


一方、スノウがケネスに塗りつけたハンドクリームの香りは、風に乗ってタルの鼻先に届いた。
「女の匂いだ」などといいながら鼻をうごめかせ、女子訓練生に血走った目を向けるので、女子たちは「いやらしい」と身をすくめていた。もちろん、その中の数人は喜んでいたかもしれなかった。
タルはすらりと背が高く、肩幅も広く、胸板も見苦しくない程度に厚い。黙っていれば野性的な好男子だ。
「包容力もありそう」と誤解されて、意外と女性のファンも多かった。


その騒ぎに背を向けて、黙々と型の練習に励んでいるのは、自称ナ・ナル島の宝石、ジュエルだった。
「はっ! よっ! ていっ!」
師匠が遅刻したのをよいことに、型の練習に余念がない。寒さの中ではあるが、彼女の小麦色の額にはもう小さな汗すら浮かんでいる。そんなジュエルの袖を、ポーラが軽く引っ張って告げ口をした。
「ジュエル。いいんですか? スノウとケネスが手を握りあってますよ」
「なにっ」
「薬を塗りあったりして、近寄れない雰囲気です」
ジュエルは鋭い目でケネスを値踏みしてから、ぐっと胸を張った。
「ふん、このわたしの敵じゃないわ。しかも男! 伯爵夫人にはなれないよね」
「それはそうですが」
ポーラがなおも何か言おうとしているときに、体術指南がようやく到着した。



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