虹の町 4 H.12.01.25
すこし汗ばむような、初夏の午後、グレミオは市場に買出しに出かけたきり、なかなか帰ってこない。
坊っちゃんは洗濯物を取りこんでしまうと、もうすることがなくなってしまった。
退屈だった。
そこで、グレミオが今朝言っていた道場をのぞいてみることにした。
家を出たところで、向こうからグレミオが歩いてくるのが見えた。
疲れた顔をして歩いていたグレミオは、リアムに気づくとぱっと顔を明るくした。
「あ、坊っちゃん。すみません、遅くなってしまいました」
「お帰り」
坊っちゃんがそういうと、グレミオは少しくすぐったそうな顔をして、ただいま、と答えた。
「お出かけですか?」
「うん。……ほら、朝グレミオが言っていただろ? その道場をのぞいてみようと思ってな」
「そうですか。よかった……あの、坊っちゃん」
「なに?」
「今日だけでも、ご一緒していいですか? いえ、心配っていうんじゃないんですけど」
「ん?」
「私も、先生にもご挨拶したいですから」
あまり過保護になってはいけないと、最近グレミオは思っているようだ。
以前なら、うるさいくらいどこにでもついてきたが、このごろは「大人あつかい」しようと努めているらしい。
だから、自分もついていっていいか、と許可を求めているのだ。
「一緒に行こうよ」
と坊っちゃんが言うと、グレミオは買い物袋を台所において、急いで戻ってきた。
二人が向かった道場には、やはりそこには、師匠……以前、リアムが護身術の手ほどきを受けた師匠がいた。
二人が挨拶をすると、すっかり白髪になった先生は、腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「ほ、本当に、リアム君なのか?」
「こんにちは、先生。お元気そうでよかったです」
リアムがにっこりすると、先生はまた驚いた。
「いやあ、あの悪ガキ……じゃない、子供だったリアム君がこんなに立派になって」
「あははは、相変わらず悪ガキですよ、おれ」
「何年ぶりだろう!」
「先生は、いつからこちらにいらしたんですか?」
「あの戦争が始まってすぐ、だから三年前になるかな。暗殺術を帝国軍の兵士に教えろといわれてね、夜逃げしたんだ」
「…………」
「それからここで、知り合いと一緒に道場を開いた」
リアムは、平和主義者の師匠に、自分のことを言い出しかねていた。
師匠が、リアムのことを全く知らないとは思えない。
しかし師匠は、父テオのことも、帝国のことも、解放軍のことも……なぜ祖国を出てきたのかも、聞こうとしなかった。
「リアム君は、これから、どうするんだ?」
師匠は過去のことはあえて問わず、いきなり未来のことを話題にした。
リアムはほっとして答えた。
「しばらくはここに落ち着こうと思っています。それで、先生にまた護身術を……」
「そうか。それもいい。それもいいが」
師匠は意外なことを言い出した。
「リアム君、ここで棒術を教えてくれないか? 最近問い合わせが多くてね。でも棒術をおさめた人がいないんだ。君なら文句なしだからな」
リアムは意表をつかれて、にわかになんといっていいかわからなかった。
「お、おれに人を教えるなんて……」
「みんな初心者で、たいていは子供、若者だ。君もわかるだろう? みんなエネルギーをもてあましている。はけ口が必要なんだよ。でないと、とんでもないところで爆発してしまう。どこかで発散させてやらないとね」
初老の師匠は、平和主義者でもある。
「本当に強いものは、無駄に暴力を振るったりしない。君ならわかるはずだ。それをわからせてやってほしいんだ。な、子供たちに棒術を教えてくれ」
リアムはしばらく考えていた。
自分も一時、やたらと暴力的になったことがある。
年上の荒くれ相手に、毎日けんかをした。
習いたての技をかけて、グレミオを気絶させたこともある。
あのときは、ものすごく師匠に叱られたのだった。
でも、今ならわかる。
あまりにも愚かで、弱かったから、あんなことをしたのだ。
欲求不満のはけ口を求めて、暴走していただけなのだ、と。
「師匠、おれでよかったらやらせてください」
リアムは力強くそう言った。
グレミオは、エビの背わたを爪楊枝でとりながら、にこにこしていた。
「坊っちゃん、私はうれしいですよ」
「どうしたの?」
「師匠の道場で、すごく堂々としていたから。あ、いえ、坊っちゃんはいつも堂々としているけど」
「??」
「はじめて習いに行ったときのことを考えると……あのとき、坊っちゃんはさんざん悪態をついて、けんかはご法度だよ、っていわれて、むくれていましたっけ」
「お、おい、十五のときだろ、それって」
「進歩しましたねえ」
「からかうなって、こら」
「惚れなおしました」
グレミオは照れたように笑い、衣を着けたエビを油の中にすべり落とした。
そして、あつあつの揚げたてをリアムにすすめた。
グレミオの顔が、やけに赤いのに坊っちゃんは気づいた。
「顔、真っ赤だよ。熱でもあるのか?」
「え? そんなはずは……」
坊っちゃんはグレミオの額に手を当ててみた。
「やっぱり熱がある。風邪がうつったんだ、きっと」
「熱……最近いろいろあったから、疲れたのかも……」
「いろいろ?」
グレミオは妙にあせって、話題を変えた。
「あ、いえ。平気です、まだ薬も残っていますからね」
しかし、夜中になって熱はさらに上がった。
「朝になったら、ホウアン先生を呼んでくるよ」
リアムが言うと、グレミオは濡れタオルを額から落として、飛び起きた。
「ぼ、坊っちゃん。大丈夫です。こんな風邪、寝ていれば治ります」
「でも、熱、上がってるよ。本当に風邪だけなのか、わからないだろ?」
「お、お医者さんは、苦手なんです」
「何言ってるんだ、子供みたいに。ホウアン先生は名医だって、言ってたじゃないか」
すると、グレミオは意味不明のことを口走った。
「針は、イヤです……」
「針? 何で? ホウアン先生、注射なんてしなかったよ?」
グレミオは黙り込んでしまった。
「とにかく、朝一番で先生を連れてくるからね」
リアムが決めつけると、それでもグレミオは抵抗した。
「後生だから、それだけは。それだけは、勘弁してください」
「どうして?」
グレミオは答えなかった。
次の日の朝には、熱はひいていた。
それでグレミオは「もう治った」と勝手に起きだした。
リアムが止めるのもきかずに、動きまわったあげく、夕方にはさらに高い熱と、ひどいせきに苦しみ始めた。
夜になると、グレミオは息をするのも苦しそうな様子だったので、リアムはついにホウアン先生の診療所に走った。
わけもなく医者をいやがるグレミオにも、それを許した自分にもすごく腹が立つ。
診療所の灯りは消えていた。
リアムはかまわず、ドアを乱暴にたたいた。
ホウアン先生を連れてきたとき、グレミオは息もできない様子で、起きあがっていた。
リアムが首に巻いたタオルは、苦しかったのか、床に投げ捨ててあった。
医師はすぐに熱をはかり、脈をとり、胸に聴診器を当てた。
「肺炎の疑いがありますね」
ホウアン先生は、きっぱりと診断を下した。
「とにかく、部屋に湯気を立てて、水分が不足しないようにしてください」
「先生、あの、悪いんですか?」
「肺炎ですからね。運がよければ助かるでしょうけれど」
「運が、よければなんて、そんな!! 先生、何とかしてください!!」
リアムは叫んで、ホウアンの腕をつかんだ。
「何とかできないことはありませんが、特別な薬が必要です。それがまた、高価な薬で……しかも」
「金なんかいくらだって出すよ!! 助けてくれ!」
「ショックで死ぬかもしれない、副作用の強い薬ですよ? いいんですか?」
そのとき、半分体を起こしたまま苦しんでいた付き人が、嗄れ声を搾り出した。
「せんせい、わたしは……しにそう、なんですか?」
その声に、リアムはぞっとして振りかえった。
「……せんせい……たすけて、ください」
それだけいうと、グレミオはまた咳き込んだ。
「グレミオ、しゃべっちゃだめだ」
「せん……せい。わたしは……しに……たく……ない。 わたしは、……いきて、いたい。わたしが……死ぬと……坊っちゃんは、ひ、ひとりぽっち……」
「しゃべったら、苦しいだろうっていうのに!」
リアムは半分泣きそうになって、グレミオを抱きしめた。その体が、かくんと折れそうになる。
グレミオはふと、焦点の定まらぬ目で、リアムを見た。
そして怯えたような、甘えるような声でささやいた。
「ああ、テオさま……」
「ちがう! おれだっ! リアムだ!」
「テオさま……あいたかった」
高熱のために、頭が混乱しているらしい。
「ちくしょう! この浮気者!!」
「ゆるして、ください……わたしは、ぼっちゃんを……おいては……いけない」
「このやろう!! 目、覚ませって! だれと話してるんだよ!!」
リアムは思わず、力いっぱいグレミオの顔をひっぱたいた。
瞬間、正気に戻ったように、グレミオはリアムを見つめた。
「リアム……さま?」
やっと名前を呼んでくれた。
「しっかりしてくれ。おれを、置いていかないでくれ……」
「おいていく、ものですか。ぼっちゃん……わたしは、百までも生きて……あなたを、おまもり、します」
そう言うと、疲れ果てたようにグレミオは目をつぶった。
「いやだ、ひとりにしちゃいやだっ!!」
リアムは泣きわめいて、ぐったりした付き人に取りすがった。
「リアム君、どきなさい。きみがそんなに取り乱してどうするんです」
ホウアン先生は、ぐいとリアムの腕をつかみ、放り投げた。
「本人がそう言うんですから、(正確には何も言ってはいませんがね……)危険な薬ですが、使わせてもらいますよ。 もしやと思い、用意してきてよかった!」
リアムは、見たこともないほど太い注射を見て、思わず震えた。
ホウアン先生はグレミオの腕をチューブで縛り、何か恨みでもあるのか、ばんばんたたいて静脈を浮かせると、ぶすりと針を突き刺した。
明け方、グレミオが落ち着いてきたので、ホウアン先生は帰り支度をはじめた。
「すみませんでした、先生。このお礼は必ず……」
リアムがいいかけると、ホウアン先生は手で制した。
「軽く言わないでほしいですね。名医ホウアンがつきっきりで治療したんです、その代金も請求していいんですか? 半端じゃなく、高いですよ!」
「…………」
「ま、危険な薬の実験台になっていただいたんだから、せいぜい安くしときましょう。あとで助手に、請求書を持ってこさせます」
「ありがとうございます、先生」
「礼にはおよびません。乗りかかった船、というか。コケにされたままじゃ、収まりがつかない、ともいいますね」
「はあ?」
「じゃ、また来ます。目を覚ましたら、そうですね……また、遊びましょ、と伝えてあげてください」
「?……???」
ホウアン医師は意味不明のことばを残して、去った。
「遊びましょ?? ……なにそれ? 先生も疲れてるのかな?」
リアムは頭を振った。
しかしそれからの数日、リアムは慣れない家事に悪戦苦闘して、ホウアン医師の謎めいたことばを思い出すことは、ついになかった。
(虹の町 4 おわり)
ホウアン先生ヤメテ!の、「ドクターストップ」へ飛ぶ
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