抜け殻
H.12.05.31
日没近く、久しぶりの我が家に入ってみると、そこは押し込み強盗に荒らされたあとのようだった。
玄関の床には、花瓶が割れたのがそのままになっている。
壁紙も無残に剥がされていた。 壁の中に何か隠しているとでも思ったのだろうか。
空気は重くよどみ、近衛兵らの土足で汚されたらしい床には、さらに埃が厚く積もり、隅のほうに塊となっている。
これが私の家だろうか。
たち尽くす私の背後から、若い部下のアレンが声をかけた。
「今グレンシールたちが怪しい者が潜んでいないか調べています。 終わりしだい休めるように仕度いたします」
「すまないな、アレン」
「テオ様……やはり天幕のほうへ戻られたほうがいいのでは? 明日の移動に備えて、少しでも休んで下さらないと……」
明日は解放軍本拠地に向けて、進軍を開始する。
アレンは、あきらかに私を気遣っているようだ。
「いや、いい。 終わったらお前たちは戻っていい」
「いいえ! 刺客でも襲ってきたら大変です」
「刺客か」
アレンはためらいもせず、はっきり言った。
「両方から狙われているはずです。 敵、味方、両方からです」
「心配性だな、アレン。私に二心なきことは、陛下もご存知のはずだ」
「では、やはりご子息と戦うとおっしゃるのですか?」
「昔からよくある話だよ、アレン」
「……私は、小さかったリアム様にお会いしたことがあります……失礼ですが、テオ様の親ばかぶりも有名で……」
「あれはもう息子ではない。 敵の首領だ。 お前もそのつもりでな」
アレンの顔が、かっと紅潮した。
「た、たった一人の、ご自慢の息子を、そんなに簡単に……!!」
「アレン、無礼だぞ! 口をつつしめ!」
戻ってきたグレンシールが、私たちのあいだに割って入った。
「テオ様、かなりひどく荒らされていますが、怪しい者はいませんでした」
「ありがとう、グレンシール」
私は、感情が高ぶっているらしいアレンを見やった。
「アレンよ、お前も一人息子だったな。 父上が亡くなって随分になるな」
「はい。 父は申しておりました。 子は、どんな宝にも勝ると……」
「……アレン、聞いてくれ。 どうしても義を通さねばならないことがあるのだ。 情を捨て、大切な子を捨ててもな」
「子を捨てるほど価値のある、国が、主君が、どこにありますか!? 見てください、この家の荒らされよう! 仮にも北方将軍テオ様の屋敷を!」
「おい、アレン!!」
「……昔、私は皇帝陛下に命を助けられたのだ。 お前たちにとってはそれこそ大昔だな」
「え?」
「私は首を切られるはずだった。 今生きているのも、陛下のおかげだ」
息をついで、私はあっさりと理由を言った。
「私は、敵前逃亡したのだ」
「テ、テオ様が、そんな……」
「事実だ。 民間人を助けるためだったが、私は逃げたのだ。 しかしそんな昔のことは、お前たちには関わりのないことだ。 もし解放軍に参加したいなら、止めはしない」
「そんな、テオ様!」
「私たちはテオ様に従います。 クビにしようったって、離れませんから。 な、アレン?」
玄関から廊下に入ったところで、グレンシールが小声で話しかけてきた。
「その、アイン・ジード様配下の知り合いに聞いたのですが」
「なんだ?」
「解放軍は、スカーレティシア城を攻めるさい、仲間の弔い合戦だと、士気が異常に高かったときいております」
「ああ。 あのミルイヒが敗れるのだからな」
弔い合戦か。 感傷的なことだ。
「その仲間というのは、リアム様の『第一の側近』で、武功もなき兵士だということですが、名前はグレミオと……」
しばらく私は黙って、壁のしみを見つめた。
グレミオが死んだ?
「当家の奉公人だった男だ。 戦死したのか?」
「いえ、作戦行動中にミルイヒ様に捕えられ……リアム様をかばって、その、非人道的な殺され方をしたようで……」
「わかった、もういい」
それ以上は聞きたくなかった。
それから二人に言い聞かせた。
「これが、何を意味するかわかるか? 解放軍の首領は、ただ担ぎ出された子供に過ぎなかった。 だが今や、庇護者を失い、ついに本当の男になったということだ」
「…………」
「もう、私たちが知るリアムだと思ってはならない。 侮らず、全力で当り、一気に叩き潰すのだ。 徹底的にな!」
「は!」
「私は自分の部屋で休むが。 お前たちは好きなところで休みなさい。 快適とは言えないだろうが」
アレンが、台所の向かいの部屋へ行きかけたのを見て、私は言ってやった。
「おい、そこは死んだ使用人の寝ていたところだよ」
若者はぎょっとして足を止めた。
グレミオの部屋の床には、彼のまとめていた料理ノートや、大切にしていた料理の本、裁縫道具などが散乱していた。
枕が切り裂かれて、中身の綿が引きずり出されている。
数少ない衣類や、下着の類まで無残にぶちまけられていた。
私は思わず言った。
「近衛兵とはここまでするのか」
情報を得るというより、金目のものを物色したとしか思えない荒らされようだった。 金目のものなどないことは、一目見ればわかるだろうに。
何も求めようとしないグレミオに、最後まで何もしてやれなかった。 ただ傷つけていくばかりだった。
あのまま教会にいたほうが、あれは幸せだったかもしれない。
ずっと昔のことだ。
敵に協力しているとの情報を得て、命令されるまま、私たちはその村を焼き討ちした。
戦場で、村を追われた住民が、どういう運命をたどったものかはわからない。
数日後、移動中に幼児を拾った。
ショックを受け、自分の名前もいえない状態で、餓死寸前だった。
上官は「捨て置け」といった。 「そのうち、死ぬ」と。
命令を無視し、安全なところを求めて走り回り、偶然見つけた教会に飛び込み、金を渡して牧師に押しつけた。
その幼児が健康に成長し、そして私の息子を育て上げてくれた。
親の仇の息子とも知らず……。
私はその後、脱走罪で斬首されるところを、バルバロッサ皇太子の一声で救われた。
「斬るな。 不問に付す」
軍規を曲げ、ご自分が非難を受けるのも覚悟で、とるに足りぬ私をかばってくれた。
なにもかも、遠い昔のことだ。
すべておわったことなのだ。
そして、もうすぐ……本当に何もかも終わるだろう。
私は足もとの分厚い本を手にとった。 グレンシールが戻って来た。
「他の部屋もだいたいこんな感じですが……テオ様、今は少しでもお休み下さい。 テオ様のお部屋だけは片付けさせてありますので」
「いいのだ、グレンシール……すまないが、少し一人にしてくれないか?」
「はい。 行こう、アレン」
手に持った本に目を落とす。
「シチュー百選、か」
立派な装丁の本で、無数にしおりを挟み、書きこみをしてある。
表紙が痛んでいるのを見ると、どうやら古本を買ったらしい。 安月給のなかから工面したのだろう。
ページが黄ばんだ、料理ノートが何冊も散乱しているが、油が飛んだか表紙が汚れているものが多い。
それらの本、ノートを書棚に戻す。
そして、開けっぱなしの行李から埃をたたき出して、衣類や下着をしまっていった。
中には、私が無理に押しつけた、奇妙な下着もある。
※「奇妙な下着」……『男の子の鍛え方』参照
その行李を、書棚の下にしまおうとして、床に分厚い手帳を見つける。
中をみて、どうやら日記らしいとわかった。
何が書いてあるのか。 内容次第では、故人と私の名誉を守るため、焼き捨てることも考えなければならない。
しかし、目を通して気抜けした。
読まれて困るようなことも、私との長年の関係についても、一言も触れられてはいない。
リアムの健康状態、その日の料理、出来事などを書きとめてあるだけだ。
日記というより、家事メモといったほうがいいかもしれない。
しかし最後のページには、しっかりした文字で、
「坊っちゃんの始めての謁見は大成功。 テオ様に料理を誉めていただいた。 旅立ちにあたり、テオ様に祝福される。この世に生まれてきたことを感謝する」
と書いてあった。
「祝福……? 何のことだ?」
思い出せなかった。 生まれてきてよかったと思うほどの祝福とはなんだ?
私はあの日、あれになんと言った?
あれにとっては、きっと大切なことにちがいないのに……。
だめだ、思い出せない。
私はいたたれなくなって、手帳を行李にしまいこんだ。
書架には、紙の箱が残っていた。
ふたは開いていたが、近衛兵も調べる暇がなかったらしい。
中身は大ぶりの紙の綴りだった。
厚紙で表紙を付け、綴じてある。 そして表紙には、グレミオの文字で「お絵描き帳」とあった。
リアムの部屋に置くと、恥ずかしがって捨てようとするので、自分の部屋にもって来たのだろう。
中身の一番上は、三歳のときに描いたもので、かすかに見覚えがあった。
非常につたないが、力強い。
マルに線と点を描いたそれに、「大好きなお父さん。 がんばって描きましたね!」と書き添えてあった。
小さいころのリアムの面影が、一気に蘇ってくる。
私が帰るたびに、玄関に走ってきて、飛びついてきて……。
それ以上、ページをめくることはできなかった。
分厚い綴りを、私は胸に抱きしめた。
リアムがどんな悪いことをした?
間違ったことなどしていない、おれの子は。
それくらい、始めからわかっている。 親が信じなくて、誰が信じる?
おれは信じている。 リアムが心正しいことも、そして力があることも。
……おれの、大切な一人息子なのだ。
グレミオは先に死んでよかった。
これから起こることを、見なくてすむのだから。
END
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