| 波類間ユンタ -HarumaYunta- |
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小嶺の語る話
父は、15歳で科試を首席で合格した。 顔立ちも色白の、優男だった。
それに比べ私は、学問は至って苦手である。 自信があるのは腕っ節だけ、父にも母にも似ない、まことにいかつい面構えである。
琉球は血筋がものをいう国だ。 王族の血を引く貴族には、立派な所領があるが、われらのような下っ端士族にはそんなものはない。
食っていこうと思えば、首里城での仕事を得ればいい。 すなわち、宗主国たる清国の科挙に習って行われる「科試」。 これに上位で受かることができれば、下級士族の子でも禄にありつける。
能力があればかなりのところまで上ることも夢ではない。
まあ考えることは誰しも同じなわけで、皆が必死に勉強するから、非常に狭き門である。 しかも勉学は、私にとっては苦痛でしかなかった。 四書五経を暗記して何が楽しいというのだ。
唐手で汗を流しているほうが、楽しいに決まっている。 ありていにいうと、頭を使うのは苦手なのである。
2度続けて試験に落ちたとき、しみじみと父に嘆かれた。
「何のために学問所に通っているのだ。 しかもあんな簡単な問題、なぜ答えられぬ。 日々大飯ばかり食らいよって」
「父上とは頭の出来が違うのです。 いっそ士族を捨て、商売でもやりたいくらいです」
私も若かったので言い返したら、いきなり殴られた。 だが、殴った父の手のほうが痛かったのであろう。 父は手を赤くしながら怒鳴った。
「ばか者、やらないから出来ないのだ!」
そのとおりである。 それから父は、つきっきりで私をしごいた。 時には出来の悪い私をものさしで殴ったが、やさおとこの父が殴っても、さほど痛くもない。
却って、父が病に倒れたくらいである。
「カマデーよ、お前は嫡男ぞ。 なんとしても科試に受かってくれ。 お前が墓を守れるのかどうか、いや、お前が食べていけるのか、心配で、死に切れぬ」
切々と訴えられて、さすがに私も涙を流した。
遅きに失したが、死に物狂いで勉学に励み、19歳の年に試験に合格した。 その後、首里王府の役所である、蘇鉄方に勤めることになった。
やらないから出来ぬというのは、本当のことである。
(病床の父の張ってくれた試験のヤマが、見事に当たったお陰でもある。 )
翌年、妻を娶った。 本家の伯父の紹介で、会いもせずに結婚を決めた。 妻は私より一つ年上だったが、むしろ年下に見えた。 額の丸い、朗らかな娘だった。
小柄な体をしていて、笑うと目が糸のように細くなった。
私が禄を得、妻を娶って安心したのか、父が亡くなった。 まだ50歳の若さだった。 ふた親を失い、勿論悲しかったが、その頃はまだ、気持ちを保てていた。
妻と二人、家を盛り立てていけば、父も喜んでくれるだろう。
子はなかなか出来なかったが、若い夫婦である。 ままごとのような生活は楽しかった。 私は毎日、石畳を踏んで役所に通った。 禄高は低く、暮らしは苦しく、真白い米の飯は、めったに食べられなかった。
それでも毎日は楽しかった。
妻は、小さな庭に甘藷や野菜を植え、鶏を飼い、さらに花を育てた。 特に赤い花が好きだった。
あのころ世界には色彩があった。 妻の小さな手の甲には、青い、細い刺青の線。 赤いアカバナの咲き乱れる垣根。
妻の植えたイモを掘り出したときの、艶やかな赤紫……。 庭先で焼いて、二人で食べたときは愉快だった。
一緒になって5年、妻は子を身ごもった。 ひどい悪阻で、妻は昆布巻きしか食べられなくなった。 身ごもって6月を過ぎた頃、上役の奥方から甘酒を頂いた。
妻は喜んで甘酒を飲み、「美味しかった」と喜んだ。
その頃から悪阻も治まり、腹も順調に膨らみ始めた。 触れると、張り詰めた皮の向こうから、子が蹴り返してきた。
妻の膨らんだ腹に耳をつける。
いったい、どんな顔をしているのだろう。 どんな声を上げて笑うのだろう? 私たちは子供のために、多くの良い計画を立てていた。
楽しい毎日。
全ては順調だった。
ある夜、妻は、「胸が痛い」と訴えた。
医師を呼びに走ったが、間に合わなかった。 妻の手は未だ温かかった。 医師は、「心の臓が急に止まった」と言っていた。 それからの記憶は、ところどころ途切れている。
妻は死んだ。 腹の中のわが子も、ピクリとも動かなかった。
それから世界は、一切の色を失った。 石畳を歩いても泥田を歩くごとく、一足ごとに足を取られる。 空気まで重く、仕事どころではなかった。
やがて私は蘇鉄方での任を解かれ、八重山行きを言い渡された。
珊瑚の砂を敷いた道が、細く続いていた。
美しい島だったのだろう。 花も咲いていたのだろうが見るものは全て灰色だった。 だが嘆くことはならぬ。 気を取り直し、歩いていくのだ。 再びあの世でまみえるときに、妻に笑われぬように生きねばならない。
上役である
「小嶺どの、妻を娶られよ。 いい若いものが、いつまでもヤモメでいると老け込むぞ」
与人にはただ感謝し、否とも応とも言わなかった。 だが私の手には、冷たくなっていく手の記憶が、残っていた。
赴任してから1年ほどで、その上役が亡くなった。 それから3ヶ月ほど、私は、若い耕作筆者と二人、与人不在の村を守っていた。
ある日、石垣の蔵元から急ぎの飛び船があった。
「首里より、新任の与人が来る」というのだ。 とある名門の家の、若い里之子だという。 しかも、里之子は元服してから、さほど経っておらぬという。
元服してからまもなくということは、せいぜい15か、16か。 まだひよっ子ではないか。 それがいきなり与人である。
「わしは、お守か……」
私は口の中でつぶやいた。
波類間ユンタ 2
ワカモノ小説
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2007/02/16