10
小嶺の語る。
「賄い女の墓といったか?」
与人は呆けたように繰り返した。
「波平良、少し待っていろ」
私は急いで与人の鼻緒直すと、何食わぬ顔をして、立ち上がった。
「さ、できました。与人殿はお屋敷に戻っていてください。あとでご報告に参ります」
「私も行く、目差」
「それはまた日を改めまして。良き日を選び案内いたします」
拒絶したのは、その場所を与人に見せたくなかったからである。与人の母の墓でもあるが、墓とは名ばかりの場所だった。
「行かねばならぬのだ、今日、今すぐ!」
「なりません」
諌めたが、聞き入れてくださらない。あまりの強情さに、ついに与人を「賄い女の墓」に伴うことになった。
それは、村からずっと離れた、岬の先にあった。
波類間では、役人の囲われ者である「賄い女」が死んだときに、村の墓地には葬らない。
岬に捨てるように埋め、卒塔婆も墓石も立てず、供養もしない。そこには青草が荒々しく生い茂り、どこに誰が埋葬されているのかは、すぐに分からなくなる。供養をするものは居ない。ただ、風が吹き通るばかりだ。賄い女は、生前は穢れた女として蔑まれ、死してなお罰を受け続けるのである。
さすがの与人もこれには衝撃を受けたらしい。
「どこに墓があるのだ」と言ったきり黙ってしまった。
さて、問題の居なくなった男は、そこにいた。既にジラーたちが来ており、奉公人が男に水を飲ませて介抱していた。
男は脚を荒縄で縛っており、脹脛の辺りが、かなり腫れあがっていた。その顔を見て、名を思い出した。確かチルクといった。年は30を超えたばかりである。
「ハブに咬まれて、動けなくなったので、じっとして助けを待っていたそうです」
私は男のそばに寄った。足は腫れているが、それほど酷くはないようだ。牙から入ったハブ毒が、少なかったのかも知れぬ。
「何故こんなところに来た?」
「お許しを。豆、豆を、取りにきておりました」
男は消え入りそうな声で答えた。苦しそうだが意識ははっきりしていた。
「女房に食わせたくて……ここのは美味いのでございます!」
確かに男の足元に、袋が転がっている。改めると、大粒の豆が鞘のまま入っていた。ただ粒が大きすぎる。通常、下大豆はもっと小さいはずである。
「これは、本当に下大豆か?」
ジラーに聞くと、そうだとのことだった。
「肥やしが良いから格別大きく育ちます。ただ、肥やしが肥やしですから。村のものは気味悪がって取らないのです」
男は、体力の弱った女房のために、墓から豆を収穫しようとしたのだ。
そしてハブに咬まれた。なんという骨折り損をしたことか。
「おい、墓場の豆なんかを女房に食わせるなよ。腹の子に祟ったらどうするんだよ」と、筆者は呆れて叫んだ。
「祟りなどしません。昨日だって、ウヤンマがわしを助けてくれたんですから。帯で足を縛って、毒を吸ってくれた。多分あれはウターだった!」
「幻でも見たのだろう、チルク。気をしっかり持て」
呆けた男を叱り付けると、与人には「うわ言です。どうか気になさいませんよう」と申しあげた。
「医者は居ないのか」
与人は口元を手巾で覆い、むしろ、ご自分が医者を必要としているような顔色であった。
「残念ですが、島の外から呼びでもしないかぎり。あとで米を2升届けます。この男の妻も病身ですから」
そのとき、ハブに咬まれた男が突然に叫んだ。
「助けてくれたのは、あの方よ。あんな顔をしてた。そうだ、幽霊ではなく、人だったんだ」
無礼にも指で指し示すのは、与那城里之子、与人その人である。
与人は蒼白になり、首を振った。
「違う、私は知らぬ。お前など知らぬ。ここへ来たのも今日が初めてだ」
チルクは「昨日、わしを助けてくれたではありませんか」といいながら、与人の足元へにじり寄っていく。
「与人殿に向かって何を言う、この無礼者!」
だが、チルクは構わず、ついには着物の裾を掴もうとした。
ついに私は、男の腹を殴りつけ、失神させねばならなかった。
「痴れ者が!」
ジラーが男のそばにより、「ウチのものに担がせましょう」と言った。
「頼む、ジラーよ」
ジラーは次に、与人に向き直った。強張った笑顔を浮かべていた。
「ところで、与人主。もしやと思うておりましたが、あなたの母上はウターさまで?」
与人は仕方なさそうに「その通りだ」と答えた。
「お懐かしいことです。ほんにご立派になりなさって! そうそう、うちの妹のウサーが、あなたのお守だったのですよ。覚えておいででしょう?」
与人は顔を強張らせた。
「申し訳ないが何も覚えておらぬ。私は幼かったから」
ジラーは眉を上げた。
「幼いとはいえ、6つくらいにおなりだったはず」
「ああ、そうだが……世話になったのに、すまぬ。私の守姉か、ウサーというのか? 顔を見れば分かるかもしれぬ」
与人は心細げに下を向いたが、その目は不意に見開かれた。ジラーもその視線に気づいたのだろう。
「おやおや」
ジラーが足を上げると、細長い、白いものが現れた。
それは雨に晒されて真っ白になった、古い骨だった。明らかに人骨である。それが、ジラーの足元で小さく砕けている。
ジラーは「全く忌々しい」と呟くと、口の中で妙な呪文を唱えた。
おそらく厄払いの呪文であろう。
「また踏んでしまった。犬やら猪やらが悪戯して掘り起こすもんで」
まるで骨がそこにあったのが悪い、とでも言うような口調である。与人はついと顔を背け、「あとは頼む」と足早に去った。
「首里の御曹司は、ご気分でも悪くなされたか」
そういってジラーは頭を振る。何故気分が悪くなったのか、この男なら分かりそうなものだ。
この男らしからぬ無神経さである。分かっていて、与人に喧嘩を売っているとしか思えない。
さらにジラーが踏んだ骨を拾い、草むらの中に投げ込むに及んで、とうとう私も声を荒げた。
「何をする、ジラー! あまりにも罰当たりじゃないか!」
「ご不快でしたら、申し訳ありません」
一応頭を下げて見せるが、あからさまに慇懃無礼である。
何かがおかしい。有能で目端の利くジラーらしくないのだ。それが何故か、私にはどうにも読みき切れぬ。
それでも与人の心は読めすぎるほど読めた。私とて、一人子でありながら、親孝行をするまもなく親を失い、首里を遠く離れて墓参りも出来ぬ身である。
「ジラー、情けというものがないのではないか? 母親のものかも知れぬ遺骨を踏み折られ、蔑まれたら、お前ならどう思う?」
だが、ジラーの目はどんよりと濁り、「申し訳ないことで」と繰り返すだけだった。
これ以上言い募っても無駄なことである。おそらくジラーは、与人の父親か母親に何か含むところでもあるのだろう。
難儀なことだが、与人のほうが気がかりでもある。「後を頼む」というと、賄い女の墓地に背を向けた。
海にたどり着いたころには、磯は満ち潮の下に没し、童どもの気配も、ましてや与人の影もなかった。
ただ、僅かな砂浜の面にヤドカリが一匹、彷徨うのが見えた。その孤独なヤドカリの歩いた跡が、細く長く続いているばかりだった。
波類間ユンタ11
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2007/5/26