| 波類間ユンタ |
13
与那城与人の語る。
小嶺は生き方はともかく手先は器用だった。見た目より器用なおのこであるらしい。何しろ私の着替えを手伝ってから、鏡も見ずに自分の髪を結いあげたのだから。
それが尻を絡げた質素な着物の下から、白い股引を覗かせた勇ましい姿で、はっとするほど白い歯を見せて微笑んだときに、(悪くない)とはじめて思ったことだった。
「今日は、まずはチルクの様子を見てまいります。里前はゆっくり番所にいらしてください」
すっかり明るくなった外を見て、「夜這いにきて、日が高くなってから出るようでは失格ですな」と軽い冗談まで口にするので、少し驚いた。
はじめてみる晴れやかな笑顔、小嶺はようやく「喪が明けた」のだろう。ただ私と枕を一晩交わしただけで、顔つきさえも変わるとは。
(あまり嬉しそうな顔をするな、それと里前と呼ぶのも止めよ)
そういって苛めてやっても良かったのだが、忙しそうな小嶺に言いそびれた。
小嶺がいなくなった後、私は足元が崩れるほどの疲れを感じ、(倒れるかも知れぬ)と思ったことであった。
だが嘆くまい、私はこうして生きてきたのだから。大切に大切に育てられた、他の御書院お小姓とは違う。痛いの、苦しいのといって倒れるような人間ではない。
この状態で組踊りの立ち役をしたことも多々ある、そしてそういうときに限って、私は役そのものになりきれるのだ。
踊りはじめれば体の痛みも忘れ、汚れきったわが身の哀れも忘れ果て、あるいは尊い天女になって天の世界に帰り、あるいは鬼女となって鐘に取り付き、つれない若者に毒の息を吐きかける……。
まもなく、宿主のサンラーが茶を持ってきてくれた。サンラーは何事もなかったように無表情に(昨夜ここに小嶺がいたのに気づいただろうが、何も言わないのである)、茶を置いていった。茶の横には小さな黒砂糖の粒。
私は、そのありがたい黒砂糖を口に含み、茶を飲んで立ち上がった。
濡れ縁で草履を履いて庭に出ると、目隠しのヒンプンのむこうに、男がいた。
筋骨逞しい、日焼けした中年の男が、幾分うつむくようにして、こちらの様子を伺っている。
フクギの濃い影よりも暗い顔をしている、ジラーだった。私は身構えた。賄い女の墓を辱めた男。憎むべきだったのだろうが、私はジラーが怖かった。
「昨日の無礼のお詫びをと思いまして。お好きでしょう」
差し出されるのは、ウコンの粉をまぶした、生姜の砂糖漬け。何故にとはいえぬが、背筋が凍る心地がした。
「受け取れぬ」
「お召し上がりくださいまし。与人のために用意したのに。でないと無駄になる。さあ、さあ、せめて一口」
受け取ってはならぬ、食してはならぬ。だが、私の手は勝手に動いて、生姜を摘み上げ……一口齧ると、強烈な風味と甘さが口を痺れさせる。舌が痺れ、心の臓も凍りそうな心地がする。
「与人。ほんに御立派になられましたな。ウサーが手を引いていたころのわらべとは別人だ」
ジラーは底知れぬ微笑を浮かべた。暗い目が、深い深い井戸のようにわたしの前にある。
「本当にウサーのことを覚えていらっしゃらないので? 呆気さみよう。ウサー小も哀れな。あなたのために死んだのに忘れられるとは。本当は覚えているんでしょう? あなたの守姉だった、ウサーですよ。あなたを背負って、お守りして、大きくなってもずっと手をつないで」
私は手に持った生姜のカケラを取り落としていた。
「知らぬ」
「雨が降らなくてねえ、疫病も流行って、ひどい年でした。そんなときに司に神が降りましてな。助かりたくば、くり舟に童を乗せて流せと」
聞きたくない。私は覚えておらぬ……ジラーの言葉は戯言、戯言は聞かぬ。耳を塞いだ。だが、ジラーは私の手を掴んで、塞いだ耳から引き剥がした。
「妹は手足を縛られて流されたのです。あなたも見ておられたはず。お忘れか」
ジラーは私の腕を掴み、顔を寄せてきた。
「忘れたのなら教えて差し上げる、思左様。本当は、あなた様が舟に乗るはずだったのだ」
「嫌だ!」
私は叫び、ジラーを突き飛ばして、走った。
小嶺の語る。
日が高くあがり、百姓たちが通り過ぎたあとの番所は、静かであった。
波平良は、そまつな机に向かって一心に記録をつけていた。ふと顔を上げ、不思議そうに私を見つめた。
「何ぞあったのかと思いましたよ。いつも一番に来ておられるので」
「すまぬ。ただ寝過ごしただけだ」
若い筆者は、何事もなかったようにまた、筆に墨を足す。
「何ぞ色っぽいことでも?」
顔から汗が噴出す心地がする。
「いや、別に。何もない」と言いながら、襟を抜いて、風を入れた。なんという勘の鋭さか。
「与人が蔵元に参上する件だが、明後日までに用意できるだろうか。地船はよい状態で修理も要らないとのことだった。水、食料を積み込めば出られる」
波平良ももう追及してこなかった。
「地船の仕立ては、急がせれば今日中にも整います。
「そうしよう」
私は無表情を装って頷く。
「それと、ハブに噛まれたチルクの件。目差はご心配なさっていたようですが、大事はありません。この島のハブは特に毒が弱いので、命には別状ないでしょう。養生が悪ければ、足萎えになる恐れはありますが」
「そうなのか?」
私は目を丸くした。ハブに噛まれても命に別状がないというのは、初耳だ。里前のご母堂は、ハブに噛まれて一晩で命を落とされたはずだ。
「おや、目差、御存知なかったので?」
「知らぬ。本当に、ここの蛇に咬まれても死なないのか?」
「赤ん坊や年寄りででもない限り、死ぬことはありませんな」
それなら、里之子のご母堂はなぜ死んだのだろう。ご母堂は夜半、ハブに咬まれ、一夜にして絶命していたのである。
よほど体が弱ってでもいたのだろうか……。
考え事をしているより、とりあえずハブに咬まれた百姓の見舞いである。
「米二升……では足りぬか。どう思う、筆者」
「米二升と粟一升では如何」
「そうしよう。多少の慰めにはなるだろう。首でもくくられてはかなわん」
私は、番所に、自分の田畑からの収穫の一部を常備している。それを今回も使うつもりだ。
昔、島にいる役人は禄は頂かず、そのかわりに田を持っていた。今は、きちんと禄を頂くようになったが、依然として田は保有したままである役人が多い。
首里からは再三、百姓に下げ渡すようにという命令がある。だが、真面目に従う役人は少ないようだ。
私も、この島に来たとき、前の目差からの田を引き継いだ。村の外にある天水田(陸稲の田んぼ)で、報酬を払って耕してもらっている。この田んぼにはちょっとしたいわくがある。
前の目差は、「首里のご命令は守らねばならん」と考え、田んぼを二人の百姓に分け与えた。ところが、そのうちの一方は台風で家がつぶれて一家全滅、もう一方は熱病で死に絶えた。
目差の田を得た百姓家にしろ、与人主の亡きご母堂にしろ、ちょっとした果報を得て、その後不幸になるのは何故であろうか? 首里の富貴の人たちから見れば、取るに足らぬ果報であるのに……。
とにかく、ここに来たときには、目差に与えられる田はかなり荒れていた。
私は無欲な人間というわけではない。ただ、慣れぬ仕事をこなし、自分の悲しみを紛らわすことで手一杯であったのである。田畑を耕作する参段を考えるのも重荷だった。田んぼを、誰でもいいから百姓に押し付けようとした。ありがたく受け取るかと思いきや、誰も貰ってはくれなかったのである。
「目差主の田を頂くと、不幸も一緒に頂いてしまう……」
私は仕方なく、耕作人を雇った。作物の上がりは、不幸のあったものに与える。上納(税)を賄えないものがあれば援助する。飢饉の時の備えにもなる。
さて、見舞いの品を携えて行ってみると、チルクはまだ臥せってはいたが、思ったよりも元気そうだった。自分で夜通し毒を吸ったのがよかったのだろう。
チルクと女房は米を喜び、それだけでもまた元気が出たようだった。
「あとは養生することだな。そうだ、近々わしは石垣へ行く。何ぞ良い薬がないか見てこよう。医者も居ないのだからな」
「ありがたいことです」
男はふと目を丸くして、「これは、与人主」と叫んだ。
後ろに、気配もなく与人がたっていた。死人のように血の気がない。朝、屋敷を辞するときはお元気であったのに。
チルクと女房が、全く慌てふためいて、昨日の非礼を詫びはじめた。彼らには里之子の顔色など見えないのである。
だが、里之子は全く聞いていない。
「怖い」
その言葉を言ったなり、立ったまま失神なされた。私がとっさに支えようと手を出さねば、囲炉裏に頭を打ち付けていたであろう。
私は長身の里之子を抱えたまま、アダン筵の上にズルズルと座り込んだ。
「み、水だ。水を持ってきてくれ」
そういいながら自分を責めていた。私が悪いのだ。あまりに激しくしつこく里之子を求めたから!
「目差主、お任せください」
女房は私に逆らい、被っていた手ぬぐいを脱いで、里之子のそばに寄った。
とめるまもなく、里之子の手を取り、あろうことか「思左さま」と呼びかけたではないか!
何度も呼びかけ、ごく軽くではあるが、頬まで叩いている。
「おい、何をする、無礼な!」
だが女房は私の言うことなぞ聞かぬ。
まもなく、里之子は意識を取り戻されて、薄く目を開けた。
「思左さま、マフサでございます。昔、ウサーと二人で、あなたのお守を致しましたよ。お懐かしいです」
女房は愛しそうに、何度も里之子の額を撫でた。昨晩、私が何度も口付けをした額である。私は、胸焼けしそうだった。なんと馴れ馴れしい女かと、チルクの女房を憎んだ。その手を、里之子の額から振り払いたいとも思った。
里之子は血の気の失せた唇を開けた。
「マフサ」
「覚えておられましたか?」
だがそれには答えない。お忘れなのであろう。
「守姉は私のせいで死んだのか? 私の身代わりで?」
うなされているのかと思ったほど、脈絡のないものいいいだった。
「いいえ、違います。思左さまのせいではありません。誰がそんな言いがかりを?」
「ジラーが……」
里之子は震えながら、口に手を当てた。
「私は、ジラーに貰った菓子を、どうしても、断れなくて……食してしまった……助けてくれ」
マフサはこれを聞くと、身重の体にあるまじき敏捷さを見せた。里之子の手を放り出して、駆け出したと思ったら、空の桶と、真水を満たした手桶を携えてきて、「水をお飲みなされ。できるだけ沢山」と促した。
百姓の手桶から水を飲めなどと、慮外なことだ!
だが、里之子は迷うことなく、マフサの手桶の水を飲んだ。そのあとマフサは、里之子のアゴを捕まえ、口の中に手を突っ込んだのである!
「何をする、この女!」
とめようと掴みかかると、足で蹴られた。力強い。これが、つい数日前に織小屋で倒れた妊婦だろうか。
「思左様を助けたければ、黙ってみていてください!」
気おされるほどの、凛とした声だった。里之子は苦しがって、やがてタライの中に水を嘔吐した。
里之子の吐き出したものは僅かだった。ほんの僅かな米粒、そして生姜のような薄いカケラ。マフサは忌々しげにそれを摘み上げると、二つにちぎって外に投げ捨てて、口を極めて里之子を罵り始めたのである。
「本当に思左は意気地のないこと、まるで女が腐ったような! そのカタカシラなど切って、いっそ寺にでも入れ。自分が情けないと思わないか、それでも男か。女のほうがまだ根性がある。亡くなった母上も情けなく思っているだろう、お前のような情けない男、どんなヲナリ神も見放すわ!」
なんという女だ、乱心したかと思ったが、その目は正気である。
そして不思議なことに、それを聞く里之子の顔色がだんだん良くなってくるのである。
でなければ女を斬り捨てていただろう。
だが、それをさせない気迫のようなものが、女の全身から溢れている。彼女には高位の神司のような、迫力があったのである。
さんざんに悪口雑言を並べた挙句、女はやっと黙り込んだ。額には玉のように汗が浮かんでいる。
マフサは汗を拭くと、にっこりした。
「さあ! これで生邪魔は去りました! 思左さま、もう大丈夫ですよ」
すると、里之子は起き上がったのである。
「心の臓も苦しくない」といいながら。
「おい、マフサ。お前、なにをしたのだ。説明しろ」
私がそう凄むと、女はあっさりと白状した。
「与人様には生邪魔を送られた恐れがありました。本当にジラーが生邪魔を放ったのか、放ったとしたらどのような生邪魔かは、わかりません。ただジラーは恨んでいたのです、思左さまも、ウターさまもです」というと、大きな腹を庇いもせず、筵の上に手を着いた。
「わたしは
私は黙ったまま、マフサを見下ろしていた。物知り。つまり、彼女は国が禁じた巫道を行う、ユタである。ユタとして呪いを行うことは、王府の定めたもうた重罪である。
だが、このときのマフサは、首里のどんな女よりも凛としていたのである。
波類間ユンタ 14
若者小説
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2007/6/13