波類間ユンタ  
15
小嶺の語る。

波類間の地船が整った翌朝、石垣島を目指して出航した。与那城里之子を連れて、蔵元に参上するのである。
夜明けである。水平線上に太陽(ていだ)が現れ、海面が輝き始める。
その海に浮かぶ波類間の島影は、まるで深緑の繭のようだ。
美しい波類間を、わが二才は食い入るように見つめている。この島のどこで、母親と今生の別れをしたのか。

涙を溜めて船に乗ったであろう童子が、ようやく島に帰ってきたら、この有様である。

(母の墓もわからぬ……帰ってきた甲斐もない……。わたしは、ひとりぼっちだ)

彷徨い出たであろう与人の魂が、私の耳元で小さくささやく。
(しまいに、呪い殺されかけた。帰ってきてはいけなかったのか)

わたしは、それに答えずには居られなかった。
「里前は、ひとりではありません。拙者がおります」

だが返ってきたのは、芋がらを見るような、冷ややかな視線であった。少々、慌てて言い直した。
「いや、里之子。今日は良い風が吹いて、波も穏やかです。夕刻までには港に着きましょう」
里之子は「ああ、そう願いたいものだ」と答えると、ついと顔を背けた。
ここ数日、ほとんど口を利いてくださらない。
『命を懸けてお守りしたい』と申し上げた。それは赤心からの言葉である。それが疎ましいのなら、何故、私を受け入れてくださったのか。
真実、肌寂しかったからだけなのかとも思った。だが思い出されるのは、里之子が床で示してくれた、情け(なさき)()の熱さである。
枕を交わしただけというが、望んで肌を合わせた以上、情を移さずに居ることなど出来ようか。
私には無理だ。与人が気に入るようには出来ぬ。だが、気に入られたいのである。

ため息をつきかけたときに、小さな声がした。里之子が海面を見つめている。
「どうなされた」
「今、人魚と目が合った」
私は慌てて与人主の口を押さえようとした。
「何をする」
「その名前は口にしてはなりません、不吉です。加子どもが聞いたら怯えるではありませんか」
人魚は船を沈めると恐れられている。
密かに加子らを見るが、気がついた様子はない。

「ほら、あれだ。見えるだろう?」
さらに船べりから身を乗り出した。
とっさに胴を捕まえ「危ない、落ちますぞ」と叫んだ。そのときようやく、与人が見ているものを私も認めた。

灰色の獣が水面に浮いて、こちらを伺っているのである。丸い頭が朝日に輝いている。
ザン(ジュゴン)であった。

この辺では獲ることは禁じられているが、もともと臆病な動物である。
そのザンが、つるりとした灰色の顔を水面にあげ、時折沈み、また離れたところで顔を上げる。どうやら船と並んで泳ごうとしているようだった。この船の何が、獣の興味を引いたのかはわからない。だが里之子は喜ばれた。
「なんと面白い顔であろう」
私には向けない微笑を、人懐こい海獣に向けている。
(あなたを恋い慕ってきたのでしょう。私と同じなのです)
だがその言葉はいえないまま、ただ与人の体を抱きとめ、しなやかな肋骨の感触を楽しんだ。
やがて、ザンは船の追跡に飽きたかのように、何処ともなく去った。そして里之子もまた、するりと腕の中から逃げていったのである。



順風に恵まれた船旅であった。
昼下がりには石垣の島影が見え、そしてその日の夕刻早くには、目指す港に着いていた。
地船から小船を降ろして、船着場に上がる。その船着場のすぐ前に、青空の下、威容を誇る赤瓦の役所が、八重山の蔵元である。

この蔵元に対しては、複雑、としか言いようのない思いがある。つまり蔵元には、情けがない。そのために先の与人が亡くなり、そして与那城里之子が後任として来たのである。

島は、2年続けて大風に見舞われており、不作だった。収穫できた米は、本来の上納の半分にも満たない。先の与人と私は蔵元に出向き、事情を説明して、上納の軽減を頼んだのである。しかし蔵元の頭衆はわれわれを怒鳴りつけた。
『波類間だけ大風に見舞われたのか、違うであろう。他村はきちんと出しているぞ』
われらは百姓をなだめすかし、新米まで上納した。普通、新米は飢饉に備えて貯蔵し、上納は前年の古米を使うのだが、それでは足りなかったのだ。粟も殆ど上納した。命を差し出すのにも等しかった。誰もが春先の餓死を恐れた。

そこそこ収穫できた唐芋も、実は虫が涌いたが、その虫ごと蒸して干し芋にした。
秋、皮肉なことに蘇鉄の実は、大変な豊作だった。丹念に水で晒して、発酵させて毒を抜き、でんぷんに作った。だがこれは最後の最後まで置いておくのである。
われわれはもう一度、粟を植えた。今度こそ大風にやられぬよう、役人も百姓も、皆で浜下りをして身を清め、女たちは懸命に御嶽で祈った。
祈りが通じたか粟は豊作だったが、それだけではない。
稲を刈ったあとの株から、「ひこばえ」が生えており、そのひこばえに花が咲き、気候に恵まれたお陰で、初めの収穫よりも多くの米が取れのだ。喜んだ先の与人は、ありたけの焼酎を御嶽に供えた。翌年の春、与人は亡くなった。度重なる心労に、心の蔵が破れたのであろう。
そして与那城里之子がやってきた……。


蔵元に顔を出すと、頭職のもとへ行くように命じられた。翌日出直すつもりだったので、これは意外だった。里之子は、職を拝命してから八重山蔵元に挨拶をせず、まっすぐに波類間に来てしまった。きつい叱責を覚悟していたが、現実はその全く逆だった。
頭職の宮良親雲上(みやら ぺーちん)()は、いきなり来たわれわれに対して、この上なく上機嫌だった。恰幅のいい、色艶の優れた壮年の役人であった。

「与那城里之子久長と申します。ご挨拶が遅れて大変申し訳なく」
里之子がそう挨拶をすると、頭職は鷹揚に微笑み、親しく近寄ってきた。
「遠路はるばる首里からの旅である。船頭が少々間違っただけと聞いている。さて、飛船で呼びつけたのは他でもない、里之子、貴殿の名声を見込んでのことだ」
里之子は「名声だなどと、お恥かしい限りです」と作り笑いをした。
だが頭職は、その笑顔を心からのものと思われたらしい。ますます機嫌がいいのだった。
「薩摩の偉いお方が視察に来られたのだが、船が壊れて修理に手間取っている。小唄だ端唄だと気を遣っているが、どうも退屈をしていらっしゃるようだ。里之子の話をしたところ、いたく興味を持たれてな。御冠船踊りの名手を是非ご覧になりたいそうだ。頼んでもいいだろうか?」

無理難題というより、これは侮辱に近い。里之子は、役人である。辻の女郎とは違う。薩摩のお方も、在番奉行か誰かは知らないが、退屈するなら退屈させておけばいいのだ。
しかし里之子は、「承知いたしました、私などの踊りでよければ」と頷いてしまった。
「お屋敷に出向けばよろしいので?」
頭職は首を振った。
「蔵元の程近いところに、長年、懇意にしている女の屋敷がある。そこへ行ってくれ。後で、貴殿の宿に使いを寄越す。私も貴殿の踊り、楽しみにしている」

開いた口が塞がらない。
懇意にしている女が、この男の妾か女郎か、そんなことはどうでもいい。賓客をもてなすのに妾の家を使うのは勝手だが、何故、役人である里之子を引っ張り出すのだ。これではまるで芸妓の扱いである。踊りが見たければ、おのれの妾を踊らせればいいのだ!
「恐れながら、」と、声を絞り出した。「与那城里之子は、波類間の与人でございます。和歌を詠む、というのならまだしも。踊れというのは、それではあまりにも、」
「控えよ、目差。これも公務である」
里之子にぴしりと言われて、黙り込んだ。精一杯不機嫌な顔をしたつもりだが、里之子は意に介さない。
それで頭職は、思い出したように私を見た。

「そうだった。波類間も不作から立ち直ったことだろう。そろそろ西表島への寄人をする頃だな。30人ばかりどうだ」
「西表!」
思わず叫んだ。寄人(強制移住)はよくある話だ。今までなかったのが不思議といえば不思議だ。だが、ヤキー(マラリア)()の蔓延する西表へ、病気に抵抗のない、波類間の島民を送ってどうする。
殺すのと同じではないか。
「波類間のものは、全く風気(マラリア)()慣れしておりません、直ぐに死に絶えましょう、酷すぎます」
頭職は動じない。
「これは王府の方針なのだ。今までしなかったのは波類間だけだぞ」
「し、しかし。30人も出しては、村が立ち行かなくなりますぞ。村倒れいたします」

里之子の手が、私の背中の着物を掴んだ。そして私と、頭職の間に割って入る。
「王命でしたら是非もない。案外、行きたいものもおるやもしれません。しばしお時間頂きたい。小嶺目差、」
私に鋭い一瞥を投げる。切れ長の目が、白く光った。
「百姓どもに言うことを聞かせるのが、お前の仕事だろう?」
冷え冷えとした、物言いであった。

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2007/8/22