波類間ユンタ  

16
小嶺の語る。


蔵元を出て、容赦ない日差しにさらされる。
里之子の顔は、幾分青ざめていた。暑くて気分が悪くなったのかもしれぬ。
「お荷物運びましょう。お疲れでしょう」
手の包みを取ろうとしたとたんに「要らぬお節介は止せ」と拒絶された。さらに里之子は私を睨み、なじり始めたのだ。
「ところで小嶺、頭職に口答えしただろう。どういう了見だ」

どういう了見、か。
里之子には私の心などわからない。
清らだ、大切だと思っているものが、他人に軽く扱われるのが如何に辛いか、里之子にはわかるまい。
「拙者が聞きたいくらいだ。宴席の座興など、なぜ断られなかったのです?」
「それが仕事だからだ。断る道理がない」
里之子の顔つきはますます冷ややかだった。
「あなたは波類間の与人です。もう楽童子じゃない、薩摩もののために踊る義理はないのです。しかも頭職の別宅でなどと」
里之子は青ざめながらも、退かなかった。
「嫌ですといって通ると思うのか。お前も役人の端くれならわかるだろう」
私たちは互いに疲れていたのだろう。きつい言葉の応酬が止まらなくなっていた。

「あなたには誇りがないのか。薩摩侍の前で踊るのがそんなに嬉しいのか!」
もう嫉妬剥き出しで叫んでしまった。

里之子は、穴が開くほど私を見つめた。里之子は取り澄ましても居ない、もはや威圧するでもない。ただ青ざめ、傷ついていた。
「誇りって何だ? そんなもの気にしてたら、生きていけるか!」
里之子は掠れ声で言うと、顔を背けた。
私たちは確かに情けを交わしたのに、何故、心が通わないのだろう。何故、傷つけあってしまうのだろう……。


宿に着くと、里之子は出された茶も飲まずに部屋から出ていった。
小半時ほど悶々と待ち、里之子の言葉を反芻し続ける。
誇りがないのかなどといわれたら、誰でも怒るだろう。だが里之子は、『誇りとは何ぞや』と問い返したのだ。誇りなど気にしたら生きていけぬと。私のような下級の侍でも、なけなしの誇りは持っているというのに。
(誇りなど気にしたら、生きていけない)
(私には、誇りなどない。捨てなければ生きていけなかった)
そのような言葉が頭を過ぎる。それは考えすぎだ、そうに違いない。と、かすかな音がして襖が開いた。

里之子が不機嫌に立っていた。頭に巻きつけた手拭いから、濡れた髪が覗き、襦袢が肌に貼りついていた。
「か、髪を洗われたのか。これは……おおごとだ」
「『お座敷』に出るからな。汗臭いと客に嫌われるだろう?」
里之子はそういうと、窓際に座り、幾分乱暴に髪を拭き始めた。まだ怒っているのである、当然だ。
「髪を結わせてください」
「要らぬ」
もはや白状し、謝るしかなかった。
「どうか許してください。拙者は阿呆です。あなたを自由にできる薩摩ものに、妬けてならないのです」
里之子はしばらく私を睨んでいたが、やがて「結ってくれ」といってくださった。
ほっとして、濡れた髪を乾かし、櫛を入れ、結い上げた。里之子の髪はしなやかで、鬢付けもほとんど要らないほど結いやすい。

二本の髪差しを前後から差して、里之子を見つめた。里之子もまた私を見つめ返す。
微笑んでいない目を見ると、鼓動が早くなる。切れ長の強い眼差しは、挑んでいるのである。
引き寄せられるように、唇を近づけた。息がかかるほど近づけたところで、冷たい手の平に押し返された。明らかに拒まれたのだった。
そして里之子の着替えが終わるころ、頭職の使用人が迎えに来た。


頭職の別宅は、宿からも蔵元からはかなり離れたところにある。フクギ屋敷林は立派だが、屋根は茅葺きだった。
「薩摩の言葉は喋れるのか?」
喋れないというと、里之子は迎えのものに何事か囁き、そのあと私を中庭に置き去りにしたのである。
「お前は別の部屋で酒でも飲んでいろ」
里之子はそっけなく言うと、中庭を渡り、賓客用の離れ座敷(あしゃぎ)()に行ってしまった。白い玉砂利に夕日が赤い。だが向かう部屋にはもう灯りがついて、かすかに三線の音がしていた。

私が通されたのは、離れ座敷とは中庭を隔てた、屋敷の一番表座である。
既に先客が居た。袴をはいて胡坐をかき、傍らに大小の刀を置いた男が、ゆったりと座っている。肉付きがよく、笑んだ目が頬の肉にめり込んでいる。
薩摩の侍が笑んだのは診たことがない。珍しいことだ。
ともあれ、私たちは互いに軽く頭を下げあい、あとは何の会話もなかった。
非常に気まずかった。そのうえ情けなくもあった。私は、何のために来たのだろう? 離れていては護衛の役にも立たない。嫌な顔をされながら、のこのことついてきた甲斐もない。

進退窮まり、東の方角を何度も見やった。
離れ屋敷の縁側に、一瞬、慕わしい里之子が姿を見せた。だがすぐに背中を向けて、中に消えてしまった。
やがて、にぎやかな笑い声と、音曲が聞こえてくる。

「怖い顔しなくたって、誰も無礼なことはしないさ。わざわざ呼んだ客人だもの」
馴れ馴れしい声に、驚いて振り返った。だがそこに居るのは、中年過ぎた大和の侍、ただ一人である。きょろきょろしている私に、侍がいきなり言った。

「そこの二才、まあこっちに来て、酒でも飲まんか。魚も、カマボコもあるぞ」
何度聞いても、薩摩言葉などではない。那覇の訛りがあるが琉球の言葉である。
「私は山下玄庵と申す。長年、薩摩在番で医師をしている者だが、上役のお供で久しぶりの島旅だ。貴殿は今若松のご家来だな?」
「い、今若松? 家来? いや、拙者は、波類間目差、小嶺岩昭と申す」
大和医師は、ふっふっと笑った。
「そうか。まあ飲め。ここで会ったが百年目、積もる話はそれからだ」
初めて会ったお方と、何の積もる話があろうか。戸惑う私に構わず、男は杯を私に押し付け、酒を注ぐ。そして聞きもしないのに身の上話を始めた。
「那覇に住んで、20年以上になる。薩摩に住んだ年月より長くなった。琉球のジュリは情けがあるから、もはや帰りたいとは思わん。だが酒はやはり薩摩に限る」
私は遠慮したが、強いて勧められたので、一口飲んでみた。
胃の府に沁みる、香り高い酒。初めて口にする、薩摩の焼酎である。確かにうまいが、慣れた味ではない。

離れ座敷からは、風流な三線の音が聞こえている。里前はいつ踊るのだろうか?
「今若松の踊りを見たいんだろう? ここからでも横顔は拝めるから安心しろ」
「先ほども言われたが、今若松とはどなたのことでしょう?」
「誰って、与那城里之子のことさ。今に蘇った古の若松、だから今若松」
「はあ……」
医師は呆れ顔である。
「なんだ、ひょっとして若松も知らんのか。伝説のお稚児、中城若松だろうが」
「存じてます。ですが若松の按司はお稚児ではない、城持ちになった偉い人です」
「無粋だな」

玄庵は、執拗に里之子のことを話し続けた。
「今若松、あれはよく大仮屋に入り浸っていたもんだ。よほど居心地が良かったのかな」
私は思わず失笑した。大仮屋といえば、薩摩在番詰めの侍たちが寝泊りしている場所だ。そんなところが、居心地がいいものか。
この医師は何か勘違いをしている。私は慇懃無礼に答えた。
「だれぞに軟禁されていたのではないんですか? さぞ恐ろしい目にあったことでしょうに」
山下玄庵は大げさに目を見開いた。

「とんでもない。上げ膳、据え膳さ。今若松に何かしようものなら、小太郎にぶち殺されただろうよ」

また小太郎か。私はその名前をあまり聞きたくない。不機嫌に干し魚を口に放り込んで、噛み砕いた。
与那城里之子に大和言葉を教え、剣術の手ほどきをし、守り刀を与えた薩摩の侍だ。
一度も念者であったことはなかったと、里前の口からあれほどはっきりと……。

「小太郎の念弟だったからな、あれは」
私は激しくむせた。
「おや、大丈夫か」
玄庵が杯を置いて、旧知の友のように背をさすり始めた。それが妙にじんわりと、肉のつき具合を確かめるような、嫌らしい手つきなのである。
「おお、逞しい背中をしておられる。だがかなり凝っておられるな」
私はぞっとして「お、お気遣いは無用に」といいながら、手を押し戻した。
玄庵は苦笑いして手を引き、庭を見やった。
「ああ、始まるようだ」

何時の間にか、中庭に篝火が灯されている。
里之子は、中庭の横手から現れた。手に細い杖、顔を笠で隠し、俯き加減に足早に歩いてきた。あっという間に中庭の中央まで来ると、足を踏みしめて腰を落し、いきなり素早く回転をする。
次の瞬間には脚を一直線に開き、強く踏みしめる。
傘の下から覗く横顔は白く、そして唇には紅が差されていた。薄い唇が僅かに笑みの形を作った。
『親の敵を討たんとて万歳姿に身をやつし、棒と杖とに太刀仕込んで』と地唄が歌う。里之子が動く。手と杖で空気を切り裂くがごとく、鋭く、隙のない身ごなしである。そしてまた回転し、身構える。
脚は、全く揺るがない。そうしながら里前はときおり、離れ座敷の客人に目を走らせる。隙をうかがうかのような、油断ならぬ目つきである。

一度だけ、里之子と目が合った。はっとするほど、鋭い視線、怖い、美しい目だった。
私は、喉に刀を突きつけられたときのことを思い出す。里之子の冷たい刃が、私の皮膚を撫でていったときも、このような鋭い目をしておられたのだろうか……。

高平良万歳(たかでーらまんざい)()か、いきなり穏やかじゃないな」
大和医者が小さな声で呟いた。
「敵討ちをする二才の踊りだ。二才が仇の前で踊って、油断させて、斬り殺すという……」
私は膝の上で手を握り締めた。私には、踊りは何一つわからない。だが、踊り終えた里之子が中庭から走り去るまで、一瞬も目が離せなかった。

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2007/9/2