| 波類間ユンタ |
17
与那城の語る。
殺気を放つのは、踊る私のはずだった。
「高平良万歳」は、何度となく踊った演目だ。中庭で踊るのも初めてではない。それなのに私は、仇を狙う
明かりも差さぬ暗がりから、誰かが見ている。暗い植え込みの影から、こちらの隙をうかがっている。ジラーに見つめられたときの感覚と似ているが、こちらは全くの生身の悪意である。
吹いてくる風が、かすかに生臭かった。鯉口を切り、獲物に飛び掛ろうとするときの、男が発する獣の臭いだった!
私は丸腰で、斬り付けられたら防ぎようがなかった。ただ夢中で踊り切り、生きて中庭から駆け戻った。離れ座敷の縁側で、必死に呼吸を整えた。震えの止まらない手を、膝の上できつく握り締めた。
「与那城里之子、見事だったぞ」
薩摩在番奉行の東郷どのが、杯を差し出していた。
その奉行の横には蔵元頭職がおり、末席には、在番奉行の部下である、ひとりの若侍が控えている。ここには何の殺気もない、ただ和やかな宴席があるばかりだ。
それでも、手の震えが止まらない。
「おや、震えているではないか、里之子よ」
「久しぶりに、東郷様の前で踊りますので、あまりの勿体無さに震えが来ました。申し訳ありません」
こんな苦しい言い訳で、奉行は納得なさるだろうか。
「おやおや、腹の据わった今若松らしくもない」
そういいながら奉行は私の手をとり、「どうやら本当のようだな。こんなに冷たくなっている」と嘆息した。
太い指が、私の腕を温めるがごとく、撫で回し始めた。
「今若松でも、人前で踊るのが恐ろしいか?」
「勿論でございます」
頭職はそっと顔を背け、そして若侍は、何の表情も浮かべず、じっと座っている。この男の仕事は奉行を守ることだから、奉行に危害が及ばなければ、なにもしない。奉行を諌めることは、さらにありえない。
「思左よ、わしは今年、薩摩に戻る。そうしたらもう、そなたには会えぬ。せめてもの名残に、そなたの若衆踊り、女踊りを見たい。お前が元気になったのを見届けたい」
私は目を伏せ、しおらしく振舞った。
「ありがたいお言葉ですが、このとおりの二才姿ですので。お目汚しをするわけには……」
「いやいや、そんなことはない! そのままでいい、踊ってくれたら何でもお前の好きなものをやろう、な? 珊瑚の簪がいいか。金襴緞子の内掛けはどうだ? そんな銀のではない、金の簪も買ってやるぞ」
珊瑚の簪、緞子の打ち掛け、どれもこれも私には何の意味もないものだった。ほしいものはもう、ない。父の出世を体で購った日々は、もう遠い過去となった。その父ももう居ない。
小嶺なら、と思った。こういう場合、ねだるものは一つしかないだろう。
「では、お奉行様、図々しいお願いごとをして、宜しゅうございますか?」
「おお、何でも申せ!」
「実は、私が与人職を務めます波類間村が、西表への寄人を申し付けられまして……よその村も耐えていることではございますが」
そういって手を握り返し、役人の太い指を弄んだ。
「このところ不作で、波類間はとくに疲れきってしております。今、寄人をすれば、元気な働き手が減り、残されたものは難儀します。どうか、この寄百姓、今回に限り免除してくださいませ。あと何年かすれば、村の力も戻りましょうほどに……」
目を潤ませて、奉行を見つめる。父仕込みの技で、涙を浮かべてみせる。そうしていると、おのれが本当に村人の命を慈しんでいるような気さえしてくる。
奉行は、少し考え込んでいるようだった。同席している頭職を憚ってのことだろう。だが次の瞬間、力強く頷いた。
「わかった。頭職よ、異存なかろうな?」
同席している頭職は、苦笑しながら、「まあ今回だけは、いいでしょう」と応じた。
奉行に恭しく礼を述べると、今度は尻を撫で回された。
小嶺を追い払っておいて正解だった、と思う。このような有様を見れば、乱心して奉行を絞め殺しかねないだろう。奉行はますます興に乗ったか、掴んだ私の手を、自分の膝の上に導いた。私は(これも最後)と思い、奉行の膝を撫でた。
奉行の部下の若侍が、息を呑む気配がする。そっと見やると、かすかに蔑みの表情を浮かべて、私たちの有様を眺めていた。
私は若侍にも、嫌がらせのように微笑を送った。侍は不快そうに視線を外した。
(上等やさ)
蔑まれるのには慣れている。
踊りの支度をするために、一番裏座に向かった。そこには、この家の女あるじが控えていて、髪を若衆の丸髪に結いなおしてくれた。髪が足りない分は、入れ髪でごまかした。衣装は、頭職の趣味でもあろうか、赤い脚袢、振袖、椿の髪飾りまで揃っていた。
背中に2本のゼイを挿して中庭に向かおうとすると、背後から女が「お待ちを」と言って、ゼイを直した。
「ヒンプンの影にお武家様がおりましたので、丁重によそへ移っていただきました……心置きなく踊ってくださいまし」
女にしてはがっしりした手が、私の背中を軽く叩く。
そのとたんに、先ほどの恐れも胸のつかえも、消えてなくなった。音曲とともに、静かに中庭へ入っていく足も、信じられないほど軽かった。
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2007/9/13