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小嶺目差の語る
浜下りの後、与人を私の宿にお連れする途中だった。畑を見回りに行ったはずの波平良が、ひどく慌てて戻ってきた。
「申し上げにくいのですが……先だっての大風で、お宿が少々壊れました」
「お宿? 誰の」
「目差主のお宿です」
少々、と波平良は言った。しかし実際にはそれどころではなかった。私の宿は柱と壁を残して、屋根がなくなっていたからだ。
「お帰りになるちょっと前に、大風がありまして。目差主のお宿だけ、狙ったように」
「な、何で早く言ってくれなかった!」
「も、申し上げにくかったのです。目差主の荷物は、屋根が飛んだときに知らせを受けまして、私の家に避難をさせました」
波平良はびくびくと私の顔色を伺う。百姓たちの家には、なんら被害はない。私の宿舎だけが風の被害にあったのだ。
「飛ばされた藁は、ほれ、あちらに干しておりますが、屋根を葺きなおすにはあれだけじゃ足りません。新しい藁を用意するまで、しばらくはここには住めないかと」
波平良の言葉が頭に入らない。悔しくてならない、なぜこのときに、こんな椿事が起こるのだろう。私は頭を掻き毟った。何かに呪われているようではないか。ここに与人を匿うはずだったのだ!
「ここに小嶺が居れば大怪我をしたであろう? 不幸中の幸いと思って諦めよ。それより、今夜寝るところを決めるほうが先決だ」
凛とした声。与人であった。
波平良が「是非、私の宿に」と言い出すのを、与人は「それは気の毒だ」と制した。
「波平良の宿は狭い上に、若い賄い婦も居るのだからお邪魔だろう。私の宿なら部屋が余っている。小嶺も上役と一緒では『気詰まり』だろうが、辛抱しなさい。屋根が直るまでだ」
それでいいな、と与人は私に言った。与人の言うことは理に適っていた。この状況で、われわれが一つ屋根に住むことを怪しむものはいないだろう。
それでも、とにかく私は心配だった。与人の宿に着くとすぐ、畳をひっくり返し、床の間の掛け軸を覗き込み、梁の上を調べ、蜘蛛の巣の張った軒下も探した。面妖な呪い札などがないか確かめるためである。
与人は細い眉をひそめ、「気にしすぎではないか?」と呟いた。
「後悔するよりましです」
さらに台所へ行って火の神の神棚を調べた。飯炊きの老婆に言いつけて、米びつの中、味噌の壺の底まで探らせたが、幸い、何も出なかった。
日が傾いたころ、与人の宿主が食事を用意してくれた。私は、与人の膳を取り上げ、少しずつ食べて、異常がないことを確認した。毒見である。
「そういうことは止めてくれないか。面白くない」
与人は、いきなり怒り始めた。
「知らない間に、食材に何か細工をされていたらどうします」
「宿主のサンラーがそんなことはさせない。ジラーは、明日にでもここに呼んで、ちゃんと話をする。ウサーのことを知れば、私への恨みも消えるはずだ」
無理だ、と思った。ジラーのように意志の強い男は、それだけに頭が固く、一刻である。『他人に翻意させられる』ことはないのである。
そしてこの島のものも、実は意志が強く、しかも気が荒い。僅かなきっかけで暴走をして、子供を海に流そうとするようなものたちだ。油断は出来ない。
「ジラーにも、この島のものにも、あまり気を許してはなりません」
「私もこの波類間の人間だ」
「違う、あなたも余所者だ。仲間だと思っているのはあなただけだ。彼らがしたことを、忘れたのですか!」
与人はさっと席を立ち、こう言い放った。
「ああ、忘れたとも」
そのまま裏座に入って襖を閉めてしまった。 また傷つけてしまったのだ。
少し間を置いて、自分の膳を持って、そっと襖を開けた。与人は背をこちらに向けて、東の空に白く浮かぶ月を眺めていた。
「里之子、こちらは拙者が味見をしなかった膳です。どうかお食事をなさってください」
答えはなかった。
「酷い事をいいました。どうか許してください」
「お前は何も悪くない。弱虫で忘れっぽいわたしが悪いのだ」
与人の肩がかすかに動いて、私のほうに向き直る。顔は影になっていてよく見えなかった。
「船で旅をしたことを覚えている。ずっと必死だった。誰にも負けるな。一度見た踊りは忘れるな。書も、三線も、笛も胡弓も。茶の湯、やまと歌、生け花。……男の気を引くことまで」
里之子は、乾いた笑い声を立てた。
「閨で偉い人を喜ばせることも、父に教えてもらった。外道なる親子だろう?」
私は、里之子の肩をそっと抱き寄せた。聞くのは辛かったが、里之子のほうがもっと辛いはずなのだ。だから、私は里之子の言葉を止めなかった。。
「気づいたら、母の顔も忘れていた。命の恩人のことも忘れた。だから、こんな私を覚えていてくれた人を、大切にしたいのだ」
私は、里之子の頭を自分の胸に押し付けた。銀の簪の切っ先が、私の喉もとに冷たく触れた。
里之子は、くぐもった声で言葉を続けた。
「お前は、守れないのなら私を死なすと言ってくれた。お前は私を置いていかないだろう? 毒見などしないでくれ。お前が目の前で苦しみだしたりしたら、私はどうしたらいいんだ?」
「置いていきません。生きるも死ぬも一緒にと、そう思っています」
私は舞い上がっていた。あまりに嬉しく、里之子からも、誠を誓っていただくことを忘れていた。
波類間ユンタ27
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2008/1/9