波類間ユンタ  

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小嶺の語る。

 われわれは村中を歩き回り、家々を覗いて、隠れそうな茂みなどを叩いてジラーを捜した。百姓らは与人主を娘殺しの下手人と疑っている。ジラーが怪しいと言っても身びいきがあって聞く耳持たず、そのためジラーの捜索に百姓は使えない。
 波平良と、ごく数人の系持ち(士族)の若者だけでは人手が足りぬ。探しあぐねるうちに、日はとうに中天を越した。その太陽もやがて、真っ黒な雨雲に隠れた。生臭い風が、やがて雨の降ることを告げていた。
 
「まさか舟で逃げたのではないか」
 波平良に相談したのである。だが筆者は首を振った。
「舟で逃げてどこへ行きますか。生まれ島を離れて、真っ当に生きていく場所なんてない。だいたい、ジラーが下手人と決まったわけではないんですから」
「とにかく、お前は浜へ回れ。舟を出した形跡がないか調べるのだ。他のものはもう一度家々を当たれ、逃げ込んだかも知れぬ……井戸、ブタ小屋、便所も捜すのだぞ。匿う不届きものもいるかも知れぬ」
 そのあと、マフサの家に向かった。ジラーの捜索がてら、ユタとしての意見を聞くためだった。「ビジュルを煮る」ことが何を意味するのか、与人が言うように何かの呪いなのか、物知りとしてのマフサの意見を聞くためである。王府に禁じられている以上、他の役人が居る前では、ご禁制のユタの話をするわけにはいかない。

「マフサ」
 粗末極まりない家の戸口で、呼ばわった。誰かが息を呑む気配、だが答えはない。
「おい、入るぞ」
「ここにおります」
 マフサがゆっくりと顔を見せた。彼女が動くと、小屋から強烈な血の匂いがしてきた。
血色が悪いのは前からだが、髪も結わず、ひどくおどおどしている。しかも頬に青アザがあり、唇の端を切っていたのである。
「どうした、何かあったのか」
 女は恥じるように、うつむいた。
「いいえ、何も。ただ、つい最近、子を産みまして、取り散らかしております。申し訳ありません」
そういう言葉のとおり、暗い家の中から熱気が流れてくる。
「それはめでたい。赤子は息災か?」
「おかげさまで元気に育っております」
マフサはそういうと、額の汗を、手の甲で拭った。この島では、産後の母親は、囲炉裏にあたってわが身を温め、汗を流して養生する。しかし、養生しているはずのマフサの顔は、腫れていた。黒く痣ができて、唇の端に血が滲んでいた。
(亭主か?)
 だが私は言葉にはしなかった。ただ目をそらせたのみである。
「邪魔をしてすまぬ。すぐに終わる。お前を見込んで、教えてほしいことがあるのだ。時間は取らせぬ」
 マフサは大人しく、下座に座った。腫れた頬が痛々しい。後で、亭主であるチルクに、言い聞かせねばならないだろう。だが今は、それどころではない。
「腐った汁の中でビジュルを煮て、誰かを呪う、ということはあるものだろうか?」
 女の目に怯えが見えた。女の言葉は歯切れが悪かった。
「どうでしょう。ビジュルを煮るというのは、あまり聞いたことがありません」
 突然、奥のほうで赤ん坊が、ひどく泣き始めた。
「わしは待っているから、行ってやれ」
 だがマフサは、体を強張らせたまま、立ち上がろうとしない。
「さっき乳をやったばかりですから、ご心配なく」
 女はそういうと、手を膝において動かない。粗末な着物の胸のあたりに黒いシミがどんどん広がっている。乳は胸元に染み出しているのである。その間にも赤ん坊の泣き方は激しくなる一方だ。マフサの手は、細かく震えていた。

「マフサ。奥に、何かあるのか?」
 立ち上がろうとするのと、「行かないで!」と女が悲鳴を上げるのと、同時であった。

「マフサの言うことを聞いたほうがいいですよ、目差主」
 ジラーの、ねっとりと茶色の顔があった。けばけばと光る真鍮のカンザシ、細い目。その手は小さな籠を抱えている。
 籠の中に、ぼろ布にくるまれた、ひぃひぃ哀れに泣いている小さな生き物。首が据わらぬ、生まれたての赤子である。
「ジラー! 貴様っ!!」
「おっと、寄らないで下さいよ。これが見えないんですか?」
 ジラーは、乾いた笑い声をあげた。包丁を赤子の首につきつけた。
「きさまっ!」
 私がジラーに向かっていこうとすると、マフサが「やめてください、目差主!」と叫び、泣きながら、私の足にしがみ付いてきた。私はしがみ付かれながらジラーに叫んだ。
「お前がイシを殺したんだな。次は赤子を殺すのか!」
「与人主のお心次第です」
 私は、ぼう然としてジラーを見守った。目端の利く、便利な男としか見ていなかった。卑屈なほどに如才ない態度に慣れていた。こいつが居なければ、百姓はまともに言うことを聞かなかっただろう。今、その便利な男は赤子を抱き、冷たい目で私を見ている。
「与人主だけに、この赤子を引き渡します」
「どういう意味だ」
「与人がこの赤子の代わりに死ぬというなら、助けてやる」
「何を阿呆なことを言っている、誰が百姓の赤子のためになぞ!」
 後ろでマフサが息を呑んだ。ジラーが低く笑った。
「あんたに身代わりになれとは、誰も言ってない。だが、与人が来なければ、崖から赤子を投げ落とす」
 言い放つやいなや、ジラーは背中で裏口を押して、小屋から出て行った。
「待て、貴様っ! どこへ行く」
追おうとすると、女がなおも私にしがみ付いて止めるのである。産後の女とも思えぬ、恐ろしいちからであった。
「放してくれ、マフサ」
「どうか、お慈悲を、思左さまにこのことを、お助けくださいと、」
「放せこの、腐れユタが!」
 私は女を突き飛ばし、蹴飛ばした。手加減はしたが、壁に叩きつけてしまった。
「いいか、与人に言うな! もし言ったら貴様をくびり殺す!」
 泣き叫ぶマフサを置いて外に出たが、既にジラーの姿はなかったのである。

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2008/3/15