34
小嶺の語る。
ジラーが崖から身を投げた直後、恐ろしい叫びが聞こえてきた。与人が耳をふさいで、目を硬く閉じた。
崖の下は深い海であるが、その日は大潮で、切り立った岩場が出現していた。ジラーの体は岩場に叩きつけられていた。岩場にはおびただしい血が流れ、足元から打ち寄せる海水が、血を洗う。じきに潮が満ちてきて、海中に没することは必定である。
集まってきた村人に、「舟を出してジラーを助けてきてくれるか」と頼んでも、彼らは互いに顔を見合っているばかりだ。
ためらうのも無理もない、崖の近くは潮の流れが速く、舟もろとも絶壁に叩きつけられる恐れもある。血に誘われたサメに襲われる危険もある。深い崖の下は、サメも回遊している。
「ジラーを拾ってきてくれたものには、焼酎と米一升を与えよう」と条件を出すと、勇敢な若者が手を挙げてくれた。
ジラーは村人に任せ、与人を墓穴から引きずり出した。そのあと、ようやく赤子の父親であるチルクがやってきて、全てが本当に終わったのである。
宿で、与人の傷ついた足を焼酎で洗ってから、ずれた足首の関節を正しい位置に直した。足に力が入らなかった与人は、手当ての後、すぐに立てるようになった。私はジラーの妖術の前に無力であったが、与人の捻挫を治し、体の痛みをとることはできるのである。
そのように手当てしながら、強い恨み言が、喉元まで出掛かっていた。
(赤子のためなどと言って、あなたはもしや死にたがっているのか?)
危うく与人は、ジラーと心中するところだったのだ。
心配はこれからのことだ。罪人であるジラーを死なせた。裁きを受けさせるまで、監視し生かせておくのが仕事であった。われら二人は蔵元からお咎めを受けるだろう。そうなれば、われらは任を解かれ、首里に戻されるか、どこか知らぬ島へ飛ばされるか。
いつまでこうして一緒に居られるのか。
そのとき与人は、あの、優しくも残酷な言葉を口にしたのである。
「お前が死なずにいてくれてよかった。お前は私より長生きをして……私のことを覚えていてくれなければならない」
なんとむごい人なのだろう。私は唸りたい気持ちで、与人の肩を掴んだ。恨み言のひとつも言いたいほどだ。
「一日だけはあなたより長生きしよう、しかしそれ以上はお約束できない」
私は口走り、与人の唇を吸った。与人の手が私の背中に回り、背を、それから尻を撫でた。
気がついたら与人の体を押し倒して裾を捲り上げ、与人の下帯を手の平で包んでいた。そこは既に、はっとするほど硬かった。
時と場合も省みず、その布を毟り取ってしまいたかった。与人は怪我をしている。この下帯を取ったら最後、いつものように、いたわりも見境いもなく犯してしまいそうであった。私は精一杯自制して、与人の膨らんだ前を手で包み、半開きの唇を吸った。
やがて与人は、「これは何の仕返しか。私を焦らして面白いか」と喘いで、熱っぽい脛を私の毛脛に絡みつかせてきた。
「乱暴ものゆえ、優しさを学ぼうとしているのです」
与人は冷たい目で睨む。
「つまらぬことを言うな。乱暴で痛いことをする、お前がいいのに」
もどかしげにそういうと、私の手を掴み、ご自分の下帯の中に導いたのである。私の指が与人のものにじかに掴んだとたん、与人は身をよじって達してしまわれた。汗の張り付いた額、色づいた胸元、潤んだ切れ長の目、そして息遣い。もはや欲情を押さえるのが、途方もない苦行に思われた。
できる限りの努力はしたのである。
優しく、何としても優しくと自分に言い聞かせながら、与人の下帯をそっと解いた。なるべく体を揺らさぬよう、ゆっくりと体を動かす。少しでも激しくすると、傷に響くはずだ。私が激しい動きをしないのを与人は戸惑っているようで、始めはもどかしく動きを促していたが、やがてそれも一興と思ったか。私に貫かれながら、くらげのように柔らかく、正体もなくなり、とめどなく子種を垂れ続けた。それこそ布団も水浸しになるほどに。
情けある言葉を囁いてはくれない。だが与人はその夜、確かに私を愛してくれた。外に何があろうと、与人の腕の中が弥勒世だった。
次を、また次をと求めずにはいられなかった。
汗と吐息と熱気の立ち込めた一番座、互いの腕の中で気を遣り、昇天する一瞬、われわれは人ではなく、獣でもなく、暗い海の底で探り合う貝であった。
「優しさを学ぶとか言っていなかったか?」
あくる日、与人は床の中から、そういって私をからかった。足の腫れは良くなっていた。怪我も血が止まり、化膿する様子もなく癒えかけていた。
「足より尻が痛いぞ」
まったく言い返す言葉もない。結局朝まで情けを交わしたのである。しかし私は疲れを感じていなかった。憑き物が落ちた、確かにそのような気がしていた。ジラーが精魂込めて放ったという生き邪魔は、ジラーの死とともに消えたか、われらの営みの激しさに怯えて逃げてしまったのか。
その日の昼過ぎ、村人の主だったものが数人やってきて、見舞いの花を差し出し、与人を疑ったことを深く詫びた。
それから村人が願い出たことは、娘もジラーも病死とする、すべてを丸く収めたい。その代わりこれからは与人を役人として心底敬い、協力する、ということである。
それでは、今まで敬っていなかったことを、自ら暴露したのである。
だが与人は、怒ることもなく、まったく平然と答えた。
「このことを誰にも言わぬ、墓まで持っていくと、村のものに誓わせるというのなら、いいだろう」
「お待ち下さい、与人。それでは島全体でお上を謀ることになりませんか」
「首里は遠い。要らぬことを言うものは……二度と島から出さなければいいのだ」
与人はそういうと、くすりと笑った。
「われらはともかく、耕作筆者は頭が固いのです。こんなこと、承知するかどうか」
与人の目がすっと細くなった。
「波平良筆者か。実に邪魔だな。酒に酔って海に落ちたことにするか。どうだ?」
それを聞いた村の男の目が、鋭く光った。非常にまずい、実行しかねない。
「与人、いけません!」
すると与人は、白い喉をのけぞらせて楽しそうに笑った。
「冗談だ。だが、私を疑って村のものを煽ったのだから、耕作筆者も無傷ではいられない。そういって納得させろ。ただ、ひとつだけ頼みがある。村の慣わしが許さないのは承知しているが、曲げて頼みたい」
「何でしょう」
「母の遺骨を掘り出し、洗い清めさせてくれ」
村のものは困惑して、互いに顔を見合わせた。
「骨を洗うのは女の仕事です。与人主は、奥様がいらっしゃらない……」
「私がするのだ」
なんとも掟破りである。男が骨を洗うなど前代未聞だが、与人はもう、誰が止めても聞かなかった。
その夏の収穫は、かってない豊作となりそうであった。与人が船の上で祈念したとおり、御用米を差し出してもまだ足りるほどの収穫である。そのため村の雰囲気は大変穏やかで、変わり者の与人が何をしようが、騒ぎ立てるものはいなかった。
ある日、与人は白い着物を着て、うやんま墓に独りで向かったのである。
このような場合、縁続きでないものが手を出したりしたら、悪いことが起こると言われている。同席も許されない。だから本来、私は同行を遠慮するべきであった。
しかし、母の墓を掘り返すという恐ろしい行為を、与人一人にさせるのは忍びない。桶に水を一杯入れて、後を追ったのである。
果たして与人主は難儀をしていた。力仕事をしたことのない人間には、土を掘り起こすのさえ容易ではなかった。
「お手伝いいたす、その鍬を貸してくだされ」
そのときの与人の驚きようたるや、腰を抜かさんばかりであった。
「この阿呆、来るなと言ったのに! 災いが降りかかるんだぞ!」
「拙者は思左さまの嫁ですからな」
「ヒゲ面をして誰が嫁だ、いつも私を女のように扱うくせに、」
「そう怒りなさるな、母上の前で」
私は難なく与人から鍬を取り上げ、土を掘り返した。そこはもっとも崖に近い場所、ジラーに手を引かれた与人が踏み抜いたところである。墓標もない、誰もそこが与人の母の墓とは教えてくれなかった。ジラーがウターの幻を見たのが、唯一の根拠である。
木の棺はとうに腐っていた。土にまみれた紺地の着物が見えた。そして、少し触れただけでばらばらになる布の間に、骨らしきものが見えた。
「辛かったら向こうに行っておいでなさい」
だが、与人は黙って首を振る。だから私は、覚悟を決めた。死んでも取り乱すまい。それから慎重に鍬を使い、最後は手で土を掻き出し、ようやくにして、泥にまみれた頭蓋骨を見つけ出した。
その女人は、一片の肉も残さず、見事に骨だけになっていた。髪や肉も残さず朽ち落ち、首の骨も一部は、すでに溶けて無くなっていた。こうして掘り出されることを知っていて、見苦しくないよう準備をしていたかのごとく、全くの骨だけであった。身元を示すような遺品は何もない。それが与人の、与那城里之子の母であるという根拠は、無いのである。
だが、水で薄めた酒で泥を洗ううちに、この顔は触れたことがある、という感覚があった。華奢な骨組みの、細面の顔。細い鼻筋……。
慎重に洗い上げた頭蓋骨を、そっと与人に手渡した。
「母上」
与人はつぶやくと、骨をそっと胸に抱きしめ、嬰児のように体を丸めた。私は、小さくなった与人を抱きしめた。
われらは、とうとう、一つになった。
閨で感極まる以上に固く結ばれた、と思ったことだった。
2008/4/20
波類間ユンタ35
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