36
小嶺の語る。
朝の空は既に群青色に晴れていた。
わが波類間の遠見台から、高く狼煙が上がっている。船着場は既に村人が総出で出迎えて、その中に頭一つ背の高い与人と、マフサが並んで立っていた。
「ご苦労だった」
先に声をかけたのは与人だった。また少し痩せた気がした。おまけに結った髪が濡れて、襟にまで水が浸みていた。
「髪を洗われたのか」
「浜下りをした。夢見が悪かったのでな。お前が無事に戻ってきたからよかった」
胸が締め付けられた。頬も、また日焼けをしている。
「わしごときのために、」
そういったあとは何も言えぬ。どうしたらこの方を守れるのか。与人は「何をメソメソしている? 今日はめでたい日なのに」と笑い、やがて船のほうを見やった。
「船も無事だな。行きも帰りも順調か。……それにしては人が増えているが」
そういいかけて言葉を切った。船から下りてくる薩摩人たちをじっと見つめている。坂口啓次郎は露骨に与人を睨み返したが、与人は軽く会釈を返したのである。
驚くほどに冷静であった。
「薩摩の皆様は何ゆえにここへ?」
「帰る途中、船が壊れて難儀しているので、拾ってまいりました。全部で5人います。薩摩侍が二人、坂口殿と、山下玄庵どの。あと三人は石垣島に住み着いている、薩摩人の船乗りです」
「薩摩船はどうした。沈んだのか?」
「帆柱も折れた状態で手の施しようもなく、捨て置きました。恐らく沈むものと……。何日も食っていないというので、念のため、水だけを与えています」
「それでいい。飢えたものに、急に飯を与えると命を落とすという。あと数刻したら、ごく薄い重湯を与えよう。寝るところは……そうだな、私の宿の
離れ座敷に泊まっていただこうか」
「それは、なりません」
私は思わず声を荒げた。
「与人のお宿に居候させるなど、とんでもない、流行り病を持っているかもしれません。村はずれに急ごしらえの小屋を建てて、隔離すべきです」
私は、現に自分が『居候』であるのも忘れていた。
与人は首を振った。
「その必要はない。薩摩の方といっても、石垣島からおいでになったのだろうし」
そして、突っ立っている坂口啓次郎に向かい、こう問いかけた。
「このようなところで会うのもご縁。どこへ行かれる途中だったのか?」
「波類間へ」
坂口は、吐き捨てるように甲高く答える。与人は動じない。
「何もないこの島に、何の御用があって……」
「貴様に用がある、与那城里之子!」
甲高い声。細い目に走る殺気。私は反射的に身構えて、与人の前に出た。だが与人は動じなかった。
「私ごときのためにですか。それなら尚更、無事でよかった。田舎で何もないが、くつろいで行かれよ」
薩摩の若い男の、歯軋りする音が聞こえるようだ。
「今若松の、お久しぶりですな」と山下玄庵が割り込んでこなければ、坂口は本当に刀を抜いていたかもしれない。この大和の医者は、一見柔和な物腰をして、「我ら、見てのとおり漂流して行き暮れております。とりあえず休ませていただければ有難い」と丁重である。
そのとき、いつの間にか居なくなっていたマフサが、ジラーの寡婦を連れてきた。彼女は「どうかうちに泊まってください」とわれらに申し出て、薩摩の侍たちを伴っていったのである。去り際に、ジラーの妻は身を二つ折りにするほど深く頭を下げた。
「よく承知したな、あのようなことがあったのに」
マフサは「気がまぎれるから却っていいんです。それに、供養のために是非にと言ってくれたので」と答えた。確かに、マフサが頼んでいっただけのことはある。ジラーの寡婦は、手際がよかった。また、百姓役目をしてきたので、什器や夜具なども役人の家より揃っていた。それ以上に、『夫の罪滅ぼしに』というのは本心かららしく、寡婦は骨惜しみをしなかった。
とはいえジラーの妻に全て押し付けるわけには行かない。私と与人は漂流人の食する米を提供し、年配の女たち数人で手伝わせた。若い女を行かせて、よそ者と面倒を起こされては困るからである。
「客人としてもてなす」と与人は言った。その言葉に違わず、翌日から出かけていって、不自由がないか気を配った。しまいに、酒と三線を携えていった。そして、離れ座敷の縁側に腰を掛けて、三線を弾いて歌ったのである。
坂口啓次郎は離れ座敷に座して、にこりともしない。
大和医師は手拍子を送ってくるが、愛想が良すぎて気味が悪い。中庭に座って、喜んで聞いているのは、薩摩の船乗りたちだった。そのうち与人が薩摩の歌を弾いたのか、船乗りたちは喜んでいっしょに唄った。
男たちの酒臭い息の中で、与人は歌った。大和医師が「踊ってくださらぬか」と言うと、与人は手巾で髪を覆い、扇を開いて、大和の踊りを踊り、大和の歌を歌った。
薩摩の船乗りが何か言って、それに皆が笑った。下品な冗談であろう。いやらしい目で与人を見るのである。嗚呼、こうなるのは目に見えていたのに、なぜ止めなかったのかと思う。
「里之子にはまったく敵わない。また色香を増しましたな」
酔った大和医師の軽口にも、坂口啓次郎が、ちらちらと見ているのも腹が立った。帰り道にたまりかねて、要らぬ小言を言い出したのだ。
「一肌脱ぐとは言いますが、やりすぎです」
「客人に、機嫌よく居てもらうためだ。退屈して暴れられたら困るだろう」
「誰が客人ですか」
在番奉行のお供でもない。何もない、薩摩人が物見遊山で来るようなところではない。
「啓次郎は、私に会いに来たんだ」
「だから何のために!」
与人の日焼けした頬を、夕日がいっそう赤く照らしていた。
「わからぬ。どうしたら気持ちがほぐれるんだろうな。怒っている。だが何かを言いたそうでもあり、何をしたいのかわからぬ」
そういってため息をつく。
「明日も行かれるのか。次は何をなさるつもりか。もう、化粧でもして女踊りでもなさるしか」
「おお、それもいいな。ついでに啓次郎の手でも握ってやろうか?」
「やめてくだされ!」
私は激高し、与人は冗談を言いながら、あくまでも冷静だった。
「何かあったらお前が盾になってくれ。だが守ると称して、お前が一番好き放題しているよ、カマデー」
里之子は、声をたてて笑った。やがて笑いをおさめて、静かに言った。
「お前には嫌な思いをさせた。だが、私にはこんなことしか出来ない。許してくれ」
ぎゅっと心が痛くなる。私はそっと顔を寄せて、与人を抱き寄せた。与人が「坂口どのが来た」と私を押し返すまで、夢中になってしまったのだった。
後ろに、まるで幽鬼のようにひっそりと、坂口啓次郎が立っていた。
与人は冷静だった。そのような状況でも、悪びれもしない。
「坂口殿。どうなさった?」
啓次郎は「落ちていた」と言い、与人の目の前に草色の匂い袋を差し出した。風に乗って、ゆかしい匂いが広がった。与人の、袖の香りである。
「すまない、届けてくださったのか」
坂口は、静かに「いいのだ」というと、きびすを返して去った。
波類間ユンタ 37
2008/5/16
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