4
小嶺の語る話
暑い日で、阿壇が道に落す影はありがたかった。 とはいえ木立はまばらで、葉陰を選んで歩いても、いかほどの涼も取れない。
着物の中は、初めから汗みどろだ。 汗をかき、また乾き、ひどい状態だ。 袖の中に風を通しても、襟足に風を入れても暑い。 上役の前でなければ青い冠など脱ぎ、肌脱ぎになって歩きたかった。
上役は、暑い中でも澄まして歩いていた。
(暑さを感じないのではないか)
人形のように整いすぎた、白い顔。
黒の、薄い芭蕉布の着物の下に、上等の白い麻襦袢が透けている。 暑さどころか、体温も感じさせない、涼しげないでたちだった。
だが、私たちが歩くと、百姓らが野良仕事の手を止めて、畑の中で、あるいは道端でひれ伏している。 子を背中に括り付けられた小娘も、大人たちと同じように頭を地面に擦り付けている。
皆、裸足で、痩せこけている。
首里から着任したばかりの上役は、そんな百姓をちらりと見ては、すぐに目を伏せている。 やはり心が痛むのか、それとも単に、百姓の貧しさが怖いだけかも知れぬ。
私とて初めは、ここの島人たちの様子に狼狽した。 ちゃんと税を納めさせられるとも思えなかった。 若い与那城殿はなおのこと、戸惑っているのかも知れぬ。
だがこの島で居る限り、慣れてもらわねばならない。
「与那城殿、あまりご心配なさいますな。 与人主が税の取立てをして歩くことはありません。 それは耕作筆者や、私が致しますので。 ……ほれ、あの向こうに見える家がジラーのものです。
大昔は士族の家であったとか。 なかなか目端の利く百姓ですよ。 ジラーの所有する田畑がこの島では……」
聞いていると思いきや。
与那城殿は私を置いて、ずんずん歩いていくではないか。
そして、道端にひれ伏す女の前に立ち、優雅に体を屈めた。
(さすが舞の名手というだけあって)
なんとも優雅な身のこなしである。 だが感心している場合ではない。 与那城殿は白い手を伸ばし、ひれ伏していた女の肩に触れた。
一連の動作は、あきれ返るほど優雅だが、やっていることは露骨だ。
(おい、いきなりかよ)
キレイな顔をして、来た早々、賄い女を物色するような男とは思わなかった。
「私の名は与那城若之子久長、童名は思左(うみざ)と申します。 どうか、お顔を見せてください」
それは丁重かつ、優しい物言いで、自分より目上のものに話しかける声音であった。
女は恐れ戦き、「ひぃ、お許しを!」と叫びながら、頭を地にこすり付けた。 哀れなのは女だ。 サムライに丁重にものを言われたことなど、あるわけがない。
おそらくは、言われていることの半分も理解していないのだろう。
「何も怖がることはありません、お願いです、お顔をあげてください」
与人主は必死だ。 懸命に顔を覗き込もうとして、自分も土下座をするような格好になっている。 酔狂を通り越して、狂気の沙汰である!
(やはりわしは、この方の『お守』なのだな)
これ以上、見苦しいマネを演じさせるわけにはいかない。 私はため息を一つつくと、大声を上げた。
「女、与人主の御命令だ、さっさと顔を上げろ!」
女は弾かれたように顔を上げた。
いや、実に驚いた。 美しくもない、若くもない。 与那城殿の倍は歳を取っていそうな、疲れ切った農婦であったからだ。
その農婦が、ぽかんと口をあけて与那城殿の顔を見つめていた。
与那城殿はじっと農婦の顔を見つめ、やがて肩をつかんでいた手を放した。
「驚かせてすまない……許して欲しい……」
力のない声でそういうのだ。 さぞガッカリしただろう。 美女と思ったら、昔の美女だったのだから。
「与人主、行きましょう」
私は与人主の腕をつかんで、引っ張った。 これはもう礼節を云々している場合ではない、これ以上の醜態は見るに耐えない。
いや、もう遅い。 今日中には、「今度の与人は頭がイカレている」という噂が流れていることだろう。
「与人主、もう屋敷に帰りましょう。 お疲れのようですから」
だが与那城殿は強情に首を振った。
「この島で、最もよい田畑を見たい」
ますます訳が分からぬ。
女を物色しようとして恥を掻いたと思ったら、田畑を見たいだと。
来た早々、上田を我が物にしようというのではあるまいな。
「村外れで、遠いですが。 与人主は御気分が悪いのでは?」
「構わぬ。 すぐに案内してくれ」
与那城殿の、恐ろしく白い顔色が気になったが、本人が意地になってそういうのなら、その始末は自分で付けるがいのだ。
私は御意に従うだけだ。
(倒れても、もうわしは知らん。 おなごでもあるまいし)
そして、言われるままに、上役を村はずれの田まで案内した。 何故村で一番の田かというと、すぐ近くに泉があるため、水に恵まれていたのである。
その傍らには、若い男と老女が二人で、田の草取りをやっていた。 ここだけは陸稲ではなく、水稲である。
畦には豆が茂っていた。 見事なものだ。
「この田んぼは、ジラーのですよ。 さっき家を紹介したでしょう。 目端の利く、なかなか頼りになる男です。 あの二人はジラーの小作人ですがね」
「この田が、ジラーとやらのものになる前は? 前の持ち主は」
「さあ」
私は首を傾げた。
ジラーの前に、ここが誰のものだったのかなど、興味を持ったこともなかった。 要は年貢を納めてくれたらいいのだから。
「ずっとジラーのではないですか?」
与人主は私が知らぬのを見て取ると、今度は田の中の男に近づき、問いただした。
「この畑だが、ジラーの前は誰のものだったのだ?」
すると男は頭を上げて、頼りなく答えた。
「オレは知りません。 オバアなら知ってるかも。 な、オバア? 知ってっか?」
老女は「前の持ち主は、ウターでした」と前置くと、長々と話し始めた。
「ウターっていう娘は、キレイな娘でねぇ。
首里から来た若様のお手がついて、男の赤子を産み、そのご褒美に、村で一番良い田んぼを頂いたんですよ。
それがここ。 そのころちょうど、ここに泉が湧き出しまして、日照りの時も涸れもしないのです」
首里から来た旦那の子を産んだ女。 つまり賄い女、島の妻である。
「ウターは父親の知れない娘でしたが、色の白い、働き者でねぇ。 村の二才らも狙っておったけれど、よかんちゅの若様には勝てやせんです」
「そのウターの田が何故ジラーのものなのだ。 ウターは息災なのか?」
与那城殿は、そういったとたん、手で口を覆った。
そう、無事なわけがないではないか。 元気なら、田の持ち主はジラーなどではない、今でもウターだ。 与人も同じことを思ったのだろう。
頭に被っていた赤い冠を毟り取り、それをさらに手で握り潰している。
「与人主」
声をかけたが、与那城殿は、私を完全に無視した。
老女は、さらに話し続けた。
「首里にいる奥方には、子供がいなかったのかねえ。
お子は首里にもらわれていって、ウターはこの良い田んぼの他に、後々楽に暮らせるようにってねぇ。
他にもいろいろ若様に頂いたそうですよ。 果報なおなごと羨まれんですが……」
「ウターは、今、何処にいる」
与那城殿の声は掠れていた。
さすがに鈍い私にも、嫌な感じがしていた。 これはただ事ではない。 この婆さんのおしゃべりを止めさせて、この若造を屋敷に引きずって帰るべきだ。
「家の中でハブに噛まれて、一人で亡くなっていたそうですよ」
足元に、いつの間にか赤い冠が落ちていた。 私はそれを拾い、与那城殿に手渡した。
与那城殿はそれを受け取ると、「ウターか。わが母の名を初めて知った」とつぶやいて、案外しっかりした足取りで歩き始めた。
そうして歩きながら、うわごとのようにつぶやいた。
「ここは、わが生まれ島だ。 ここに来さえすれば、会えると思っていた。
待っていてくれると言ったのに、情けない。
なんと甲斐のない……」
阿壇の向こうに海が見える。 世界は照り輝いている。
だが与那城殿は、儚げにくすんでいた。
「ここは何もない、何の意味もない、私と同じ、空っぽだ」
与人の顔が歪んだ。
「与人主、甲斐のない命などありましょうか?」
私は人の涙が苦手だ。 与那城どのの涙も見たくなかった。
「与那城殿はたった今、母上のお名前を知ったではありませんか。 名を呼んで供養してあげられるじゃないですか。 意味のないことなど一つもないんですよ」
与那城殿は、じっと私を見つめている。
「前に進まねばなりません、与那城殿。 今はこんなところの与人でも、これから功を上げて、奉行にもなりなされ、お家の跡継ぎを残しなされ。 それが供養になるのです。
女々しく嘆いている暇はないですぞ」
奇妙だった。 自分が妻や、子のことを忘れられないのに、自分が、まだそんな前向きな気持ちにもなれないのに、他人を励ますことは出来るのだ。
気がつくと、与那城殿の手が、私の肩にかかっていた。 熱弁を振るううちに、いつの間にか近寄られていたらしい。
「やはり小太郎そっくりだ。 真っ直ぐなところも、説教をするところも……私を泣かせてくれぬところも」
誰ですかと、問い返す間もなかった。 与人殿の顔がすっと近づいてくる。
黒い目がほんの目の前にあり、私の口に息がかかるほど近くに、与那城どのの口があった。
逃げられない。
「何をなさる」というまもなく、唇を塞がれていた。 歯がかちりと当たった。 柔らかい唇だった。 「カマデー」と囁き、今度は舌を吸われた。 その舌もまた、柔らかかった。
腕力では誰にも負けぬ。
それが、口を吸われただけで打ち倒されるとは、それも白昼、野良道のど真ん中である。 いったい何人に見られたのか、見当もつかないことだった。
波類間ユンタ 5
若者小説
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