| 波類間ユンタ |
5
小嶺の語る話
与人は私を放し、切れの長い目で私を見つめた。
「目差主」
逃げるしかなかった。
左右に百姓がひれ伏していたかどうかも知らぬ。面を上げて、愚かな我等を哂っていたかもしれぬ。
ガジュマルの木が揺れていたか、高い空に鳥は飛んでいたか、何ら記憶にない。
自分の家の中庭に飛び込み、井戸へと直行する。脳が沸騰しそうである。
(いくら上役でも、許せぬ!)
許せない。貴人とはいえ、ひとまえで部下を辱めて良いわけがない。
私は井戸端に走り、帯を解いて着物を放り投げ、頭から水をかぶった。
だがいくら水を被ろうとも、与那城殿の柔らかい唇の感触が、歯の硬さが、私の腕をつかんだ指の感触が、底光りする目の色が。
嗚呼。
「あのう、旦那様」
振り返ると、小娘が居た。手には小さな籠を握り締め、怯えきっている。
間が悪いことだ。
私は慌てて、脱ぎ捨ててあった着物を羽織った。都合の悪いときに、来てくれたものだ。
「何の用だ」
すると、小娘は消え入りそうな声で、用向きを述べ始めた。
「あの……ジラーさんが……生姜と、芋の茎と……こ、昆布を借りてきてくれと……与人主のお館で、お祝いのご馳走作るんだけど、足りないから、って」
「食材なら、勝手に取っていけ。ただし場所は知らんから、自分で探してくれ」と答えると、小娘はぴょこんと頭を下げ、台所へ入っていく。次に現れた小娘は、籠にいろいろな食材を盛り上げていた。
私の横を通り過ぎるときに生姜を落としたが、気づかず歩いていこうとした。
「おい、ちょっと待て」と呼ぶと、娘は「アキサミヨー!」と叫んで、慌てて逃げていった。
「おや、目差主」
「よ、与那城どのは……」
「とうに戻っておいでですよ。疲れたといって奥で休んでおられますが、おや、どうしました。そんなに赤くなって」
私は「赤くなってなどおらん」と切り返したが、全く嫌な世の中だ。この世の全てが恨めしい。
「うちの小作人の小娘が、わんわん泣きながら帰ってまいりましてな」
ジラーはにやりと嫌な笑い方をする。
「目差主が、山の芋のようなのを振りたてて、迫ってきたと」
「はあ?」
「手篭めにされるかと思ったと言うておりますが、まことですか」
山の芋のような。手篭めにされる。……私は頭を抱えそうになった。
あの娘。
見てないようなふりをして、しっかり見ていたのだ。
それにしても山芋とは、言いすぎだ。そんな巨大なもの、私は持っていない。与那城どのに驚かされたせいで、いつもの状態じゃなかったけども、それはあの小娘には関係ない。
それはともかく、「山の芋のようなの」を振りたてて迫ったなどと、言いがかりもいいところだ!
何から弁明しようかと迷っているうちに、ジラーはますます図に乗ってくる。
「お若くて元気があり、いやまったく、羨ましい」
「いや、違うのだ。水を浴びていて、そこへあの小娘が入ってきて、生姜を落としたから!」
「恥じることはありません、目差主も若いのですからな。いつまでもお一人では……前の与人殿も心配なさっていましたぞ」
ジラーはそういうと、私の背中を叩き、「我慢しすぎると体に毒です」とささやいた。馴れ馴れしい男だ。
「あの娘、器量はまずまずだし、気立てのいい娘です。お気に召したのなら、私が言い聞かせて目差主の家へ飯炊きに行かせましょう」
「やめてくれ。あんな小便臭い小娘に、誰が欲情するか!」
そのとき、音もなく障子が開き、凛とした声が響いた。
「何を騒いでいる」
与那城里之子だった。心臓が止まりそうだ。
「部屋の片づけに手間取っている。手伝ってくれないか?」
与那城殿は何事もなかったように、事務的に命じてきた。
私は嫌々ながら、与那城殿について奥の部屋に入ったが、「片付けに手間取っている」ようすでもない。
部屋は既に片付いていた。
ごく控えめな螺鈿を施した、漆塗りの衣装箱がまず目に入った。これも漆塗りの文机に、書物が何冊か、綺麗に積み重ねられていた。
床の間には、見事な三線が立て掛けられている。
上役は床の間の前にきちんと座ると、私に声を掛けた。
「ここに座ってくれ、小嶺どの」
非常に真剣な表情をしている。私は上役の下座に、畳一枚離れて座った。
「先程は、斬って捨てられても仕方のないことをした」
与那城殿は、今は冠をしていない。小さな髷から、髪挿しの切っ先が覗いていた。
「小嶺殿は、私の古い友人に……様子がとてもよく似ていて、つい血迷った。侮辱するつもりは全然なかったのだ。どうか許して欲しい」
そういって、深く頭を垂れる。白い手を膝の前に置き、私に頭を下げたのだった。
後ろ髪と細い首が見えるほどに深々と、である。
こんなことをさせてはならない。
「頭を上げてください。私は気にしておりません、本当です。そんなつまらぬことで、部下に頭を下げたりしてはなりません、里之子」
そう、つまらぬことだ。
私もみっともなかった。いい年をした大の男が、あの小娘のように逃げ帰ったのだから。
「私のほうこそ、道案内を放り出して、帰ってしまいました。与人主の事情を見ていたのに、人として、あまりに心無い振る舞いでした。お許しください」
与那城殿はあまりに辛くて、それから逃れようとして、「友人」に似た私に手を伸ばしただけだ。友人とはいえ、血迷って口を吸おうというのだから実際は念兄か。どちらにしても、私には、その「友」の代わりになって差し上げることはできない。
だが、縁あって一つところに職を拝したのである。
与人がここで勤められるように、手を差し伸べるのが、私という部下の務めではないか?
「私は、与那城どのの補佐役ですから、困ったことがあれば何なりと、御相談ください。これからこの島で、ともに頑張りましょうぞ」
与那城殿は、それでようやく頭を上げてくれた。
「これからもよろしく頼む」
私は、与人どのの顔色が晴れたので、ほっとしたのだった。
波類間ユンタ6
若者小説
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2007/03/11