波類間ユンタ  


小嶺の語る。

織小屋はジラーの家のすぐ横にある、安普請の家である。
そこには選ばれた織り上手の女たちを閉じ込め、首里に納める布を織らせている。昼でも戸を立てまわし、暗くした中で、女たちは細かい仕事をしているのである。
戸板の僅かな隙間から、声を合わせた歌声が漏れてくる。あの唄にあわせて女たちが機を織っている。

女ばかりの小屋を覗くのはいつも勇気が居るが、仕事なればそうも言っておられぬ。進捗状況を見るために、中の仕事の様子を確認しなければならない。先の与人なれば臆面もなく踏み込んだであろう。

気がつくと、歌声が止んでいた。なにやら叫び声が聞こえてくる。
何か異変が起こったらしい。私は急いで小屋の中に入った。
並んだ機の一つの前に、人が倒れていた。小柄な、まだ若い女である。
「おい、大丈夫か?」
私は地機から女を引きずり出して、頬を叩いた。女は薄く目を開けたが、また閉じた。
だらりと前に垂らされた、小さな手。
全部の指と手首と、手の甲にびっしりと施された針突き(ハジチ)()
最後に、痛々しく膨らんだ腹部を見たとき、目の前が真っ暗になった。

私の腕の中に妻が冷たくなっている。
(まただ。これは夢だ)
わかっている。気の迷いだ。だが、抵抗できない夢だ。
妻の名を呼ぶ。美しいハジチの手を撫でる。だが、大きく膨らんだ腹はびくりともしない。。

何故、妻の腹を切り裂いてでも、子を助けてやらなかったのか。私はこの闇にどんどん落ちていって……。


「目差さま」
控えめな声が何度もして、最後には肩を揺り動かされた。どのくらい放心していたのか……。織女はまだ意識がない。私の腕の中でまだ気を失っている。
(マブイ)()を落としております。目差主」
少し年配の機織り頭だった。『お前もマブイを落としたのか』とでもいうように不審そうに私を見ている。

「家はどこだ? 家に運ぼう、ここでは助からぬ」
織り頭の女はほっとしたように答えた。
「案内します」
私は倒れた女を横抱きにして外に出た。
案内されるままにかなり歩いて、坂を上り、土間に藁を敷いただけの粗末な小屋についた。
藁の上に女を下ろすと、裾がはだけかけた。その合わせ目を直してやり、立ち上がった。年寄りが飛び出してきて、アイアイアイと泣き叫んだ。
哀しいのか、私が怖いのか、両方だろう。
「織り小屋で倒れた」と言った。だが年寄りはすっかり取り乱し、私の言葉など聞こえては居ない。
私は懐から金を出して、ついてきた織り頭に握らせた。
「これでユタを呼んでやれ。いいな、わしが渡したことは誰にも言うなよ、誰かに言ったらお前を殺すぞ」
織り頭は怯えたように何度も頷いた。

出来ることは、何もない。
医師はおらぬ。いかに王府が嫌おうとも、この薬もない田舎では、病になれば神頼みしかないのだ。
外に出れば、容赦なく日差しが照りつける。世界は灰色をしている。全てが空ろに見えた。


その夜、何か具合が悪く、飯の後で横になっていた。風もなく寝苦しい夜だった。
夜半ごろに、笛の音が聞こえた。誰が吹いているかは直ぐに分かった。この島に来てから、音曲の類を聞くのは初めてだったとなれば、吹いている人物は一人しか居ない。
夜に笛を吹くのは良くない。私は立ち上がり、酒を持って家を出た。

与人は、はたして庭に居た。庭でしゃがみこむようにして、一人で笛を吹いておられた。私に気づき、笛をおろす。
「与人どの。夜に笛を吹くのはよくありませんよ。良くないものを呼ぶと申します」
与人は黙って顔を伏せた。足元に焚き火の跡があった。
「何を燃やしておられたのですか?」
与人は少しためらい、こういった。
「文を。人から貰ったのやら、出し損ねていたものやら」
たった一人で手紙を燃やすとはどういうことなのか。まるでこの世に未練をなくしたようで、感心しない。
私は与人と並んで座り、杯に少し酒を注ぎ、与人に渡した。
与人はそれを一息に飲み干し、唐突に言った。
「おまえは夫ある織女に言い寄り、ハジチの手を撫でさすったそうだな。さらには抱き上げて、坂道を走ったと聞いた」
私は言葉を失った。与人はさらに情け容赦なく断罪をなさるのである。
「その前には、ジラーの雇い人の小娘にも言い寄ったと聞いている。女であれば誰でもいいのか、ふしだらなことだ」
「違います! 言い寄ってなぞおりません! 小娘には、水浴びを見られて驚かれましたが、それだけのこと」
だいたい、水浴びをして身を冷やさねばならなかったのは、与人主のせいではないか。
恨み言を飲み込んで、「小娘も、織女も、御主のものであります」とだけ言った。

厳しい目で私を見ていたが、やがて与人は低く笑った。
「からかってすまない。しかし首里の男が島で女漁りなど、珍しくもないだろうに。私とて、そういう所業の結果、世に生まれたのだから、人が何をしようが本当は非難する身ではない。ただ、お前が堅物なのには驚いた」
からかうような声である。
「堅物というのではないのです。どんなに儚い縁でも、結ぶほどの気力も、勇気もないのです」
「失うのが怖いか」
与那城殿の声はどこか湿りを帯びて、包み込むように優しかった。私よりずっと若いのに不思議であった。
「やっとの思いで、浮世を歩いているのだな。私と同じだ」
この人に話してみたい。この人なら、私が弱虫であることを知っても、笑うまい。

静かな夜であった。群れ星は私たちを真上から見下ろし、遠くから波の音が響いていた。
「織り小屋を見回りに行ったときに、ちょうど機織り女が倒れて騒ぎになっておりました」
与那城殿は「うむ、そうらしいな」と優しく促した。
「マブイを落としたようで、一向に目を開けません。身ごもっている女で、産み月も近いのでしょう。たいそう腹が膨らんでおり……それを見ていると、目の前が真っ暗になって、ああ、このまま死ぬのだと。赤子も、一緒に死んでしまうのかと思い、」
私は杯を握り締めた。
「拙者の妻は、身ごもっているときに、急な病にて死にました。それを思い出し、つい取り乱しました」
否、思い出す、という次元のことではない。いつも考えている。考えずには居られぬ、面影が目の前にちらつき、苦しくてたまらぬ。私はいつか顔を手で覆っていたらしい。
だが目を覆っても、面影は追ってくるのである。
「首里を追われ、この島にやってきたものの。立ち直るどころか、このありさまにて。わしは、女々しい男です。どうか笑うてくだされ」
与人は、笑わなかった。
「おまえの心には、今も女房が住んでいるのだな。私など、死んだら直ぐに忘れ去られるだろう。お前の女房がうらやましいな」
おまえの女房がうらやましい。与人はそう繰り返した。

「思ってくれる方はいるでしょうに。あなたが知らぬだけです」
「そういう奇特な人は、みんな、私を置いて、先に儚くなってしまうのだ」
そういうと与人は、無防備に体を預けてくる。息がかかるほど顔が近くなる。そうして冷たい手を、私の左の胸にあてて、こう囁かれた。
「もし私が死んだら、私もここに住まわせてくれるか?」
そういって指に力を込める。かすかに痛みが走った。

「与人主は拙者より若いのです。拙者よりは、長く生きられましょう」
私は掠れ声で答えた。すると与人は、さらに手に力を込めた。胸の肉を掴んで、引き剥がして、その下の心を求めようというのか。

「人は儚い。お前なら知っているだろう?」
切れ長の目が、底無しの泉のように暗く光っていた。
「私は七つから家がない、親もない。この世の何処にも行き場がない。おまえの心は広そうだ。小さな隙間くらいあるだろう?」
冷たい手の平から、魂が吸い取られていくようだった。

「与人主が家なしなら、拙者は乞食以下でしょう」
与人はそれには答えを下さらない。仕返しのように、手を腹まで撫で下ろそうとなさった。慮外なことだ!
私は反射的にその手を掴んだ。指が長い。そして、ひんやりと冷たい。着物に覆われた胸も、このように白く、なめらかで、冷たいのだろうか。

「居場所がないどころか、与人は既にこの胸に住んでおられる。御安心を」
そう言ってしまってから、慌てて言いつくろった。
「大切な上役ですから」
与那城殿は小さく笑い、歌を吟じられた。
「男生まれても恋知らぬものや、玉の杯の底も見らぬ。お前のことだ。本当につまらない」

家に帰り着いてわが胸を見おろす。
胸の表面、黒い毛の繁る間に、かすかに与人の指のあとがついていた。
わたしはそっとその後に手を合わせてみた。武芸の稽古で痛めつけられるのとは違う痛み。妙に甘い、慕わしい痛みであった。

波類間ユンタ9
若者小説
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2007/5/6