| 波類間ユンタ |
9
小嶺の語る
翌日、畑を見回っていると、波平良耕作筆者が寄ってきた。
「小嶺どの、ちとお話しが」
焼けた額に汗が浮かび、太い眉毛が八の形になっている。筆者がこういう顔をするときは、何か困りごとが起こったときである。
「どうした?」
波平良は周りを見回した。
「今朝より姿が見えないものがおります」
全身がさっと緊張する。
「欠落(島抜け)したのか?」
「わかりません。妻や老母は家におります」
「探そう。人を集めろ」
「しかし、目差どの、もう少し待てば、行き場がなくて、戻ってくるかもしれません」
「それでも罪は同じだ。島抜けには変わりがない。恐れ入りましたと一筆書かせたのでは済まされぬ」
耕作筆者はもう顔色が青ざめている。
「安心しろ、重罪となればここでは裁けぬ。石垣へ送るのだから、わしらが裁くことはないさ」
さて、いなくなった男の家は、以前、倒れた織女を運び入れた家だった。出迎えてくれたのは老女のほうで、例の若い女は奥の暗がりで臥せっていた。波平良は、女が慌てて起きようとするのを制した。
「家にある食い物が減ってたりしないかい? 粟でも芋でも」
老女は必死に首を振った。
「舟は持っているのか?」
彼らはこれにも首を振った。舟で逃げないのなら、深い山のないこの島には、隠れる場所とてない。
「小嶺殿、とにかく二人で探してみませんか。見つからなければ、公にして探すしかないですが」
今すぐ戻ってくれば、鞭打ちくらいで済ませられる。
それから、私と波平良は手分けをして男を捜すことにして、私は海岸のほうに向かった。波打ち際の磯を歩いていると、木の枝に、黒い芭蕉布の着物と赤い冠が、無造作に掛けられているのが見えた。
もちろんこれは与人主のものである。何事かと辺りを見回す。
引き潮の磯で、まだ成人しない若者らが魚を取っていたのだが、その中に見慣れないものが居た。
ひときわ白い若者。カラスの群れに、一羽だけ鶴が混じっているかのような奇異さである。
ひょっとしなくても与人だった。魂を落としそうになったことだった。
「与人主っ」
与人は聞こえなかったらしく、私には目もくれない。次の瞬間、魚をつきたてた銛を、高く頭上に掲げていた。
かなり大きな魚だ。
「すごい、これで5匹目だ!」
童らが歓声を上げた。
そのときの与人は、私にはけして見せない、屈託のない笑顔を浮かべていた。
「何をなさっておいでです!」
このときようやく、与那城里之子は私を見た。
「魚を取っている」
「言われなくともわかります。与人、お立場を省みない振る舞いは!」
与人は「私はもう楽童子でも舞い方でもない、もう日焼けを気にしなくてもいいから、存分に焼くのだ」と答えた。
「いいから上がって来てくだされ」
「いや、潮が満ちてくるまでには間がある」
どこまでも会話がかみ合わない。
「では好きなようになされよ、与人」
私は苛々と言い放つと、与人の着物をひっ掴み、抱えて歩き始めた。
「待て、小嶺! それは私の着物だ、待て!」
与人はそう叫び、水からあがって走ってきた。その姿を見て私は、水から上がれと言ったことを悔やんだ。
私がこの年頃には、既にゴツゴツと筋張っていた。
然るに与人は、細身でありながら滑らかな肉付きをしていて、肌が透き通るようである。それが下穿きひとつという姿で、私に詰め寄ってくるのである。
何か頭の芯がぐらぐらしそうだった。何かがおかしい。全てが間違っているような気がする。
「こら、お前は
怒鳴る声が男の声、というのが、信じられぬ思いだった。
「今更何が恥かしいのですか。ついでに日焼けが出来て、一石二鳥ではありませんか」
私は目を逸らしながら、与人の前に着物を突き出した。
「ちと面倒が起こりました、お楽しみのところ申し訳ないが、拙者と来ていただきたい」
与人は「仕方ないな」といいながら、濡れた下穿きに手を掛けた。
私は急いで、その肩に麻の襦袢を掛けて差し上げた。それから着替えを手伝いながら、与人が「お前は銘刈子か」といったことを思い出していた。
私が銘刈子なら、与人は飛び衣を奪われた天女か。
本当に着物を奪ってやればよかった。そうしたら、与人はどんなに困った顔をしただろう?
あの気位の高い天女のように、最後には途方にくれて、どうぞ着物を返してくれとすがっただろうか。何でも言うことを聞くからと。
「で、大事とは何だ?」
与人は全く悪びれた様子もない。私は真面目くさって申し上げた。
「正人が一人、欠落した恐れがございます」
「欠落?」
「島抜けです。しかしどこぞに隠れているかもしれませんので、内々に探しに行く途中でした。まあ、別段あなたが来なくてもいいことです。あなたは、今のところものの役にも立ちませぬゆえ」
さすがにこれには、与人もむっとしたようだ。
「無礼な」
「あのように百姓と戯れていては、示しが付きません。二度となさいませんよう。さもなくば蔵元に報告いたしますぞ」
与人は目を伏せた。
「昔、ああして魚を取ったことがある。母の喜ぶ顔を見たくてな。懐かしかったのだ」
その肩がとても薄く、小さく見える。貧相ではない、むしろ大柄な男であるのに……。
「だが、愚かだった。時は戻らぬ。いかに魚を取ろうと、喜んでくれる母は居らぬ」
与人の声は震えた。これでは私が与人を虐めているようではないか。
「その、与人。あまり人目のないときなら……手伝いのものに見張らせて、村人が来ないようにしてなら宜しいでしょう」
与人が村人と戯れてはならぬが、自分と居るときならなら許せるのか。
何だかこれでは、私が村の童どもに嫉妬しているようだ。きついことを言ってしまったのも、嫉妬だったのだろか。
「息抜きも必要でしょう。拙者も護衛、いや、お手伝いいたします」
与那城殿は「お前と魚とりか。それも面白そうだ」と微笑まれた。
とはいえ、それは海で見た、屈託のない笑顔ではなかった。
なだらかな磯の海岸線は、まもなく崖にさえぎられた。崖のすぐ下まで波が押し寄せているので、大潮のときしか歩いて通ることは出来ない。その先に行くには、崖の上まで登って降りる道がある。
「あっ」
与人が小さい声を上げて倒れ掛かった。私はとっさに手を伸ばして、与人の両肩を支えた。
顔が触れそうに近くにあった。
掴んだ腕の、なんと柔らかであったことか。両肩を崖に押し付けたら、与人はなんというだろう。
「鼻緒が切れた。直す布はないだろうか?」
冷静な与人の声に、はっと我に返った。
「申し訳ありません」
そう答えて、膝をついた。懐から古い手巾を出して引き裂いた。それから与人の足を私の膝に乗せ、私の肩に手を置いて支えさせ、鼻緒を直し始めた。
士族は誰もそんなことはしない。
ただ、そうして差し上げたかった。与人に辛く当たり、淫らなことを考えたのが申し訳なかったのである。
そうして鼻緒を修理し終えたときに、耕作筆者が走ってきて、興奮して叫んだ。
「目差どの、男が見つかりました!
波類間ユンタ10
若者小説
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2007/5/24